物理学とはア・ポステリオリな認識から始まる。物質に帯びる自然力を解明するのが物理学である。それは経験的に発見される。
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物理学とは

 ここ数百年、真理を追求する者の名は物理学。
 物理学の本質についてここで述べよう。


  ● 物理学とは@

 物理学とは
脳の表象機能に展開される物質の作用の研究の学問。
 脳の表象上に繰り広げる物質の作用の研究とその物質が帯びる自然力の
 探究である。

 自然力とは根源的な力であり、それ以上説明不可能で他の何かによって
 導かれる力でもない。
 
自然力は他の何かの原因から導かれるものでは決してない。

 自然力は重力であり、電磁力である。化学的結合力もこの範疇である。
 物質が帯びる自然力がもつ規則性、それが自然法則である。
 そして自然法則はもちろん因果性として我々の表象上に現れる。
 物理が探究すべきはこの自然力の規則の探究である。

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  ● 物理学とはA
 
 物理学は以下を前提にして法則化する。
 
時間と場所を問わず同じ条件化では必ず同じ現象を発動する。
 これが成り立たない場合、物理法則とは見なせない。

 これはまた物質の本質を表している。 
 物質の本質は
時間空間を含まない。
 その為、物質が直接、時間と空間の影響を受けることはない。
 よって物理法則はいつでも(時間)良く、またどの場所(空間)でも良く、条件が
 整いさえすれば必ず発動する。

 物質の本質は時間と空間を含まない。
 表象上の物質に
時間と空間の形式を適用するのは我々の脳である。

 カントの偉大なる
先験的感性論である。
 先験的感性論の正しさはその意味でも証明される。

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● 物理と自然力

 物理学とは物質についての学問である。
 我々の表象にとっての物質とはどこまでも作用である。
 物質=作用といってよい。 だから物理学とは作用の学問である。

 物質は因果法則の適用をうけ、また自然力を帯びる。
 その代表的な1つが重力である。

 物質であるならば必ず重力を帯びる


 物質に内向きの重力だけがあるならば物質自身が1点に収束してしまう。
 物質が自身の形を維持する為には重力と同様の大きさの
反発力(斥力)
 必要だと述べたのがカントである。
 それから200年後の20世紀にアインシュタインがこの反発力(斥力)を
宇宙項
 として提出したことは世に知られる。

 物質の作用と物質ならば必ず帯びる力(=自然力)の法則性を探究するのが
 物理学である。 その両方の性質を調べることが物理学者の仕事になる。

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  ● 自然力と未知数X @

 自然力は根源的な力である。よって原因を他に求めることができない力である。
 もちろん他の力に変換することはあるがそれが原因の力ではない。
 自然力はそれ以上の原因探しはできない。それ以上究明できないのだ。

 よって物理学は最終的にはこれ以上
説明不可能な点に帰一する。
 その為に科学的アプローチは必ず
未知数Xを必ず残してしまう。

 哲学的に言えばこうなる
 『 物質は意志の表れである。表象上にその姿を表す。
   我々の意志から表象上の物質の作用をいくら探求してもその物質の
   奥にある本質を理解することはできない。表象上からのつまり科学的
   アプローチではベールは包まれており、未知数Xを必ず残してしまう。』


 (科学的アプローチ)
 我々(
認識物質(表象上の意志の現われ) 本質?物質(意志)
         ↑ 科学がどれほど進歩しようが
           このアプローチでは必ず未知数Xを残す

 科学的がどれほど進歩しようが、表象上の物質に対して探求のアプローチでは
 必ず未知数Xを残してしまう。

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  ● 自然力と未知数X A

 だが仮に我々の意志から表象を経ずして直接物質の意志へ直接経由して
 いく経路を経ることで、その物質の本質にたどり着くことができるかもしれない。

     --------------------------------------------→
     ↑                                 ↓
 我々(意志物質(表象上の意志の現われ) 本質?物質(意志)

 既にこういう存在はこの世界にある。 音楽である。
 音楽は我々に表象を経ずして直接我々の意志へと届く。
 音楽を聴くことが一気に我々の心に世界をもたらし、高揚させる。

 認識経路の変更により物質の本質を真に知る方法を確立しようと挑戦するのは
 200年先の話である。23世紀の物理学の問いの1つとなる。

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 * 音の世界はこの世界と同様の構成をもつ。音楽は芸術の中でもっとも
    制限の少ない芸術である。芸術の中の芸術であり最高の芸術である。


   (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の芸術家へ


  
● それ以前に大命題がある

 科学的アプローチでは必ず残ってしまう未知数Xの存在。
 しかしそれ以前に探求すべき大きな命題がある。
 以下の
2つの命題である。

@ 我々が表象上に認識する物質(無機物)の作用は全て計算可能か?
   方程式化できるか?
 』 という命題が1つ目である。
 これは主に数学の命題である。

A 『表象上の物質の作用がすべて、論理的ステップで説明できるか?
  つまり実験で把握、検証、再現可能か?
』 という命題が2つ目である。
 これは主に物理学の命題である。
 この2つの命題は数学と物理学において21〜22世紀に語られる命題である。

         動画           テキスト

     (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        稲穂黄金の未来の哲学者へ
   
    『 稲穂黄金の未来の数学者へ

        『 稲穂黄金の究極の数学へ


  ● 不確定性原理と数学の発展

 『 物質の粒子の
位置運動量を同時に観測する時、不確定原理の基準を
 越えてさらに精度の良い(=少ない曖昧さ)測定をすることは不可能である。
 これは実験器具がどれほど向上してたとしても光の
粒子性波動性
 
