社会学の欠点。人間の為に社会があるのであって、社会の構築に為に人間があるのではない。それを忘れてはならない。
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未来における知的生活の風景とその意味を語る。知的生活の変化に時代の変化も見れるのだ。
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社会学の欠点
 社会の為に人間があるのではない。人間の為に社会があるのだ。
我々人類は、人間にとってより良い環境を得るために社会を良くするのであって
社会をよくする為に人間が存在しているのではない。


 ● 人間社会には目的があると誤信しやすい

 社会学を学ぶ学者がもっとも間違いやすいのは、人間社会を系統立てて
 調べていくと、何かこの社会に進むべき目的があるのではないかと
 捉えてしまうことにある。

 これは歴史学者がもつ欠点と類似する。
 歴史学者の中にも、この世界には目的があると期待してしまう連中がいる。
 そうあって欲しいと願ってしまう連中が出てくるのだ。

 歴史は、学問の根拠となるべきものが存在しない。
 さらには、仮にその根拠があってもそれを論理的に展開できる要素がないのだ。
 歴史学は学問としては、半人前である。
 だからこそ、この世界の進む方向に目的があれば、歴史を歴史学として
 体系化できると考えてしまうのだ。

 浅はかな歴史学者と同様に、社会学者の中にも人間社会の有り方、人間社会
 の進む方向に何かしらの定まった最終目的があると考える学者が出てくる。
 しかし、事実、
この世界には目的などはない。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の歴史家へ
        稲穂黄金の浅はかなる者達



 
● 目的は、1人1人の人生の中に存在する

 この世界には目的などはない。
 この世は
諸行無常の世界である。
 あらゆる物が他の物に影響を与え合って、様々な因果が絡みあい、次の事象
 を偶然のごとく決定する。たえず変わり続けるのだ。

 再度述べる。この世界には目的などはない。
 この世界であえて目的を探せというならば、それは
1人1人の人生の中
 こそ存在する。世界がどうこうではないのだ。
 1人1人の生涯においてこそ意味があり目的があるのだ。

 この世界は諸行無常であり、生きとし生けるものは生まれてはやがて死ぬ。
 それらの営みが太古の昔から、永遠に繰り返されている。
 世は流れ行き、あらゆるものが形を変えていく。
 
その世界の中で人間は生きている
 その世界で人間は生まれ、そしてやがて死が訪れる。

 はかない命ではあるが、1人1人のその人生の中に価値があり、目的がある。
 その人間の一生の中にこそ
永遠なるものとのつながりがあるのだ。

 自然の内にある生き物はすべてこれを理解している。
 動物は、ただ今の、今の中を懸命に生きている。

 偉大な時代、偉大な人物は、必ず人間の人生の中に意義があり力があること
 を教えるものである。釈尊もイエスもそれを衆生に教えたのだ。
 彼らは命をかけて教えたのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の釈尊
        稲穂黄金の神と仏と人間と



 
● 人間があって社会がある

 当然のことであるが人間がいて社会があるのだ。
 社会があって人間がいるのではない。
 
 同じことで人間の為に社会が構築されるのであった。
 社会を構築する為に人間がいるのではない。
 
 当たり前のことを述べている。
 普通の人々には当たり前のこのことが、社会学ばかり学んでいる学者の中
 には、ある最終形の社会の構築の為に人間が存在すると考える者が出て
 きてしまうのである。実に愚かである。主客転倒しているのだ。

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● 目的論者は最終形を夢想する

 学者の中には、この世界には目的があると誤信する連中がいる。
 これらの目的論者は、いずれ各自の
目的の最終形を夢想する。

   ある者は、
完成された社会を夢想する。
   ある者は、
完備された法体系の社会を夢想する。
   ある者は、
合理的な経済システムが成り立つ社会を夢想する。

 優れた社会制度や政治体制などを求めることがこの世界における人間の目的
 とばかりに語るのだ。これらの連中は真に至らない、迷妄と愚鈍の輩である。

 人間の為に社会があるはずなのに、社会の為に人間があると考えるのだ。
 社会での出来事に、目的を置いてしまうのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の浅はかなる者達
        稲穂黄金の深遠なる者達



 ● 自然は教えてくれる

 自然はいつでも素直に真理を教えてくれる。
 ミツバチは巣を作ることを目的に生きているのではない。
 子を産み育むために巣を作っているのだ。
 当たり前のことである。

