経済学と社会学。経済が及ぼす影響は確かに無視はできない。だがそれ以上に経済を超えた価値を無視することは混乱を招く。
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 『これからの知的生活
未来における知的生活の風景とその意味を語る。知的生活の変化に時代の変化も見れるのだ。
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経済と社会学
我々はただ食べる為だけに生きているのだろうか?
衣食住を整える為に人間は存在しているのだろうか?
それを問い続ける間にも食べるのをやめることができないのは確かであるが、
それでも我々人間はそれ以上の意味があることを確信している。

 
● 経済の影響

 人間とは生活する為にこの地上に生きているのではない。
 食べる為だけに生きているのではない。
 より良い服を着るために生きているのでもない。
 快適な住まいに住むために、生きているのでもない。

 確かにそれが我々の人生の目的でないとしても、食べられなことは苦しみを
 感じるし、お金がなければ病院に通うことさえできない。
 快適な暮らしは確かに心地よい。
 経済の影響は軽視できない。
 経済の変化は、いつの時代でも多くの人々に強い影響を与えてきた。
 ここ200年近くは、我々は
資本主義の影響下にある。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の資本主義
        稲穂黄金の未来の経済学者へ



 
● 経済と社会学@

 優れた社会学者になろうとする者は、人々に多大な影響を及ぼす経済に
 ついても理解を深めることが必要である。

 人間社会の形成に欠かせないのが人々の協力である。
 その協力の根底には双方になんらかの利益がある為である。
 その重要な要素の1つが経済的利益である。

 人間社会のことを理解すればするほど、人間が生活を営むために協力して
 いることを、いやがおうにも理解するものだ。
 人間が多く集まれば問題が起こってくる。人間は欠点を持つからだ。
 その問題はあるが、それでも人間は集まって暮らす。

 欠点をもつ人間が多数集まり、多くの問題が発生し、その為にルールが
 決められ、長い時間をかけて習慣となり、法律となって、それらをスムーズに
 運営する為に政治制度や社会制度が作られた。

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 ● 経済と社会学A

  人間が集まりルールを決められ、それがさらに大規模な集団となって都市が
 形成され、さらにそれらの都市が集まって国家が形成されてきた。
 そうやって大多数の人々が時には仲違いをして、喧嘩をしても、なんとかうまく
 やってこれたのも、協力すべき利益があった為である。

 もちろんその利益は多くの時代においては協力することよりも、奪い合い、
 独占することが主の時代が多くあった。
 ようやくまとまり落ち着いた国家であっても、国家の中で次の主導権争いが
 大規模な戦争へと発展したこともある。
 人間がいるところ問題は尽きない。
   人間同士の協力と争いの根底には人間自身の問題がある。

 その人間の欠点をカバーする形で、人類は多くの社会体制、経済体制、
 政治体制を作り上げたきた。
   古代からの社会制度や法制度、さらにはジョン・ロックから始まる三権分立、
 近代の民主主義の普及など多くの先人の知恵と努力があった。

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● 資本主義の登場

 18世紀から19世紀にかけて世界中の人々を飲み込んだ経済体制が現れた。
 資本主義である。資本主義の威力のすさまじさは、その生まれた背景にある。
 お金儲けを第一にしない人々によって資本主義は導かれた。
 キリスト教のプロテスタント系の人々の中から、経済的合理性に基づいて
 働くことが神の意図に沿うとまで考える人々がいた。
  
 だからこそ彼らは、お金を儲けても、そのお金を使って遊んで消費することは
 行わない。彼らにとってはそのお金をさらに投資して膨らませることが彼らの
 勤勉に儲け続ける精神。どれだけ稼いでも終わりがない。
 稼いで使うことが目的なのではなく、稼ぐことが彼らの目的であり続けた。

 神の意向にそって進んでいると信じている彼ら。
 合理的に稼ぐ彼らには”
疲れ”という文字はなかった。
 そこに喜びを見出しているのだ。

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 ● 資本家の性質

 資本主義以前の社会にも、誰よりも富を求める人、経済的利益の為に命を
 かけた人ももちろん多数存在した。
 経済的に繁栄した商業都市では、商売を営む商人は事欠かなかった。

 それでも、資本主義以前と以後で大きく違うことはある。
 資本主義以前にも資本主義後と同様に富を求める人はいたが
 資本主義以前の社会で、富を求めることが人間の人生の主目的などと
 考える人などほとんどいなかったと言って良い。
  もちろん、まったくいないことはなかったが、それらの者は海賊や山賊などで
  人々から社会の一員にはみなされていなかった。
 多くの人にとっては、豊かであればな〜という問題であった。

 資本主義時代になるとこれが一変したのだ。
 まさに富を増やすことが、道徳的価値にまで高められようとしたのだ。
 『人のものをいただく海賊の行為は、認めはしないが理解はできる。
  なれど富を増やし続ける行為に価値を見出す資本家には違和感を感じる』

 資本主義下で活躍する資本家の性質は以下である。
 彼らは資本の増大にのみ関心を払う。
 彼らは手にした富を遊んで使うことなどしない。
 そのような時間があれば投資をして資本を増やすのだ。

 現代の大金持ちの多くは、いたって真面目で勤勉である。
 仕事することに喜びを見出している。
 世界有数の大金持ちであるビルゲイツは、周りの人々から仕事中毒と言われる
 程働き続けている。これらの人々は、得た富を使って遊ぶことよりも、その富を
 使ってさらに投資する。
 研究開発に投資したり、設備に投資したりする。
 そうやって投資したものが結果的に数倍になってもたらされることに
 無常の喜びを感じている。

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 ● 資本の神とそのルール@

 資本主義下において資本主義のルールに従わない者は、経済的に没落する。
 資本主義下において、資本を増加させる者は無条件に資本の神に愛される。
 神への信仰心などなくても、ルールに従って資本を増大させる者は愛される。
 資本の神様は、資本を増加させる者を無条件に愛している。

 その証拠に世界長者番付のトップ10の人達の資産構成の割合を見れば
 一目瞭然である。彼らの資産の大部分を占めているのは株である。
 株に投資することで莫大な富を形成しているのだ。
 創業者は、莫大な自社株を保有することになる。
 現代において、世界の大富豪の資産形成の大部分は株式がしめている。

 合理的、効率的に利益を生み出す会社。
 数ある会社の中から、、より効率的に利益を挙げていく会社を見つけ、そこに
 投資する者は、
資本の神から寵愛を受けることを示している。

 利益を上げ続けて、さらに資本を増大させる会社は、資本の神から愛され、
 その会社に投資する者達こそ、もっとも資本の神から愛される。
 そのご褒美に、たくさんの富を得ることになるのだ。

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 ● 資本の神とそのルールA

 会社員として勤勉に働き続ける者より、お金を投資して事業を起こすもの、
 投資家として事業を支える者の方が、資本の増加には貢献していると
 資本の神は判断するようだ。

