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『これからの知的生活』
今後の未来の知的生活と
それを味わうための生き方!
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物理学と数学 |
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ここで述べることは物理・数学を問わず科学を志す人の必須項目である。
以下の内容について大学の理系学部で習えることはないだろう。
あなたが21世紀の科学分野で縦横無尽に活躍したいなら必須の内容である。
● 数学 = ア・プリオリな学問
数学はア・プリオリな学問である。
数学が基礎と置いている最終判断(=定義)は脳の直観に委ねられている。
図形を扱う幾何学でそれは顕著になる。
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● 物理学 = ア・ポステリオリな学問
数学がア・プリオリな学問であることは述べた。
その点 物理学はア・ポステリオリな学問である。
この点が数学と物理学がまったく違うところである。
数学では2等辺3角形の2つの辺の長さが等しいことは直観でわかる。
小さい子供でもこの辺の長さと同じ長さはどの辺だといえば分かるのである。
別にユークリッドの証明のおせっかいはいらないのだ。
しかし物理学で天体の万有引力の法則のこと、加速度に比例して力が
増えることに気づくには経験(実験)が必要である。
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● 数学 = 脳の表象機能についての学問
数学は人間の脳の表象機能についての学問である。
表象上の形式に基礎を置いている。
だから数学で扱う図形は脳内でイメージした図形と矛盾がないのである。
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● 物理学 = 脳の表象機能に展開される物質の作用の研究の学問
物理学とは脳の表象機能に展開される物質の作用の研究の学問である。
人間の脳の表象上に繰り広げる物質の作用を研究する学問である。
その物質が帯びる自然力の探究でもある。
自然力は重力であり、電磁力である。化学的結合力もこの範疇にある。
物質が帯びる自然力がもつ規則性が物理法則である。
そしてその規則の表れは因果である。
つまり原因があり、結果があるという因果律が必ず適用される。
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● 数学はよってアプリオリな学問である。
数学が人間の脳機能に生まれながらに備わっている表象についての
学問であればそれはつまりア・プリオリな学問になる。
数学を経験によらずして体系化していっても矛盾を生じさせない学問である。
なぜなら根本的な判断は人間誰もが生まれながらに備わっている脳機能内
にあるからである。
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● 物理はよってアポステリオリな学問である。
物理学は本来人間が備えている表象についての学問ではない。
その表象上で繰り広げられる物質の動き(作用)の研究である。
だからそれは直観的ではなく、経験的に把握していくことになる。
つまりア・ポステリオリな学問になる。
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● 哲学用語@
哲学用語のア・プリオリとア・ポステリオリ
その言葉は哲学者カントが述べた言葉である。
数学はア・プリオリな学問
物理学はア・ポステリオリな学問
カントの偉大な業績が科学界の進む方向に影響を与えないわけにはない。
いきなりア・プリオリやア・ポステリオリなどの哲学用語を聞いてもすぐに
理解できないのは当然である。
以下を参照して欲しい。ゆっくりと読み進めていくと良く理解できるだろう。
⇒ 哲学の歩み
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の哲学者へ
』
● 数学と物理学の探究対象。
数学は脳の表象上の空間と時間の形式を扱う。
物理学は物質が帯びる自然力とその因果律を扱う。
数学の判断基準は全ての人間の脳内に共通に存在している。
数学の定義はその脳の直観に寄り添っている。
19〜20世紀には、あえてその直感から離れた数学も試みられた。
それが非ユークリッド幾何学であり、ヒルベルトの構造主義であり、
超数学(メタ数学)へと続く流れである。
しかし、数学がこの直観形式から一端離れようとも、完全に離れる事などない。
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● 表象機能と学問の関係
人間の脳は、いくつかの表象を頼りにして学問を形成する。
学問と名がつくものは皆、これらの表象を頼りにする。
どの学問であっても例外はない。
それらの表象で扱える範囲こそが学問の対象なのである。
学問で利用される表象は何個あるだろうか?
4つ存在する。
これらの4つの表象はそれぞれに根拠律を有している。
論理機能も、もちろんこの4つの表象の内の1つ表象を舞台にする。
この4つの何れかの表象の根拠から、論理的に導かれたものだけが、
我々人間にとって知的に正しいといえる。
そこで初めて知的正統性があると言えるのだ。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の学者
』
『 稲穂黄金の未来の科学者
』
● 数学で扱う表象@
数学では4つの表象の内、いくつの表象を利用しているのだろうか?