 仮にその巣から、女王蜂を移動させれば、働き蜂たちは巣を捨てて女王蜂の
 周りに集結する。
 働き蜂たちが巣を作るのは、その巣に女王蜂がいて、卵を産んで、そこから
 ふかした子供達を育てる為に、その為の巣を作るのである。

 いたって当たり前のことを述べているのだが、わからない連中がいるのだ。
 働き蜂は巣を作ることを目的に存在すると考える連中がいるのだ。
 それが目的論者である。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の神と仏と人間と
        稲穂黄金の世界と自然と人間と



 
● 人間と社会、そして浅はかなる者達

 社会を形成し、作り上げる為に人間の1人1人の人生があるのではなく、
 人間がその人生を全うする為により良い社会を構築しようとしているのだ。
 社会の為に人間があるのではない。
 人間の為に社会があるのだ。

 人間が人間としてより良く生きる為に、社会の体制は考えられ変化してきた。
 その変化は、時に人間の生存を脅かすこともあった。
 この世界に生きることは一筋縄ではいかなった。

     
人間が人間として生きる > 社会制度、政治体制、経済体制

 こんなことは、わざわざ説明しなくても当然だと思う人が多いと思うのだが
 それがまるで理解できない連中がいるのだ。
 特に中途半端に学んでいる学者に多い。
 これらの連中は学説の維持の為に現実を押し曲げて解釈しようとする。
 
 洞察力のない連中ほど、勝手な思い込みを始める。
 目的論を直ぐに提出するのだ。
 
 この世界に目的を掲げて、その目的に向かって人類は進んでいる、人間社会
 の有り様はその方向に向かって変化しているという物語は、勝手な想像で
 良いために、学ばない連中にはいつでも大人気であった。

 こういう連中の一部がこの世界の目的論を成し遂げられるように神や
 絶対精神をもってきて語り始める。まるで物語なのである。
 思いつきや思い込みが学問だと考えている連中なのだ。

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 ● 自然は知性よりも遥か以前に生まれた

 知性は自然の遥か後に生まれた。
 自然は知性よりも遥か以前に存在している。

      
自然 > 知性

 知性などは自然の遥か後に生まれいる。
 社会学者ならこの言葉を頭にいれて置くべきだ。

 この世界に動物がいない頃から既に自然はあった。
 生命が存在しない頃から自然はずっと存在している。

 人間は自然の本質を理解できない。
 なるほど確かに我々は、自然の上で生きられる為にある程度、自然の形式に
 沿って知性を備えはしたが、それでも我々の知性の形式に沿って自然が
 あるわけではないからである。

 また我々人間の知性の形式は肉体を必須の前提にする。
 知性にとって肉体とは必須の形式であることが既に200年以上前に証明された。
 天才カントによって証明されたのだ。
  
 だからこそ、我々は前世のことをまったく覚えていないのだ。
 死によって肉体をいったん失うことで前世の記憶も失うのである。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の物理学者へ
        稲穂黄金の未来の宗教家へ


 * 肉体と知性のこの関係について、古代人も明確ではないが意識していた。
    ミイラがそれである。死後も肉体を保とうとしたもの、再び蘇ったときに
   その力を失わない事を想定しているのだ。



 
● 迷妄や愚鈍でも注目される方法@

 迷妄と愚鈍の輩でも、世間から注目を浴びる方法がある。

 
ユダヤ的世界観を語ることである。
 ユダヤ的世界観を語る者は、いつの世の中でも注目された。
 もちろん、その考えが優れているからではない。
 優れているどころか真理に真っ向から反対している。

 迷妄と愚鈍の学者の多くは、真理に反していようが構わない。
 それらの輩にとっては、人々の注目こそが最大の喜びである。
 それゆえ、この方法は、いつの世で繰り返されてきた。

 ユダヤ的世界観を語る者の発言は、愚鈍の輩の賛同を得て、さらには
 優れた者達の目をひきつける。もちろん優れている為では決してない。
   
 
@ 迷妄と愚鈍の輩が同類の匂いを嗅ぎ分け、賛同する。
 
A 愚か者が出てきたと、優れた者達はその輩の動向を注視する。

 迷妄と愚鈍は輩は、同じ迷妄と愚鈍の者が脚光を浴びると、自分自身が脚光を
 浴びているように感情移入して、愚鈍と迷妄の輩に賛同する。
 これらの輩は、そこで一体感を感じるのだ。