 投資を行い成功した者の富は、どれほどサラリーマンで稼いだとしても決して
 手にすることができない程である。
 資本の神は、人々の性格などまったく気にしない。
 どんなに怠ける人間でもまったく気にしない。
 慈悲心がない人間でも一向に構わない。
 人格がどれほど歪んでいようが、一向に気にしない。
 ルールにそって資本を増やす人間を、資本の神は愛している。

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● 社会学者の視点=偶然の産物

 この
資本主義の生まれた背景を詳細に述べた人物がいる。
 社会学者
マックスヴェーバーである。

 資本主義が、お金儲けを第一にする人から生まれたのではなく、金銭に興味
 のない人々、お金には無縁の人々の中からこそ生まれたとヴェーバは述べた。
          
 キリスト教のプロテスタント系の人々の中から効率的に働き、結果を出すこと
 に喜びを見出す人が生まれた。
 その考えを持つ人々の規範と行動から、結果的に資本主義が生まれた。
 それは偶然の産物であったとヴェーバーは述べている。

  ヴェーバーの視点が社会学者にとって大事なのは、それが
偶然の産物
 であるということを見抜いた点にある。
 まさに偶然の産物であった。

 この世界は
諸行無常の世界である。
 次から次へと変化していく。この世は常に変化し続ける。
 この世界の中で次々にもたらされること自身には特に意味はない。
 様々な因果の系が影響しあって重なった偶然によって生まれたとも言える。

 この視点は社会学者には重要である。
 それが起こったのには目的があるように見えて、実は目的はなく、ただ
 変化の一面一面に過ぎないと認識することは重要である。

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 ● 資本主義以前の社会@

 以前の社会、つまり資本主義が広まる以前の社会には、多くの人々にとって
 神や仏が日常にいる生活であった。
 これをマックス・ヴェーバーは
伝統的価値観と表現した。

 西洋ではこの資本主義に登場によって、人々の伝統的価値観が消えうせて
 いき、資本主義社会を発展させるに都合の良い考え方が社会に根付き始めた。
 
 日本で、これに近い変化を合えて探すとするならば室町時代から戦国時代を
 経て安土桃山時代に入った頃である。
  神仏が人々の意識に強く存在した室町時代に変わって、戦国時代はいかに
 相手に勝ち、食料、米の生産など合理的な精神が要求されたからである。
  合理的に組織を編成し、一年中を通して効率よく戦えない大名は、他の大名
 に吸収されていった。
 もちろん、日本でも合理的精神が求められたが、それでも伝統的価値観は
 日本においては残り続け、それは黒船来航が来ても以前残り続けた。
 日本において伝統的価値観が姿を消したのは、アメリカとの戦争に負けた
 戦後のことである。

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 ● 資本主義以前の社会A

 神仏を尊び、日常に神なるもの、永遠なるものを感じながら過ごすこと。
 多くの人々には当然のごとくに存在していた。
 一神教のように具体的な絶対神の存在を掲げるもの達のように、神の姿は
 具体的にイメージしてはいなかったが、それでも神に通じるものを見ていたし
 それに沿うように生活していた。
  世界中の人々がそのように暮らしていた。

  もちろん、古代にも経済的富に固執する商人もいたし、遊んで暮らすことを
 願ってばかりの者達もいたが、それらの者は人々の間で重んじられることは
 決してなかった。現在と大きく違うのはこの点である。
 
 経済的な富を持つ者は、うらやましがられることはあっても尊敬の対象に
 なることなど滅多になかった。

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● すべてを飲み込む資本主義

 資本主義は全てのものを飲み込んできた。
 18世紀、19世紀に欠けて圧倒的な勢いでヨーロッパに広がった。
 昨日まで、食事の前に神への感謝を述べていた人が、今日では、目を
 血走しらせて投資話を述べる姿は人々を急速に変化させたと思わせた。
 
 資本主義の急速な広がりは、今まで農地や森林に囲まれていた場所を工場に
 しただけでなく、その町並みも経済効率の為に一変させ、人々の価値観させも
 急激に変えていったのだ。

  資本主義は怒涛のごとくに押し寄せた。
 
町並みを一変させ、人々の価値観さえも急激に変えた。
 資本主義の力強さは、当時を生きた人々に強い衝撃を与えた。
 幕末の下級武士が西洋の黒船を初めて見たときに受けたショックに近い感情と
 ある種、共通した感情といえば近かろうか。

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● 資本主義の波と青年達

 資本主義が急速に広がり始めた19世紀のヨーロッパ。
 中世的な面影を残す日常が存在していたヨーロッパから急速にその面影が
 消え始めたのが19世紀であった。
 圧倒的な資本主義の波が都会はもちろん、田舎の隅々にまで急速に
 押し寄せてきたのだ。
  その時代の変化の中で人々の価値観はめまぐるしく変化した。

 昨日まで、食事の前に神に祈っていた叔父や、食事中にいつも神の話を
 していた親戚の面々が、今や皆が金儲けの話、投資話に真剣だ。
  充血した目で、投資先を語る叔父。お気に入りの服とバックを自慢する伯母、
 良い就職先が見つかったと喜ぶ親戚。
 資本主義の流入が、中世的面影を残す街を、そこに住まう人々の考え方を
 急激な勢いで変化せていく。

 多くの人々が資本主義がもたらす変化にたじろぎ、困惑したが、その中で特に
 強い衝撃を受けたが、その時代の青年達であった。

 昨日まで神を語っていた、信心深いと思われた大人達。
 その大人達が資本主義の流入により、あっというまに考えを180度転換する様
 は青年達には驚きのなにものでもなかった。
 その変化を目の当たりにした青年達には資本主義が魔物のごとく見えたろう。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の資本主義




 
● 時代が彼らを生んだ@

 資本主義が圧倒的なスピードでヨーロッパを席巻していった19世紀。
 この時代に青春時代を過ごした若者達に資本主義は大きな影響を与えた。
 鋭敏な者達は、終生資本主義と向き合わざるおえなくなった。
 
 実際にこの時代に以下の者達が生まれ、彼らの生涯において資本主義の
 影響は消えることはなかった。

   
マルクス          (1818〜1883年)
   
ドストエフスキー     (1821〜1881年)
   
トルストイ         (1828〜1910年)
   
ニーチェ         (1844〜1900年)
   
マックス・ヴェーバー  (1864〜1920年)

