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『稲穂黄金の本の紹介』
稲穂黄金が読んできたたくさんの本の中からもっとも素晴らしい本ご紹介します
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物理学の欠点 |
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現在、もっとも真摯に真理を追究する物理学。
哲学が大幅な退歩したときも、物理学は1人で真理と向き合ってきた。
そんな物理学にも欠点が伴う。その欠点をここで述べよう。
● 因果のドミノの中に埋没しやすい
科学は因果の連続である。原因があり結果がある。
科学はドミノ倒しに例えることができる。前が倒れて次が倒れる。
すべてのものには原因と結果がある。
だが ドミノの前後を見てばかりいると、ドミノ全体としてどういう形であるのかを
把握するのを忘れる。
因果ばかりを追い、その全体の意味を見失うことがあるのだ。
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● 全てが1つから派生したと考えやすい@
物理を追及することは物質の作用を把握することにある。
そして物理は原因から原因へと遡って探究が進む。
確かに原因を遡るたびに、原因の数は減り、ついには最初の1つの原因へと
と向かって収束する。
ビックバン説、進化論、アダム・イブ論、ミトコンドリア・イブ説など
科学者の中には何でも最初の1つの原因に帰一して考える者がいる。
果たしてこの中の何個が真に1つの原因へと遡れるのか!?
アダムとイブの1組より人類が始まったという考えはナンセンスそのものだ。
アフリカ象とインド象が1組のつがいから派生したと考えるぐらいナンセンスだ。
日本とヨーロッパの川の上流に各々生息する淡水魚が同じ1組のつがいから
始まったと考えるしたら、それは明らかに聖書の影響である。
どうやって海を越えて他の山奥の川へ移動できたというのだろうか?
途中に海があるのに淡水魚は渡れないではないか!?
事実は世界中の同じ環境には本当に良く似ている生命が他の地域とは
直接関係を持たずに、出現してきたというのが正しい。
この世界は起こり得るものが空間を越えてすべての場所で起こり得る欲求を
宿しているといえるのだ。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の生物学者へ 』
『 稲穂黄金の未来の宗教家へ 』
『 稲穂黄金のユダヤVS賢者 』
● 全てが1つから派生したと考えやすいA
この世界そのものがある1つの高濃度の塊から、ある要因によって爆発して
膨張が始まったという考えがある。ビッグバンである。
確かに可視化された世界だけの話というなら、ありうるかも知れない。
物質の本質は決して空間と時間の影響を受けず、表象上に物質を表現するとき
に空間と時間のルールを適用しているのは我々の脳である。
我々が表象上に展開する上では確かにそれもありえるかも知れないが
だがその時には目をもった生命が誰もいないという事実もある。
可視的な表象上の世界はその時にはどこにも、まだ存在していないのだ。
だから確かに可視的な世界の意味ではビッグバンはありうる話ではあるが、
実際にその時に可視的世界として表象する目をもった生命など
いないのだからその時の世界は可視的世界とは言えない。
それ以外の世界の話になる。
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* その意味で最初に地球上である生命(個体)が目を開いた瞬間というのは
とても大きな意味を持つのだ。
● 何でも2つに分けてしまう
0であっても+1と -1 を合わせたものと考える癖が科学者にはある。
確かにそうやって2つの数を利用することで科学が始まるのだが、分けないで
そのままで真なのであるということ忘れやすい。
計算する為には2つに分ける必要がある。しかし分ける前のその物の姿こそが
その物の本当の姿であることを科学者は往々に忘れるのだ。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の数学者へ 』
● 数式が思想を導くのではない
一部の物理学者の中には、数式をいじってれば何か生まれるだろうと
考えている人がいるものだ。
数式をいじっていれば何か新しい法則が生まれると考えている人が
新しい物理法則を生み出すことなどはない。
なぜなら一流の物理学者は数式が何かを導こうと考えているのではなく
頭にある括弧とした世界観があり、その世界観を数式で表現することで論理的な
根拠を得ようと考えているからだ。
物理分野で何かを残したいと望むなら、大きな構想(世界観)を持ち、その構想