 優れた者達も、愚鈍と迷妄の登場に注目する。
 というのも迷妄と愚鈍が
残虐へと変化しないかとその動向を注視する為だ。

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 ● 迷妄や愚鈍でも注目される方法A

 いつの時代も、神の意図を語る者は注目されてきた。

 迷妄と愚鈍の連中にとっては、初めて自分達の頭脳で共感できる者が
 出てきたと喜ぶのだ。こういう連中は優れた者達の話などまるで理解しない。
 本音をいえば、どうでも良いと考えているのだ。

 こういう輩は、同じ迷妄と愚鈍の者は、仲間だと瞬時に嗅ぎ分ける。
 同類の匂いを嗅ぎ分けて、迷妄と愚鈍でも世に注目される出来事に関心を
 もつのだ。まさに類は友を呼ぶのである。

 真に優れた者達は、神の意図を述べる連中の言動と行動に目を光らせる。
 というのも、いつの世も迷妄と愚鈍な連中が計画し、推し進めることは
 この地上に大きな悲しみと苦痛を生んできたからだ。
 迷妄と愚鈍が変化して、残虐さへ変化することを恐れるのだ。

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● いつの時代にも迷妄と愚鈍の連中は存在する@

 いつの時代にも迷妄と愚鈍の連中は出てくる。
 人類の大部分は迷妄と愚鈍のうちにあるからだ。

 中世ヨーロッパにおいても迷妄と愚鈍の神の意図を述べる者達であった。
 聖書によって導かれない考えは、認めることができずに、真に優れた者達を
 弾圧し、時に命を奪ってきた。

 中世から近代にかけても、聖書が説明できないことを語る者達は厳しく
 罰せられてきた。多くの科学者は弾圧され、多くの血が流された。
 また、霊的なものを語る者は、魔女とされ虐殺されてきた。
 世にいう魔女狩りである。

 18世紀において、天才カントが登場し、神の存在を論理的に示すことは
 不可能であることが証明されるとヨーロッパ人は大きな動揺と衝撃を受けた。

 なれど天才カントが死ぬや否や、再び迷妄と愚鈍の時代に戻り始めた。
 キリスト教指導者層は、再び神の意図を強調し始め、それに迷妄と愚鈍の輩
 が賛同した。その先頭にたったのが当時の哲学学者であった。
 哲学学者が宗教の片棒を担ぎ始めた時代であった。

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 ● いつの時代にも迷妄と愚鈍の連中は存在するA

 やれ絶対精神だの、やれ絶対理性だの、世の中が絶対者の意図により
 進んでいると言いたい連中が雨後の筍のごとくに現れた。

 それらの連中ときたら、この世界には認識が横たわり、その認識が発展過程
 である云々などと述べては、はしゃぐ馬鹿者達であった。
 これらの連中は、神の意図を主張したい連中であった。

 これらの無能な輩達(フィヒテ、シェリング、ヘーゲル etc) は絶対精神や
 絶対理性などとアホなことを声高に主張し始めた。
 真理から遥かに遠ざかり、宗教に媚を売る学者達が、今日はあそこで明日は
 ここでという状態になった。
 
哲学は堕ちるに堕ちた
 この時代から、哲学と科学が別れることになった。

 教会側は
神の意図を語る者達を賞賛した。
 それらを目の当たりにした哲学学者の弟子達がそれに倣った。
 この時代において哲学者達は、真理を求めるのではなく、権力と名声、そして
 何よりも保身を求めた。

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 ● 神の意図と最終目的論者

 神の意図を語る者達は、この世界の中に神の計画を持ち込んでくる。
 そういう連中は計画があるならば、当然、この世界には目的があると考え
 始める。そして大概、その目的の達成地点、つまり最終目的を夢想し始める。

 これらの迷妄と愚鈍の連中は、各自、自分がこうなったら良いなという
 最終目的を夢想し始めるのだ。

 ある者にとっては、ユートピア(楽園)の到来。etc
 法学者にとっては、
完璧な法体系によって維持される社会。etc
 社会学者にとっては、
高度に完備された社会システムをもつ社会。etc
 経済学者にとっては、
最高に効率的な経済体制をもつ国家。etc
 歴史学者にとっては、
歴史の最終形態の到来(歴史の終わり)。etc

 近年にも
歴史の終わりという本を書いた学者がいた。
 民主主義と資本主義をもって社会形態、経済形態の形が終焉するというのだ。
 実に愚かな考えである。
 まるで人間が、より良い経済体制や社会体制を得る為に生きていると考えて
 いるようだ。まったく至らない者達である。
 これらの迷妄な者達は、今後も出続けるのだ。
 人間の大多数は迷妄と愚鈍の内にある。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の浅はかなる者達
        稲穂黄金の未来のユダヤへ