 これらの者達は、終生、資本主義というものに関わり影響を受けた。
 資本主義の急速な発展、広がりが彼らの人生にも色濃く反映している。

 
皆、それぞれ資本主義荒波を受け、それぞれに解釈を行った。
 マルクス経済学で、ヴェーバー社会学で、ニーチェ文学でそれを表現した。
         
     
カール・マルクス    マックス・ヴェーバー    フリードリヒ・ニーチェ
 三者三様。解釈の仕方もその手段も異なったが、3人とも貫いてやり遂げた。立派である。


 資本主義の急速な広がりは人々の価値観を大きく変えた。
 とりわけ、
その時代の青年達に多大な影響を与えた。

 マルクスは、資本主義が人間社会に何をもたらすのかを考えた。
 後に共産主義思想に繋がるマルクスであるが、人々が資本主義に飲み込まれ
 ない為にはどうすれば良いか、資本主義にこき使われ、疲れ果て朽ちてしまわ
 ない為にはどうすれば良いかを考えた。
 マルクスは確かに頭は良くなかったが、それでも彼は彼なりに真剣に考えた。

 
マックス・ヴェーバーは、資本主義が何ゆえに生まれたの
 かを探った。生まれるに至ったの要因を探ったのだ。
 資本主義を生み出した原動力が何であるかを知ることこそが、資本主義解明
 のヒントとなり、資本主義に対抗していく手段になると考えた。

 
ニーチェは、資本主義が人々の価値観を根こそぎ変化させる様に
 強い影響を受けた。彼はその意味を文学を通じて表現した。
 この時代でもっとも鋭敏な青年であったニーチェは資本主義の流入が街並みを
 人々の価値観を180度変える様を見てこう叫んだ。
 『
神は死んだ!』と。
 まさに、人々の間から神への信仰心が消え去っていった時代であった。

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● 時代が彼らを生んだA

 資本主義の影響はそれだけに留まらない。
 後に作家になる人々にも強い影響を与えた。
 
 
ドストエフスキーは、中世的な信仰心溢れる人々が資本主義に
 飲み込まれ価値観を揺さぶられる様に興味が集中した。
 彼が書いた『罪と罰』ではまさにそれを表している。
 価値観が揺れ動く社会にあっても、自分の価値観を信じていた強き青年が
 中世的面影を残す信仰心あふれる娼婦ソーニャの生きる姿を見たときに自分
 の犯した罪の大きさに気づくという、この作品は、まさに資本主義下の流入時代
 に生きたドストエフスキーだからこそ真に迫って描けた。

 
トルストイもまたドストエフスキーと同様である。
 様々な価値観、様々な出来事に振り回されながら、最終的には信仰、道徳心
 に目覚めていく人間の姿をありありと描いている。

 
トルストイドストエフスキー。彼らも資本主義に揺さぶられながら人間を見つめた。
    
 
中世的な神への信仰心が資本主義によって根こそぎ奪われる時代に生まれた2人。
 
その中で、真に人間とは何かを模索し、彼らは彼らなりの人間像を書き上げた。立派だ。

 ドストエフスキーの作品にも、トルストイの作品にも、資本主義が流入し、急速に
 街並みや人々の価値観を替えていって時代の息吹が感じられとれる。
 まさに時代が彼らを生んだのだ。

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● 時代を表現した者達

 マックスヴェーバーもマルクスもニーチェもドストエフスキーもトルストイも
 ヨーロッパ全体に資本主義が急速に広がる19世紀に青春時代を過ごした。
 彼らは資本主義が流入する時代の荒波の中で、各自、自分がもっとも得意と
 する分野で、その時代の躍動感を表現した。

 経済学でそれを表現するマルクス。
 文学でそれをを表現するドストエフスキーとトルストイ。
 哲学でそれを表現するニーチェ。
 社会学でそれを表現するマックスヴェーバー。
 皆、努力家であり求道者といって差し支えないレベルのものを生み出している。

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 ● 敬虔な宗教一家から生まれた

 資本主義に敏感に、反応した者の多くが経験な宗教一家に生まれていると
 いうのも偶然ではない。

 以下の3人は、敬虔な宗教一家に生まれている。
 ニーチェは、
キリスト教プロテスタント(ルター派)の牧師の家庭で生まれた。
 マルクスは、
代々ユダヤ教のラビの家に生まれた。
 マックス・ヴェーバーは、
敬虔なプロテスタントの母から生まれた。

 上記3人のように宗教一家に生まれなかった以下の2人は文学の道に進んだ。
 トルストイは、名門貴族の家に生まれた。
 ドストエフスキーは医者の息子であった。

 この2人は資本主義そのものではなく、資本主義の登場によって変化するもの
 に注視した。資本主義によって揺さぶられる人間の価値観、変化する人間、
 変化する社会、なれどその変化の中にあっても、本来の人間の有り様とは
 何かを見つめ、彼らはそれを文学で表現した。

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● ニーチェの予感@

 これらの者達の中で、もっとも鋭敏であったのがニーチェである。
 先月まで、食事前には『天にまします我らが神よ!』は当たり前のように言葉で
 語りかけていた信仰心の厚い人々が、今では食事の時間には、経済の話、
 投資話ばかりする様は、若いニーチェとっては大きな衝撃であったに違いない。 
  
 神をあれほど熱心に信仰してきた多くの人々が、経済的利益だ!富だ!と
 奮闘する様は、まさに鋭敏なニーチェにこう言わしめた。
  
神は死んだ!と。

 事実、多くの人々の日常の中から神は姿を消していった。
 それほどまでに資本主義の流入はすさまじいものであった。
 資本主義の経済的利益をこの世の目的だとばかりに活発に活動する多くの人々
 を横目で見ながら、人間がこの地上で真に生きる意味を問い続けた。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の歴史家へ
        稲穂黄金の未来のユダヤへ



 ● ニーチェの予感A

 その当時の多くの人々も以下のことを漠然と考えた。
 資本主義の流入が何をもたらしたのか?社会の何を変えていくのか?
 人々に何をもたらすか?そもそも資本主義とは何であるのか?
 どうしたらその影響を最小限に留まられるか?など多くのことを考えた。

 その時代の優れた者は、その
時代の空気を様々な分野で
 様々な言葉を使って表現した。経済学で表現するもの、社会学で表現するもの、
 文学で表現するもの、そして哲学で表現するもの。

 この中にあって、幾人かが資本主義の後に訪れる世界について夢想した。
 その内の代表的な1人がニーチェである。
 ニーチェは、便利で完備された社会の資本主義下で生きる人々、その有り様が
 人間本来の姿から離れていることを主張した。
 そしていずれ、これらの人々は、人間本来の有り様を望むようになる。
 それを知らせてくれる人を待ち望む。
 
 多くの人々の目を覚ますような人物が現れることを待ち望む。
 それこそがニーチェの言う
超人である。 
 資本主義下で生きる人々を真に目覚めさせることが可能な人物が現れると
 人物像(=超人)を思い描いた。
 資本主義によって価値観を変化させられた多くの人達も、いずれ超人の登場に
 よって以前の時代のように神を求める時代がくるとニーチェは考えた。