答えは2つである。
2つの表象の名前は以下である。
直覚的表象2と抽象的表象である。
図形を扱う時のフィールドが、直覚的表象2である。
方程式や数などの計算のフィールドが、抽象的表象である。
だから前に表象機能と呼んでいたものが、この直覚的表象2に該当する。
論理機能と呼んでいたものが、この抽象的表象に該当する。
よって前に、数学とは表象機能と論理機能の折り合いと表現したが、
正確に表現すれば、直覚的表象2と抽象的表象との折り合いと言える。
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* これらの表象の意味と、学問ごとに利用する表象の種類などを
人類に教えたが人類史上最高の天才ショーペンハウアーである。
200年以上も前の出来事である。彼の登場で、人間にとって知的に
正統性をもつとはどういうこと事かが明白になった。
● 数学で扱う表象A
数学者は、各自、数学をしている時に、頭の中で、この2つの脳の機能を
利用しているなどという事には、まったく気付いていない。
この2つの表象の折り合いが問題なのだという事にまるで気付けない。
数学者は、概ね楽観論者でしめられ、能天気な者も多く存在する。
数学者で深遠さを醸しだすものなどいないのである。
数学の歴史とは、脳の中の2つの機能(=表象)の関係を矛盾なく、いかに
寄り添えるようにするかを探る試みであると言える。
数学に関する多くの問題や出来事は、この2つの表象の折り合い
が順調ではなかったことを物語る。
うまくいかないからこそ、数学に関する様々な出来事が発生した。
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* 数学者で深遠さを醸しだす者など、皆無に言ってよいほど存在しない。
だが、もちろん例外は存在する。レオンハルト・オイラーである。
18世紀最大の数学者である。彼は、深遠さを兼ね備えていた。
(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の究極の数学
』
● 数学の自由性について
無限の世界に切り込んだ、カントールは晩年にこう述べた。
”数学の本質とはその自由性にある”と。
もちろんカントールのこの発言は、それはそれで正しいのであるが、
正確な表現ではない。以下のように表現することが正しい。
”数学が扱う脳の表象の自由度が高い”
これだけではピンとこないかもしれない。
さらに詳細に説明すると以下になる。
” 数学が扱う抽象的な表象(抽象的表象+直覚的表象2)は、
いずれも直覚的表象がもつ根拠律、つまり因果律を有してはいない。
その欠点と引き換えに、多くの自由を手に入れた。
それゆえ、数学には眼前の世界に縛られない自由さがある ”
現実の世界の出来事に比べて、数学には、その自由さがある分、それゆえ
現実ほどの根拠を有することがない。そういう欠点を数学は持っている。
この点も数学者は、頭の片隅に入れておく必要がある。
ゲオルク・カントール
彼の無限への挑戦は、前人未到である。愛すべき数学者である。
彼の業績は、数学史に輝く。数学者の情熱の高さを世に知らしめた。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の科学者
』
● 数学と物理学の現実性について@
数学とはア・プリオリな学問である。
数学が利用する表象は、抽象的表象と直覚的表象2である。
どちらも抽象的な表象を舞台とする。
それに対して物理学とは、ア・ポステリオリな学問である。
物理学が利用する表象は、直覚的表象と抽象的表象である。
物理学は、直覚的表象と関わり、この世界を探究して、この世界から
経験的に真理を取得する。
物理学にとって観察は重要であり、この世界との密接な関わりを有する。
直覚的表象が有する根拠律が因果律である。
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● 数学と物理学の現実性についてA
数学においては、その直覚的表象との関係を有さない。
それゆえ数学においては因果律との関わりはない。
数学は、この世界に対して経験的なアプローチを特に行う理由もない。
それゆえ数学は、確かにこの世界に縛られない自由さがある。
なれどそれゆえに現実世界での根拠を有さない時が往々に発生する。
これが時に、人々に大きな違和感を与える。
数学的思考を現実世界に適用した時に、結果的に発生した差、その違和感が
人々を驚かせる。それがパラドックスである。
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● 数学におけるパラドックス@
数学においてパラドックスと言われるものがある。
一番有名なのは、ゼノンのパラドックスである。
アキレスと亀のお話である。
アキレスが亀を追いかけて、亀が以前いた場所まで到達する。
その時、歩みの遅い亀であるが、前の場所よりは少し前にいる。
アキレスは再び亀が以前いた場所に到達する。
歩みは遅い亀ではあるが、されど、その地点よりは少し前にいる。
そうやって繰り返していくと、いつまでたってもアキレスは、亀を追い抜けない
というお話である。現実には簡単に亀を追い越すのにである。
今から2000年以上も前に、世に知られたパラドックスの1つである。
数学には、様々なパラドックスが存在する。
そうして、これらのパラドックスが起こるというのも、数学の範囲が
物理学(≒自然科学)と異なり、抽象的な表象に留まるということを、
そのことを忘れて現実の世界でも成り立つだろうと思い込んでしまう事から
概ね、パラドックスは発生する。(理由はそれだけではない・・・・)
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● 数学におけるパラドックスA
物理学は、眼前の世界、つまり直覚的表象を扱う。
なれど数学においては、直覚的表象を対象にする理由はない。
現実との確認は不要である。 もちろん、その数学的結果が実際の現実に
該当し、うまくに適用される事は多々存在する。
なれど数学の幾何学や解析学などで扱う表象は、直覚的表象2と抽象的表象
であり、共に抽象的な表象を舞台にしている。
パラドックスとは、抽象的表象の舞台のものを、さも現実でも同様であろうと
無意識に、直覚的表象の上に持ち込んだ結果、引き起こされる。
人間は暗黙的に持ち込んでいることに気付かない。
だから、パラドックスの内容を知ると、どうしてかな〜と不思議がることが
起きるのである。(パラドックスについての詳細は以下のサイトを参照)
動画 テキスト
(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の究極の数学
』
『 稲穂黄金の未来の科学者へ
』
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