 
● 未来にも迷妄と愚鈍の輩は出てくる@

 現代の学者が資本主義と民主主義を持って『歴史の終わり』と述べたように
 22世紀にも、この世界の神の意図と目的とを述べる連中が出てくるだろう。

 迷妄な輩は、いつの世にもたくさん出現するものである。
 人類の大部分は迷妄と愚鈍の内にある。
 22世紀や23世紀になっても、神の意図を述べ、この世界には計画があると
 いう者達がでてくるだろう。

 22世紀の浅はかな連中は、きっと以下のようなことを語るに違いない。

 『
人類は完備された社会システムを生み出すことを究極の目的にする。
 『
人類はロボットと共生する社会を究極の目的にする。
 『
最高に効率的な社会システムをもたらす為に人類は生きる。』

 さらにその目的が少しでも達成され始めるやいなや、これらの浅はかな連中は
 終わりを宣言し始める。

 『高度に完備されたシステム社会に至った現在にて歴史は終わりだ。
 『1人1人にロボットが配置された現代をもって社会学は終わりだ。 』
 『エネルギー効率が最高である現在にて人間社会の発展は終わりだ。
 『人が働かない社会の到来した現代こそが神が述べた楽園だ。

 21世紀の現代に生きる我々が上記を聞けば笑ってしまうだろう。
 だが22世紀の人々は、それを真剣に聞いているかもしれない。

 現代に生きる人々が資本主義と民主主義をもって”歴史の終わり”などと
 聞いた時に、そうかもな!と思った人々がいた自体が人類の迷妄さを物語る。
 
古代人は腹を抱えて笑っていることだろう。

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● 未来にも迷妄と愚鈍の輩は出てくるA

 民主主義や資本主義で歴史の終わりなどと現代人が発言していることを
 古代人が聞けば、目を丸くして腹を抱えて笑うだろう。

 資本主義や民主主義の体制下で生きる現代人の内には、なんの為に
 生きているのかが、わからなくなっている者達が多く存在する。
 だから、迷妄な学者が民主主義と資本主義を持って歴史の終わりなどといえば
 そんなものかな〜と誤信するのだ。
 人類の大部分は迷妄と愚鈍の状態にある。

 あなたが才能がまったくなく、真理に反してでも人々の関心を得たいと欲する
 ならば、神の意図を大声で主張するが良い。
 迷妄と愚鈍の輩達は、きっとあなたを拍手喝采で迎えるだろう。

 なれど、迷妄と愚鈍を世に広めたことの代価を、いずれ、あなたはあなた自身
 の身をもって、支払うことになるだろうことは覚悟しておくことだ。

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 ● 神の意図と目的論者

 神の意図を述べる連中は、いずれも目的論者となる。
 神の計画があるならば、この世界には目的もあると考えるのだ。
 そして目的があるならば、最終的な目的もあるだろうと考え始める。

          
神の意図(神の計画)
              ↓
          
この世界の目的
              ↓
           
最終目的地
              ↓
          
各自さまざまな最終目的

  (絶対的な精神、絶対的な理性、絶対的な国家、絶対的な人間社会
   絶対的な経済制度、絶対的な社会制度、etc )

 こういう連中は、必ずといってよい程、この世界に目的を見出す。
 そしてその目的の最終形の形を各自が夢想する。
 これらの迷妄と愚鈍の輩には、多かれ少なかれユダヤ的世界観が宿っている。

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● 人間に対する洞察と人間社会@

 人間にとって人間社会の有り様は第一義的ではない。
 だから人間側の都合により人間社会は簡単に姿を変える。

 中世ヨーロッパでは多くの人々は、神への信仰を第一にしていた。
 もちろん、多くの人間が本心からそうできるはずではない。
 表面的にはそう装い、そのギャップから多くの悪が生まれてもいる。
 中世ヨーロッパにおいては多くの問題が発生した。
 また多くの人々の尊厳が傷つけられもした。

 多くの人々が信仰を持つ反面、それと同等、またはそれ以上の多くの人々は
 信仰からは程遠く、多くの犯罪、不信感、嫉みが生まれた。
 もともと人間とはそのような一面を有している。
 人間は確かに救いがたい面をもつ。