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● 超人から神への希求へ

 ニーチェが頭に描いていた超人が、いつどのような形で人々に希求されるか
 までは、当のニーチェにも明確な意識はなかった。
 漠然とだが人々はいずれ超人を希求することを文学で表現した。

      
この時代の中でニーチェは特に鋭敏であった。
        
     
彼が描きあげた超人21世紀中盤以降から、人々の間で強く求められ始める。
     なぜなら21世紀中盤以降から、資本主義はゆっくりとだが衰退を始めるからだ。

 このニーチェの予感は、21世紀中頃以降になると目にするだろう。
 なぜなら、21世紀中頃以降から
資本主義が衰退を始めるからである。
 もちろん、その衰退には始め、誰もが気付かない。人間の目では捉えがたい。
 
 だが、ゆっくりではあるが着実に資本主義が衰退していく。
 それに反比例するかのように、資本主義下で安逸に暮らす人々の中から不安と
 迷いが徐々にでてくるようになる。

 さらに22世紀には、人々は超人の希求から神の希求へと変化する。
 22世紀には人々はもっとも神を求める。
 22世紀に ” 
神は復活する!”のだ。

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● 資本主義の誕生秘話

 ニーチェと同様に、資本主義の流入に強い衝撃を受けたものがいる。
 社会学のマックス・ヴェーバである。
 生まれ過ごした町が短期間に一変し、人々の意識を一変したことに驚いた
 マックスヴェーバは資本主義は何から生まれたのかを調べ始めた。
 資本主義は、なにものだろうか?
 資本主義は、どこから生まれてきたのか? 
 資本主義はなにゆえ、人々の価値観をこれほど変化させるのか?

 何度も何度も問いただしたことだろう。
 マックスヴェーバーは資本主義の発生の源、発生過程を生涯をかけて追い求め
 そして突き止めた。
  
 資本主義は経済的利益、富を重視する商人などから生まれたのではなく、
 むしろそれとは反対に、それらの富に価値を見出さない人々の間から生まれた
 のだと述べた。

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● マックスヴェーバーと社会学者

 マックスヴェーバはその著書の中で、資本主義はどこまでも強い力で人々を
 縛り、その資本主義のルールから外れた者は、いずれも経済的豊かさから
 没落することになるのだと述べている。
  そしてその上で、そういう資本主義下の中にあっても、人々を動かす大きな
 力は、伝統的価値観の方にあるのだと述べたのだ。
 つまり、その資本主義でさえ伝統的価値観の力の発する方向が変わったこと
 により生み出されたものに過ぎないと主張しているのだ。

 未来に社会学者となる者は、ヴェーバーのこの言葉の意味を忘れていけない。
 表向きどのように見えたとしても、その奥に神や永遠なるものを求める伝統的
 価値観があり、人間社会に多大な影響を与えていることを忘れてはならない。

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● 資本主義の攻勢とマルクスの登場@

 時代が彼を生んだのだ。
 資本主義が広がり、多くの人がどんどんその資本主義に組み込まれて行く様
 を眺めたマルクスは、資本主義に恐怖心を抱いた。
 恐怖心は敵愾心へと変わった。

 資本が利益を増大させ、資本家がどんどん儲けるのに比べて、そこで働く
 労働者は、いつまでも低賃金、長時間、働いている現実に直面した。
 資本家だけが豊かになり、労働者は豊かになれない仕組みを、言葉で明確
 に書き記すことが重要だという意識に変わったのだ。

 資本家だけが圧倒的に豊かになるカラクリを
剰余価値という言葉で
 マルクスは定義づけた。
  剰余価値とは、
労働者が作り出す製品、商品の1つ1つの中に
 資本家の利益がわずかばかりでも必ず含まれている
という事にある。
 だから、資本が増大し、従業員が増えれば増えるほど、製品は多数、製造され
 それに比例して資本家は豊かになると述べたのだ。

 資本家の利益が、どの範囲まで影響しているかを、マルクスはその当時の人々
 に赤裸々に示したと言える。その意味で画期的な表現と見られた。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の資本主義
        稲穂黄金の未来の経済学者へ



 
● 資本主義の攻勢とマルクスの登場A

 もちろん作り出された製品、商品の中にも労働者の利益が含まれてはいる。
 だが労働者の利益は、あくまでも彼が生み出した製品の範囲でしかない。
 労働者の利益は、彼が自ら作り出した製品の範囲内におさまる。

 これに引き換え、資本家は幾多の労働者が生み出す、あらゆる製品の中に
 資本家の利益が含まれている。そうマルクスは述べたのだ。

 労働者が自ら作り出した製品の数に対して、労働者の利益が保証されて
 いるなら良いのだが、それがまったく保証されない時もある。
 つまり、労働者が生み出した製品の数の1/3にしか、労働者の利益が含まれて
 いないないこともあるということだ。環境がそれを許さない時がある。

 あくまで時間給で働く労働者は、状況によって、例えば市場に労働者が
 余っている場合では、より安く雇われる状況になり、自分が生産した製品、商品
 の中に含まれる自分の取り分を回収できないこともある。

 現代に生まれた人々にとっては、当たり前に聞こえる上記の話も、資本主義が
 登場した時代の人々にとっては、はっきりと意識されなかった。
 資本主義が何物であり、どういう仕組みなのかさえ当時の人々にとっては
 理解しがたいものがあった。

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● シオニズム運動とマルクス@

 剰余価値を資本家が独占させずに、労働者へよこせ!と主張し実現する為
 には
労働者は団結しなければいけないとマルクスは述べた。
 その考えを基に現代の労働団体も生み出された。

 その剰余価値を独り占めして、労働者に手渡さない資本家の行為を
搾取
 という言葉でマルクスは定義づけた。
 この剰余価値の取り分をめぐる資本家と労働者の戦い、つまり
ブルジョア
 と
プロレタリアの利益争いを階級闘争という言葉で世に広めた。

 マルクスが語った言葉に世界の多くの人々が反応した。
 時にそれに沿って行動したもいた。

 だが、マルクスの言葉や思想の裏に別の意味を見ていた者達もいる。
 ユダヤ人である。
 ユダヤ人は、このマルクスの主張が、あらゆる国家の内部を二分することを
 理解した。どれほど安定した国家も、王様と民衆が仲良く暮らしている国家も
 内部から亀裂をもたらすことができると直感した。

 いままで、世界には民族対民族の感情、国家対国家の感情が渦巻いていて
 自分達ユダヤ人は、それゆえにこそ不当に扱われ、自国をもたなかったが
 マルクスの登場は、世界の人々の目を、民族対民族、国家対国家から
 国家内の階級闘争へと移した。これがユダヤ人にとってどれ程、有利に働くか
 を多くのユダヤ人は理解していた。
  そうして、国家内の混乱が激しくなればなるほど、世界には空白が生まれて
 自分達の活動がやりやすくなると考えた。