を法則化することに力を注ぐことである。
アインシュタインはその意味で後世の物理学者へ良い例を示した。
彼は思想を哲学から借りて、その思想を数式化することに重点を
置くことを心がけた。彼の独創的な考えと言われるほとんど多くが、以前より
哲学者が触れて、述べてきた内容である。
数式が思想を導くのではなく思想が数式を導くのだ。
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* アインシュタインが思想を哲学から借りて、数式化することに注力したから
といってアインシュタインの業績が否定されることなど何もない。
アインシュタインは努力家であり、誠実な愛すべき科学者である。
● 哲学を知らない@
物理学者の大半は哲学を知らない。
だからカント以後の哲学のもっとも中心的な議題、認識の切り分けを知らない。
先天的に知られるア・プリオリと経験的に知られるア・ポステリオリを知らない。
だから既にア・プリオリに知られることを、わざわざ熱心に証明することに
取り組むことが起きるのだ。
例えば質量保存の法則である。 この世界の物質が増えも減りも
しないことは既に我々にはア・プリオリに知られる。
手品師がチンパンジーの目の前でバナナを箱にいれて消した場合、
チンパンジーは箱の中を調べ、さらに手品師の手や体を一生懸命に調べる。
チンパンジーでさえ物質が消えたりしないことをア・プリオリに知っている。
もし仮に、物質が増えも減りもしないことをア・プリオリに知らないとしたら
誰も手品師の物体消失、瞬間移動の手品を見ても、まったく驚かないだろう。
あり得るね!なんていっているだろう。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の哲学者へ 』
● 哲学を知らないA
18世紀、ラヴォアジエは実験をおこない、化学反応の前後で質量が変化しない
質量保存の法則を発見したというが、こんなものは2000年以上前から哲学者
が何度も何度も述べてきたことである。
18世紀当時の科学者は質量保存則に驚き、科学者が初めて証明したのだと
多くの科学者がそう考えていたのだが、それはあまりにも無知すぎる。
物質がなくならないこと、増減しないことはア・プリオリの認識である。
我々の脳の直感に備わっていることなのだ。つまり自明ということだ。
確かに自明のことを証明することの意義もないわけではない。
だが物理学は経験的なア・ポステリオリの学問である。
実験と検証を得て、それが法則として真だと見なす。
経験的に知られる無数のことがこの世界にはまだまだたくさんある。
どうせ探求の知的エネルギーを費やすなら、その経験的な方向へエネルギーを
費やすことが効果的であり、物理学の発展に貢献するのだ。
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● その名は物理学者@
今まで物理学者の欠点について述べてきたが最後に良い面を述べよう。
現代の物理学が到達した内容は確かに深遠である。
表象上の物質へのアプローチでは物理学がどんなに進歩しても必ず未知数X
を残す。 確かに自然のすべてを把握することは困難であり不可能である。
しかし物理学の進歩は脳内の論理的思考を司る脳の仕組みを提示していく。
脳の論理的理解の複雑さにあわせて物理学の内容も複雑に高度になっていく。
物理を探求するとは脳の論理的機能を把握することに繋がる。
数学は脳の表象的機能と論理的機能の2つのずれを提示する学問。
物理学は脳が自然を論理的に理解するときの限界を提示する学問。
物理学者は自然法則を簡単な数式で表現することに勉める。
物理学者はエレガントさを好み、高度で複雑な物をなるべく解りやすい記号に
置き換る誠実な者達である。
真摯な探求者の誇り=明快さを保持することを
数百年の昔から現在に至るまで物理学者は忘れていない。
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● その名は物理学者A
この世の姿を解明しようと努める者、その名は昔、哲学者に与えられていた。
19世紀以降 その言葉は物理学者が一番ふさわしい。
現在、もっとも真剣にこの世界の真理を探究する人の名は物理学者。
偉大なるカント以後、哲学は方向を見失い哲学は堕ちるに堕ちた。
様々な自然現象、宇宙の詳細ついて誰も哲学学者には尋ねない。
多くの人が尋ねるのは物理学者(科学者)である。
哲学者に代わり、多くの人の疑問に答えるのは物理学者となった。
この世界を知悉し法則化を試みようとする誠実な者、その名は物理学者。
未来の若き物理学者よ、この世界を知悉して、覚醒せよ!
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