 人間社会の大勢が神への信仰へと動き出せば、もともとそこから程遠い人々
 には苦痛に感じられるものだ。それらの声無き声の反動が、社会の至るところ
 で表面化しはじめ、社会を不安に陥れていく。
 彼らを無言で抑圧する事は、人間の中に潜む悪を無視する事になり、その悪が
 一気に人間社会に押し寄せることになる。

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 ● 人間に対する洞察と人間社会A

 人間に対する洞察を失い、人間にとって無茶な有り方を、社会が強要すれば
 その反動が起こり、結果的に人々は苦しむことになる。

 もちろん誰もが快適な生活を望む。便利な社会であることを多くの人々は望む。
 しかし、そのことは人間にとって、第一義的な意味にならない。

 だからこそ、第一義的な都合、例えば信仰などによって簡単に、いままでの
 社会体制が崩れさり、第一義的都合に沿う社会体制が構築されることに
 なるのだ。
 だからこそ、優れた社会学者の存在は重要である。

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● 浅はかなる者達とユダヤ的世界観

 浅はかなる者達の連中は直ぐにユダヤ的世界観に飛びつく。
 この世界には神の意図があって、世界はその方向に進んでいるという物語
 はなるほど考える頭がない連中にとっては何よりも魅力であった。

 神の計画を語ることほど、楽なものはない。
 神の計画を持ち出せば、勉強しなくて済むからだ。

 絶対理性や絶対精神を持ち出してきた無能な馬鹿者たち。
 それで、この世界が把握できたと考えているようだ。

 なれど、この世界は馬鹿者たちが、言うような単純な世界では決してない。
 現代に生きる優れた科学者は、この世界の理解しがたさを感じている。
 21世紀の科学の前に立ちはだかる壁も高い。

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 ● 時代ごとの大きな差@

 偉大な時代と浅はかな時代の大きな差は、人間の救いについての考え方が
 180度異なることに見られる。

 浅はかな時代は、人間の救いを人間の外部に見出そうとする。
 外部環境のどこかに人間の救う定まった方法があると考え、定まった救いの
 道があると考える。
 いずれは外部環境の変化によって救いがもたらされると考えて楽園を夢見る。
 その楽園をもたらしてくれるのが彼らの絶対者であり、神であると考えている。

 これに反して偉大な時代とは、人間の救いを人間の外側ではなく、人間の内部
 に見出そうとする。
 さらに、救いの方法には決まった方法などないことを知る。
 1人1人の異なる道があり、救いがあることを理解する。
 人間を真に救うのは人間の内面にこそあるという態度は、偉大な文明に
 生きる人々の共通理解であった。

 豊かなローマ文明に生きる人々でさえ、経済的な富によって人間が
 救われるあなどとは決して思っていなかった。

 近代において迷妄な者達は、人間の救いが我々人間の外部にあると考えた。
 人間の内面の向上など気にかけず、まるで社会制度を整えれば
 優れたものは訪れるとさえ考えた。本当に愚かな人々だ。
 こういう連中の多くが共産主義や社会主義を声高にさけび、楽園を待ち望んだ。
 しかし当たり前のことであるが、その結果は惨憺たるものであった。

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 ● 時代ごとの大きな差A

 釈尊やイエスの教えに対して、なにゆえ、あれほど世界中の人々が真剣に
 耳を傾けるのも、そこに人間を真に救う教えが含まれているのを感じるからだ。

 だが学者の中にはどうしようもない馬鹿もいる。
 そういう連中は、偉大な人々の存在がわからないし、意識できない。
  人間の外部にこそ救いがあると考える者たちはだからこそ、外部の環境に
 期待する。人によってそれが政治、またある人にとっては社会になる。
 また外部に期待しているから、その最終形のものを期待する。

 社会制度の最終形。政治制度の最終形がもとらされると考える。
 近年も『歴史の終わり』という本を書いたものがいる。
 民主主義と資本主義をもって最終段階に至ったというのだ。
 こうなると全てが茶番である。まるで人間が政治体制や経済体制のより適した
 制度を入れる為に存在しているとさえ、この著者は考えているようだ。

 こういう至らない学者はまるで事の本質が理解できていない。
 人間は社会制度や政治制度をより適したものを得るために動くのではない。
 人間の生そのものは、社会制度や政治制度などに救われる何物かではない。

 人間の救いは我々の外部に存在する社会制度や政治制度などではないことを
 多くの人々は、心の奥底で知っているからこそ、人間の真実の生にとって
 都合が悪くなりさえすれば、民主主義や資本主義なども簡単に捨て去れる
 ことさあるのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の歴史学者へ