 これが後に、ユダヤ人のユダヤ人の為の国家の再建、シオニズム運動へと
 繋がる契機となった。

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● シオニズム運動とマルクスA

 ユダヤ人の中でも賢明な者達、つまり本物のユダヤ人は、マルクスの存在と
 その後に起こるシオニズムの関係に気付いている。
 正確にいえば、
シオニズム運動の一環の中にマルクスが含まれている
 いうことである。
 さらにいえば
ユダヤ的世界観の普及の中にシオニズム運動が含まれる。

 ユダヤ人がイスラエルの国家を形成する過程において、世界の人々の価値観を
 揺さぶり、急激な変化へと追い込んだ。
 世界中の人々を追い込んだ代償が彼らに降りかかったことも、ユダヤ人の多くも
 理解しているだろう。

  実際に、その1つがナチスのヒトラーの登場である。
 論理的思考が鋭く賢明なドイツ人は、あの時代の背景にあったユダヤ的な
 策動に気付いていた。それに気づいたからこそ、それに対抗すべくドイツ人は
 ヒトラーを支持したのだ。
 ユダヤ的世界観の波が狂気ゆえ、またそれに対してヒトラーも狂気へと
 変貌したのだ。

 あの賢明なドイツ人を追い詰め、ヒトラーを登場させ、さらにヒトラーに心酔
 させた責任の一端がユダヤ人自身にないと本当に言えるのか?

 それをまったく予感しないユダヤ人は、本物のユダヤ人ではない。
 霊的に優れた真のユダヤ人ならば、その意味を把握するはずだ。


  
● ユダヤ人モルデカイ・モーゼの正直な告白@

 ユダヤ人の
モルデカイ・モーゼの書き残した本日本人に謝りたいには、
 ユダヤ的世界観の普及とそれに対する各国の対応が詳細に書かれている。
 この本は、社会学者には必読である。
 特に未来の日本の社会学者に必読である。

ユダヤ人モルデカイ・モーゼのこの本は必見である。戦後日本の問題点がここに存在する。
   

 この視点から見れば多くの日本人学者の指摘は
枝葉末節であることがわかるだろう。

 モルデカイ・モーゼは、以下の重要なことを指摘している。
 賢明なドイツ人はユダヤ人の策動に気付いた事。
 それゆえにナチスが登場することになった事。
 さらに、君主と国民が仲が良い国は、ユダヤ人が国家を得る為には、邪魔と
 なるので王室がある国でことごとく革命を起こさせた事。
 さらには戦後日本の弱体化計画のほとんど全ては、ユダヤ人の考えである事。

 ドイツ人のユダヤ人に対する虐殺は、真に悲しい出来事であり、世界中の人々
 が同情している。その行為はユダヤ人だけでなく、ドイツ人にとっても最悪の
 結末であった。人類にとって、真に悲しい出来事であった。
 ユダヤ人は確かにユダヤの国家(イスラエル)を手に入れたが、その代償は
 あまりにも大きかった。

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● ユダヤ人モルデカイ・モーゼの正直な告白A

 モルデカイ・モーゼがユダヤ人ではなくて、日本人であるという人がいるが
  もしそれが本当であるならば、その日本人は紛れもなく一流の社会学者で
 あり、優れた洞察力を有している。
 なぜならば、この本は、戦後の日本を語るあらゆる学者の解説よりも、何倍も
 洞察力に富み、かつ鋭い指摘であるからだ。
 他の日本人学者が語る戦後史など、モーゼのこの本からすれば、ザルのごとく
 にスカスカなのだ。

 もし仮にモルデカイ・モーゼが日本人なのだとしたら、それが噂されている人の
 他の著書を見れば、その真偽も判断できよう。
 
 ただし、当然のことであるが、稲穂黄金はモルデカイ・モーゼは真のユダヤ人で
 あるとことを信じて疑わない。というのも、この本はユダヤ人でなければ書くこと
 が難しいだろうことは直ぐにわかるからだ。

  ユダヤ人以外では、そもそも、この本の内容の趣旨自体が思い浮かびに
 くいだろうし、ましてや、この本の内容を洞察する社会学者が仮に日本に
 いるならば、その人の名前ぐらいはが聞こえてきても良さそうなものである。
 だが日本で、それだけ洞察に富んだ社会学者の存在など私は知らない。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来のユダヤへ




 ● モルデカイ・モーゼと未来の社会学者

 モルデカイ・モーゼの本が重要なのは、彼自身がユダヤ人であるからだ。
 ユダヤ人の中に、彼のような人が出てこないとしたら、ユダヤ人はだいぶその力
 を失っていることを証明することになる。

 特に彼が語る内容は、未来の社会学者には重要であるが特に日本の
 社会学者には必見である。

 数年前まで、稲穂黄金は彼の本の存在を知らなかった。
 稲穂黄金が、
初めてこの本を手にした時に、少し驚いた

 というのも、その本の内容が
新鮮であったからではない
 反対に、その本の内容が、稲穂黄金が戦後日本の歩みを考える上で、いつも
 頭の中で想像し、
思い描いてきた内容とほとんど同じことが語られていた
 からだ。さらにモルデカイ・モーゼが、それらの出来事の当事者の1人というの
 だから驚きである。

 戦後だけでなく、戦前において既にユダヤ的世界観が日本に入り込み、
 その為に多くの問題が引き起こされた。その趣旨に沿ってモルデカイ・モーゼ
 は多くのを語っている。
 彼は、戦後日本の占領政策(ユダヤ的戦略)を実際に遂行してきた当事者の
 1人があるとあるという。

 この本は、近代の大きな荒波の背景に、いかにユダヤ的世界観が関わって
 いたかを実際に示す証拠であると言える。
 この言葉をユダヤ人自身から聞けたことが特に重要である。

 この本の趣旨は、そのユダヤ的世界観が日本人の有り方を大きく歪め、
 弱体化させ、変質させたことを述べている。彼はその政策に加わった贖罪の
 気持ちをあり、その上で書かれた本である。

 確かに彼がいうように、戦前から戦後の日本はユダヤ的世界観の流入によって
 大きく歪められ苦しんた。悪いことに、その影響は現代にも続いている。
 だが、これは日本人が、日本人自身で取り扱う問題である。

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● ユダヤ的世界観の流入に気付いていた者

 ユダヤ人モルデカイ・モーゼだけでなく、ユダヤ的世界観の流入に気付いて
 いた者達は日本に存在した。
 それもモルデカイ・モーザが気付く数十年も前に、既に気付いていた。
 戦前の日本で既に気付いていた者がいるのだ。

 その人物は、明治末期、大正時代は、その背景を見抜いていた。
 その人物こそ、大本の出口王仁三郎である。

 だからこそ戦前の日本において
大本は狙われたのだ。
 大本はユダヤ的世界観に狙われた。

           動画           テキスト

 *ユダヤ的世界観と出口王仁三郎のことをこのサイトで語るのは本旨ではない。
  その内容の量もここではとても収まりきらない。
  以下のサイトで詳細に語っているから参照してほしい。


      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の出口王仁三郎
        稲穂黄金の未来のユダヤへ



 
● 資本主義とユダヤ社会

 ユダヤ社会にとっても、資本主義の勢いはすさまじかった。

 確かに資本主義とユダヤ的世界観は反するものではない。
 この地上を神の楽園だと考えるユダヤ的世界観を思い描くキリスト教の
 プロテスタントの一派の人々によって資本主義が生まれたのだと鋭敏な
 マックスヴェーバーも述べている。 
 (それは偶然の産物であった。)

 この大地こそが、この世界であることを標榜するユダヤ的世界観。
 この大地こそが絶対神がもたらしてくれた楽園であり希望であると考える
 
 ユダヤ的世界観にとって、どこまでもこの世界の経済的発展をもたらそうとする。
 資本主義とユダヤ的世界観は、決して相反するものなどではない。
 反対に同じ仲間に属するといえる。

 だが、そんなユダヤ人にとっても資本主義の流入の威力は凄まじいものであった。
 信仰を基礎とする日常を破壊しかねない程の力を資本主義を秘めていた。

 ユダヤ社会も資本主義と対峙して、防御策を講じる必要があった。
 その防御策として生み出された思想が生み出された。

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● ユダヤ社会とマルクス@

 マルクスは、資本主義から多くの人々の生活を守るために生まれたと言えるが
 本質を言えば、その為にマルクスが生まれたのではない。
 マルクスの登場は以下を意味する。

 
資本主義からユダヤ(人)を守ること。
 ユダヤ人が資本主義の攻勢をかわす為にマルクスは生まれたとも言えるのだ。

 資本主義は、確かにユダヤ的世界観を背景にする人々から生まれた。
 しかし、その資本主義の勢いは、ユダヤ人の信仰を揺さぶる力を有していた。
 子供が親に噛み付く可能性があった。

 だからこそ、マルクスの存在はユダヤ人にとってさらに必要なった。
 資本主義に対するユダヤの防御としてマルクスは用いられた。
 霊的な敏感なユダヤ人がマルクスを登場させたのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の資本主義
        稲穂黄金の未来のユダヤへ



 ● ユダヤ社会とマルクスA

 もちろん、マルクスにあなたは、ユダヤ人の資本主義に対する防御の為に
 存在しているなどといえば、マルクス自身、強烈に否定したに違いない。
 自分はユダヤとは無関係だと主張しただろう。
 
 だがマルクスほど、ユダヤ的世界観に囚われているものもなかった。
 マルクスはユダヤ的世界観から離れることの重要性は理解していたが
 そういう彼の頭の中は、ユダヤ的世界観で占領されていた。

 マルクスはどこまでもユダヤ的考えに慣れ親しんでいた。
 彼の思想を土台に生み出された共産主義自体がユダヤ的世界観がもたらした
 子供なのである。

 マルクスは愛するユダヤの同胞の為に一役買ったのだ。

 資本主義の一面を見抜いたマルクスの分析は概ね正確だった。
 霊的に敏感なユダヤ人は資本主義の利点も欠点も理解し、それをユダヤの為に
 役立てることを始めた。
 資本主義が始まると同時に世界中のユダヤ人が活発に活動し始めた。

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● マルクスも真剣だった

 ここでは以下のことを敢えて述べておく。
 マルクスは、頭は決して良くなかった。
 歴史上の賢人と比べれば、一目瞭然、頭は悪かったと言える。

 マルクスが哲学について語る内容も流れが実に悪い。
 話の展開にも余計なものが含まれている。

 なれど、確かにマルクスは、マルクスなりに良く考えたとは言える。
 マルクスを評せばこうなる。
 ” 
哲学的才能を特別にもたないが、考えて考えて、考え続けて、そうして
   あるレベルまで到達した人物
 ”

 特別にキラリと輝くところはないが、とにかくマルクスはマルクスなりに考えた。

 資本主義の攻勢により、多くの人々が資本主義に飲み込まれて、苦労を
 することにならないように、マルクスはその手立てを真剣に考えた。
 確かにマルクスは必死であった。

 なるほど、資本主義が人間に与えるマイナス的な面に対してのマルクス
 の考察は、ことごとく的中している。
 現代においても、ほぼ間違っていない。

 マルクスの考えを基礎として作られた共産主義は、マルクスが消極的に
 述べている部分を無視した。マルクスもその点の重要性には気づいていた。
 重要だと考えていたからこそ、本には書き残し、また消極的に述べたのだ。

 共産主義は、マルクスが消極的に述べた部分を無視した。
 だからこそ、後年、その無視し部分から問題が溢れ出てきて、最終的には
 大きなツケを支払う羽目になった。

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 * マルクスほど、自身の主張の弱点を知っている者はいなかった。
  だからこそマルクスは、彼の思想の弱点を補うために、その部分について
  必ず意味を補完している。必ず語っているのだ。
  ただし消極的に語っている。マルクスが消極的に述べた部分を共産主義者
  は見ないようにして無視した。無視せざる得ない面もあった。
  そうして、無視した箇所から綻びがでてきて滅んだ。



 
● 資本主義と共産主義

 後で再度述べることになるが、資本主義と共産主義は対立する関係ではない。
 マルクスの考えから生まれた共産主義、共産国家であるが、マルクスが述べた
 主眼は、剰余利益に対する資本家と労働者の奪い合いである。

 どちらが剰余価値をより多く得るかの戦いであるとマルクスは述べたのだ。
 共産主義もまた、経済的利益の取得を一番に掲げている。

 資本主義も共産主義も経済的価値に重きを置くことでは一致している。
 資本主義も共産主義も経済的価値に一番の重点を置いているがその能力が
 違うのである。
 
 受験勉強で表現すればこうである。
 以下の2人の彼いる。資本主義くんと共産主義くんである。

   
資本主義くん    学歴社会に価値を置き、成績優秀な優等生
   
共産主義くん    学歴社会に価値を置き、成績が悪い落第生

 どちらも受験勉強バリバリ肯定派。成績重視派。時にそれが鼻につく。
 2人とも考えは似ているが、大きく異なる所がある。
成績である。

 成績は正反対である。
 優等生の資本主義くん。落第生の共産主義くん。

 上記の2人と付き合いたい人はいるだろうか?
 大抵、あまり付き合いたいとは思わないだろうがそれでも資本主義くんは
 ある程度、もてるかもしれない。
 付き合うと大変なのは共産主義くんである。
 自意識過剰で誇り高いが、実力がまるで伴っていない男と付き合う女は苦労が
 絶えない。実際に共産主義を選んだ者達は、貧困と苦難の連続であった。


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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の資本主義