 
● ユートピア論者の浅はかさ@

 いつの時代も多くの人々はユートピアを夢見てきた。
 特にこの世界が辛ければ辛いほど、強く求められてきた。
 しかしいつまで経っても、ユートピアなどは訪れない。
 仮にユートピア論者が想像するユートピアが訪れたならば、それゆえに
 多くの人々が苦しむことになる。
 人間は外的な環境の充実で完全に救われることはない。
 人間の中に愚かさが潜む。

 たくさんの富や豊かな食物に恵まれ何不自由なく商品が提供されれば
 人間が救われると考える者は、人間に対する理解が欠けている。
 人間の本質が理解できていないのだ。
 仮に多くの商品によって満たされていくとしよう。
 そう満たされた奥で、人間の心の中から飢餓の心が生まれてくるのだ。
 もっともっとと望むようになる。

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● ユートピア論者の浅はかさA

 多くの富に恵まれても、人の中から欠乏の心が生まれてくる。
 多くの名声を得ても、さらなる名声を得たいという貪欲な心が生まれてくる。
 多くの権力を有しても、さらなる権力を掌握したいという欲求が生まれてくる。

 豊かな環境、生活を得たからといって人間が完全に救われることなどはない。
 お金持ちや王族の人生は幸せだと考える人は、まったく至らない人間だ。
 その幸せの何倍もの苦悩が彼らに圧し掛かっていることに気付いていない。

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 ● 人間の救いは我々の内部に存在する

 救いは我々の外部には決してない
 優れた時代には、人間を救う手立てが我々の外部にあるなどとは
 決して思うことはなかった。当然である。
 多くの人々も釈尊やイエスの生き方に感銘を受けている。

 仮に、より良い社会制度や政治制度の到来が、人類の目的ならば、それに
 貢献した人人こそ民衆が忘れえぬ人となるだろう。
 なれど人々が忘れずに覚えている人々は、そのような人ではない。

 釈尊、イエス、老子、最澄、空海は、よりよい社会制度や政治制度をもたらした
 人々なのでは決してない。
 これらの偉人は、まさに人間の生そのものを問うているのだ。

 ここ200年の学者の見識の
低さにはあきれるばかりだ。
 外部環境の充実によって、人間が真に救われていると誤信しているのだ。 
 だから社会制度や政治制度を導入に真剣になる。

 外部の環境によって人間が救われると考えるから共産主義や社会主義など
 の迷妄で愚鈍な国家が生まれたのだ。

 
共産国家社会主義国家の出現は、
 
近代の時代がいかに迷妄で愚鈍であるかのである。

 これらの国家には、なんらの深い洞察もないし、
人間の生全般に対する
 予感すら何も感じられないのだ。


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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の資本主義
        稲穂黄金の未来の歴史家へ
        稲穂黄金の未来の宗教家へ



 
● 諸行無常の世界と社会学

 この世界は確かに諸行無常の世界である。
 人類の取り巻く環境は刻々と変化する。

 科学が発達し便利なものができて多くのことが救われるかと思いきや今度は
 その利便性によって問題が引き起こされる。
 その問題の萌芽は人間のうちに潜んでいる。

 人間は真に救いがたい。不安になれば神や仏を求めるが、安泰となれば
 あらゆるものを侮る。時に神仏さえも侮る。
 人間は真に救いがたい。

 社会学者は、この救いがたい人間を見つめることにある。
 社会学者は、この救いがたい人間の可能性を見つめることでもある。

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 ● 未来の社会学者へ

 この大地に生きる宿命をもつ人間。
 社会学者は、人間の真の姿を見つめる必要がある。
 人間の意味について理解する必要があるのだ。

 人間の弱さが表に表れ悲惨と苦難を呼び寄せることもある。
 大地の現実が人間を飲み込むことさえある。
 いつの時代も人々を励まし勇気付ける者達がいる。
 宗教である。宗教は、人々に結束と協力を求める。

 社会学者は、先回りして人間の悲惨さを減らし、人間が最大限、可能性を発揮
 できるようにサポートする。社会学者は無言の励ましをする。
 なれどその励ましは強く頼もしい。

  あらゆる分野に通じ、洞察力を高め、周囲にアンテナを張り巡らせるのだ。
 未来の若き社会学者よ。

 人間最大にして最高のサポーターであれ!
 
 
人間社会最良のバランサーであれ!

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