 
● 21世紀も資本主義の時代
 
 21世紀の中頃以降に資本主義は衰退を始める。
 それは人間の目にははっきりとは見えないが、それでも着実に衰退を始める。
 22世紀中には、資本主義は完全にその姿を消すようになる。

 だけれども21世紀は、資本主義の世紀である。
 21世紀に生を受けた者達は、誰もが資本主義下で生きる。

 夜明け前が一番暗いように、資本主義が衰退を始める直前まで資本主義は
 激烈な競争社会となる。資本主義の本性がいかんなく発揮される。

 戦国時代が最後を迎える関ヶ原の戦いにおいて、東西陣営であわせて
 数万超の鉄砲が使われて、もっとも激しい戦になって語り継がれれるように
 21世紀の中頃から衰退を始める資本主義も、その頃こそがもっとも資本主義が
 激しく多くの人々に強い影響を与えているのだ。

 21世紀の中頃から資本主義は衰退を始めるが、21世紀に生を受けた者達は
 誰もが資本主義の影響下にいるのだ。

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● 対立関係では決してない

 資本主義と対立するものは共産主義だと巷では、良く言われているが
 
資本主義と共産主義は、対立関係などでは決してない

 資本主義の対極に位置するものは共産主義ではない。
 同様に共産主義の対極に位置するものは資本主義ではない。

     
×  資本主義   ⇔  共産主義

 この2つは非常に似通っている。
 共に経済的な利益の向上、資本の増加を目指している点では一致する。
 資本主義は資本の増加、共産主義は生産力の増加を目指している。

 この2つは共に同じ方向を向いて歩いている。
 共に、抱えている価値観の多くも共有している。
 ただし、一番の違いは
成績である。

 先ほども述べたが、資本主義は成績優秀な学生である。
 共産主義は成績最悪の学生である。その違いがある。

 資本主義も共産主義は、腹違いの兄弟といったところだ。
 実際に資本主義も共産主義も、ユダヤ的世界観から生まれているものである。
 再度述べるが、資本主義と共産主義は対立関係などでは決してない。

 資本主義、共産主義と対立しているものは、
伝統的価値観である。

      
    資本主義
        
・||・     ⇔   伝統的価値観
           共産主義

 伝統的価値観とは、マックスヴェーバーが述べた言葉であり、神仏を中心に
 した日常を大事にする人々の価値観である。
 経済的利益、生産力向上なんかは2の次に考える生き方をする価値観である。

 食べれる分、衣食住の分だけあれば、それ以上の富、商品を望まない人々の
 こととも言える。もちろん豊かであればそれに越した事はないが、
 伝統的価値観に生きる人にとって、それすらどちらでも良いことなのである。

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 ● 伝統的価値観を軽視する共産主義者

 人間は、この大地で生活する為以上の生きる意味を問う存在である。
 でなければ、古代ローマのような文明は生まれていないし、優れた芸術で
 ある絵画や音楽、彫刻を生み出すこともなかった。
 それが人によれば、美術の美ではなく、神になったりする。
 これを伝統主義的価値観とマックスヴェーバーは呼んだ。
 ここでは広い意味でそう呼ぶことにする。

 共産主義者になる連中というのは、この伝統的価値観を軽視する連中である。
 もっというと無視する連中である。
 なぜなら共産主義者は、この世界に救いを求めるからだ。
 彼らは、救いを人間の外部にあるとみなすのだ。

 共産主義者はユートピア建設であったり、それと同様な共産国家の樹立で
 あったり、それを支えるイデオロギーであったりと考え、その形成に熱中する。
 彼らの救いはあくまで、人間の外部にあるのだ。

 それに引き換え、芸術、音楽、そして学問も人間の内部にこそ核心が存在する。
 美の判断基準は我々の内部に備わっている。
 内部にこそ最上に至る原型があり、人間の内面を深めていくことが学問の発展
 につながり、芸術の発展に繋がるのだ。
 
 共産主義者、共産国家はそれがわからないから、彼らの生み出す芸術と
 きたらガラクタ揃いであるのだ。

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● 伝統的価値観を無視することのツケ@

 伝統的価値観を無視するのは、共産主義だけではない。
 
資本主義もまた伝統的価値観を軽視する
 
 我々、人間の日常は確かに生活の為に多くを費やす。
 だからといって我々、人間は生活する為にこの地上に生きているのではない。
 永遠なるものに通じる生き方を我々の奥底は望んでいる。

 資本主義、共産主義の経済第一の社会の中において、人間があまりにも
 伝統的価値観を大事する生き方から離れた場合に、人間には思いもかけない
 ツケを払わされる。
  人間本来の姿から離れれば離れるほど、人間はそれに気づかないが
 社会全体で見ればそれが大きな問題となって我々に迫ってくる。

 経済第一の社会において、それが実際の富だけでなく、人々の賞賛、
 経済を第一にする価値観の移行が進めば進むほど、多くの人々の中から
 人間として生きることに対するズレが生まれてくる。
 そのズレが小さい内は良かったが、知らない間に積み重ねられていく。
 そのズレがいよいよ多く積み重なると、人間社会に多くの問題となって
 返ってくるのだ。

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● 伝統的価値観を無視することのツケA

 資本主義社会における
自殺率の高さはそれを如実に物語っている。

 特に日本においても年間3万人以上の人が自殺で亡くなっている。
 一日に100人近い人が自殺しているのだ。
 自殺未遂、自殺願望を含めれば、その数は数倍から数十倍になるであろう。

 もちろん、昔から人間社会において自殺の問題はあるにはあった。
 なれど、近代における人口に占める自殺率の高まりは尋常ではない。
 それほど近代は、伝統的価値観の存在を軽視してきた。

 自殺率の高さは共産主義社会も同様である。
 前に述べたが資本主義も共産主義も相反する主義ではない。

 経済を第一にすることでは、価値観を共有している。
 同じグループに属する。
 資本主義が優等生で、共産主義が落第生いう能力の違いに過ぎない。

 共産国家は、経済的にはまったく成功しなかったが、その社会でもやはり
 生産の向上、経済的利益の拡大が中心になっている。
 それゆえ、そのような価値観一辺倒に縛られた社会に暮らせば、人々は
 徐々に蝕まれる。
 
 人間が
伝統的価値観から大きく離れた場合、その反動が
 人間社会にもたらされるる。

 これほど日本において自殺が突出しているのも、戦後日本こそ伝統的価値観
 を放棄して経済的価値観を最重要視したことによる反動が起きているのだ。
 伝統的価値観が軽視されていることと無関係では決してない。
 
 現代の日本において、何らかの政策で仮に自殺率が低下したとしよう。
 そうすると、今度は違う形となって社会に問題が表れてくるだろう。
 例えば鬱(うつ)病の増加や、子供への虐待などとなって現れたりするのだ。

 問題の本質が改善されていない為だ。
 社会学者は、この伝統的価値観の存在の影響を決して忘れてはいけない。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の資本主義



 
● 目に見えない強力な変化@

 経済的な変化は、確かに人間社会に大きな変化を与えてきた。
 しかし、この我々の人間社会をもっとも力強く動かすのは経済的な問題では
 決してない。確かにその経済的な利益を求めることで何度も戦が起こって
 きたことも事実ではある。

 経済的な変化による人間社会の影響はわかりやすい。
 確かに人間社会は目に見えて影響を受ける。
 なれど一番強力ではないのだ。
 偉大な古代ギリシャや古代ローマにしてもそれらの文明を創ったのはまさに
 彼らが信じる理想の人間像、それに伴う芸術、学問の開花である。

 ローマは確かに経済的利益を求めたが、それは経済的利益も、というように
 それが主目的ではないのだ。
 ササン朝ペルシャも同様に、彼らの信じる人間の理想像があり、神があり、
 それを土台に彼らの国を創ったのだ。
 ヨーロッパのルネサンスにしても、それは人間の正常な精神を取り戻す戦いで
 あり芸術と学問の復興である。

 表向きは、経済的富、名声、権力を求めることによって社会は大きく動きそうに
 見えて、実際には人間本来の姿を求めようとする見えざる力、強力な力が
 社会の奥底に流れているのである。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の歴史家へ

        稲穂黄金のローマ


 
● 目に見えない強力な変化A

 社会学者はこの点を忘れてはならない。
 再度述べるが、この点においてマックス・ヴェーバーは良い模範を示した。

 資本主義を生み出す原動力になった人々は、資本主義から連想されるような
 経済的な富を得ることに喜びを見出すような人々とは無縁の人々であったと
 マックス・ヴェーバーは述べた。

 これらの人々は、経済的な豊かさを求めたのでも、ましてや王様、貴族の生活
 を求めたのでもなかった。彼らは真剣に
神を求めた人々であった。
 彼らの生活は質素であり、彼らの日常は神との対話であった。

 そんな人々から資本主義が生まれたのだ。
 経済的富には無関心だった人々の神を思う気持ちが、資本の増強、経営の
 効率化を求める資本主義へと繋がったのだ。
 そしてそれも
偶然の産物であったとヴェーバーは述べた。

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 ● 簡単に変化する社会制度@

 多くの人の多数決によってもたらされる民主主義も、少数の者達の決断に
 よって満たせることがあるならば、多くの人々は選挙に興味を持たずに
 投票することもなくなる。実質的に少数者によって決定されるようになる。

 合理的な経営に投資し、その投資があたらな投資を生み出す資本主義も
 超システム化によってシステムとロボットによって人間の労働がとって変わられ
 それらの消費エネルギーが自然エネルギーによってまかなわれる自体に
 なれば、資本主義は急速に衰退していく。

 人類が労働しなくても機械が動き続け、ロボットの普及で人間の頭脳作業
 が減り、人類が仕事を行わなくても生活でき、欲しい商品が我々の手元に
 提供されるなれば、いずれ資本主義も跡形もなくなる。

 当たり前であるが、社会体制の構築の為に人間があるのではない。
 経済体制の構築の為に人類があるのではない。

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 ● 簡単に変化する社会制度A

 人間が2つの行為(地上で生きる行為と、人間の理想的な実践)を行うことに
 スムーズに行える社会があるならば、そちらの方がより快適だと思われた
 ならば、人々は簡単に新しい制度に飛びつくことになる。

 確かに現在の民主主義や資本主義は、ある程度、その点を満たしている。
 なれど未来になって、人間が生きる為に必要不可欠な行為が科学の力に
 よって成し遂げられ、人間の行う役割がさらに減少したならば、さらにそれに
 適した社会を人類は選択するようになる。
 民主主義も資本主義も、何気ない理由で、他の制度に簡単にとって
 変わられることさえあるのだ。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の歴史家へ



 ● この大地を人間が生きる意味@

 人間がこの大地を生きる意味を真剣に見つめることは大切である。
 それがわからない人は、この世界に生きたとは多分言えない。

 我々は、この大地を生きている。この世界を生きている。
 その上で、食事をして、服を来て、そうやって生活する。 
 欲しい商品も出てくる。その為にお金を増やすことが必要になる。

 だが以下の質問をしても、多くの人はNOと答えることだろう。
 『 あなたは金を手に入れる為にこの世界に生まれたのか?』
 『 あなたは安楽な生活をする為にこの世界に生まれた?』

 皆、その為に、自分が生まれたのではないことを知っている。
 敢えて口にはださないが、皆がそのことを知っている。

 価値があるように見えて、実はないということを。
 もちろんそれらの物を決して無視できるようなものではないが、それでもそれを
 手にいれる為に生きているのではないと。

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 ● この大地を人間が生きる意味A

 多くの人々にとって、この世界とは食べて寝て遊んで、食べて寝て遊ぶであり
 それが彼らの合言葉であり、彼らの人生である。

 だがそんな彼らも時に、わずかながらでも目覚める時がある。
 優れた芸術作品、古代遺跡意に触れて、感動するときもある。
 もちろん、それを見ても彼らはすぐにもといた場所へと帰っていくのだが。

 そうやって懸命に働いたことを誇らしく思う反面、こう思うのだ。
 『 一生懸命、会社で定年まで働いてきた俺の人生とはなんだったんだ?』
 『 経済的に豊かになって老後に海外旅行をたくさん言ったが、
   それがいったい何だったのか?私が地上で生きて意味はそれなのか?』

 死を前にするとき、多くの人は上記のことは1回は考えるかもしれない。
 そうやって死を目前にした時に、魂を輝かせ絵を描き続けた画家の生涯や
 人々を真に救おうと邁進した宗教家の生涯を知るに及んで、それらの人々が
 まさに輝いて見える時がくるのだ。

 もちろん死を目前にしても、それに気づかない人々もたくさんいる。
 人類の大部分は迷妄と愚鈍の内にある。
 現世的な欲望にいつまでもしがみついている老人もこれまた多い。

           動画           テキスト

      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の神と仏と人間と
        稲穂黄金の未来の人間へ



 ● 表面的に見えること、その内部で起きていること

 様々なレベルの、様々な欲求をもつ人々がこの大地に生きている。
 この大地を人間が生きる意味、その真剣な問いは、様々な年代の人々から
 強弱の差があるが、発せられる。
   それは確かに声なき声ではある。
 だがこの声なき声が、うねりなれば、社会を急速に変化させるのだ。
 これを社会学者は忘れてはいけない

 氷河で覆われた大地も、その下では春の訪れが来ているのである。
 表面的に氷で覆われている大地も、その内部では水となって流れている。
 表面的に穏やかな山であってもその地中深くではマグマが活動している。
 
 表面的な人間社会の裏側で、押さえつけられた人々の欲求が活動している
 ことを社会学者は忘れてはいけないのだ。

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