二重性により誤差が生じてしまう 』 

 今から約80年前にハイゼンベルクが述べた
不確定性原理である。
 この話は以前に述べた2つの命題のうち@にかかわる。

不確定さ儿を残して良いから法則として無機物の全ての自然現象を方程式化
できるかという命題と関連する。これは今後、数学の発展が必要である。
数学が矛盾なく、モデル化できるかということにまず関わってくる。

         
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● 感官の限界

 不確定性原理を述べる以前に感官について述べる必要がある。
 たとえば物質が移動したことを我々の脳が表象する時に我々の感官がそれを
 捉えるまでにはある一定の量(移動量)が必要である。

 その最小値が
感官の限界である。 
 しかしこの最小値よりも無数の状態が存在している。
 しかしその状態を我々の脳では決して把握することができない。

 感官が捉えることができないもの(量)はどれほど実験器具や手法が発達
 しようが把握することはできない。

 物質の粒子が震動してある一定量を越したときに物質の移動が行われ、
 その時に我々の脳は表象上にそれを捉える。
 その時、移動したと判断することができる。

 その一定量に達する以前の無限に存在する各段階の微小の量について
 我々が知りえることは決してない。
 感官の限界不確定原理の関係を知ることが今後、重要となる。


         
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● 不確定性原理と感官

 位置とエネルギー量を正確に測れず、曖昧さが残るというという不確定原理で
 あるが、その対象はあくまで我々の感官の把握可能な範囲の話である。

 人間の脳では決して把握不能な範囲がある。
 脳に表象に変化を与えない、感官の限界を越えた微小量が存在する。

 その境界線に近づけば、物質の粒子の位置とエネルギー量を同時に測定すると
 不確定さが伴うことになる。これが不確定性原理となる。

 ←感官が把握不可能→| (境界) | ← 感官が捉える世界 →
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   
感官不可知      |感官の限界| 不確定原理(理論的曖昧さ)
                          
  実験の限界(曖昧さ)
                          ↑理論的曖昧さの限界


 あくまで不確定原理が対象とする範囲は感官で捕らえられるものの枠にある。
 それが境界線に近づくと不確定性が増し、位置と運動力の不確定の関係が
 現れてくる。不確定性原理以上に精度を求めることはできない

         動画           テキスト

  (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の究極の物理学へ


  ● 直覚的表象と抽象的表象@

 しかし、感官の限界以上に大切なことがある。

 
直覚的表象抽象的表象である。
 この2つの表象の区別と、真の意味を理解することが大切なのである。
 未来の物理学者には、これが必須の最重要の項目となる。

 感官により我々は、そこに物質がある(=直感が与えられ)ことが知れる。
 我々の脳が感官から知りうるのは、そこに物質があるか?ないか?である。
 感官が捉えきれないものは、我々の探求範囲にはなりえない。
 感官が捉えられないものは我々の認識外にあり、論理的思考をもって是とする
 科学者の探求範囲では決してありえない。

 
科学の対象は感官(直感)がとらえた以後の表象の世界に対してである。
 感官が与える素材の情報を継起にして、悟性が因果律を適用する。
 それをもとに知性が、一気に表象の世界を作り上げる。

 この表象の中から、必要なものを抽象・抽出することで学問が出来上がる。
 科学(数学、物理、etc)は、この抽出された抽象概念により形成される。

         
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  ● 直覚的表象と抽象的表象A

 感官の情報に悟性が因果律を適用し、さらにそれらを知性が統合して表象の
 世界が作られる。これこそ
直覚的表象である。

 この直覚的表象から必要な部分を選択、抽出することで新たな表象が作られる。
 これが抽象的表象である。
 人が思考する時に利用する表象が、抽象的表象である。
 その抽象的な概念によって、学問が展開され、体系化が作られる。
 概念、あらゆる思考物が抽象的表象である。

 物理学者は、その思考を助けに、物理法則を導こうとする。
 その時、頭の中で思考された抽象的概念(=抽象的表象)は物理学を
 形成する上で確かに、必要不可欠なものではある。

 直覚的表象と抽象的表象の大きな違いは、直覚的表象はその継起が
 
感官から始まり(=直感)、最終的に表象がもたらされることにある。
 これに比べて
抽象的表象には感官との絡みがまったくない
 この抽象的表象はあくまでも、直覚的表象から抽出され抽象される。

     直感(知的な) ⇒ ⇒ 直覚的表象
                       ↓
捨象・抽出
     直感(知的な) ⇒
×       → → → → 抽象的表象

 あくまで抽象的表象は直覚的表象の部分に過ぎないのだ。
 直覚的表象から抽象的な概念を抜き出し、それをいくつか組み合わせたものが
 抽象的な表象である。
直覚的表象から完全に抽出されて、抽象部分がしっかり
 できてれば良いがそれが保証されているとは限らない。
 直覚的表象から抽出された抽象的表象には
何かが欠けることが十分に
 あり得る
ということである。この点が非常に大事である

         動画           テキスト

* この点について200年以上前に指摘して、詳細に述べたものがいる。
  ショーペンハウアーその人である。彼を知れば知るほど驚愕せざるおえない。
  圧倒的である。 天才という言葉はショーペンハウアーにこそふさわしい。



  
● 抽象的表象の限界

 あくまで抽象的表象(概念、理性など)は直覚的な表象の中から抽出された
 限定的な表象に過ぎないのだ。

    
直覚的な表象  抽象的な表象

 直覚的表象に対して、どれだけ抽象的な表象(≒理性)で説明ができうるか?
 直覚的表象から抽出した抽象的概念の組み合わせの不完全性さが存在して
 いることを、我々は学問を形成する時に注意しなければならない。


        
感官の限界
          

 人間不可知   |  感官がとらえる世界(=直感が与えられた世界)
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
            |       
直覚的表象 
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           | 
認識の限界(ア・プリオリな認識、芸術の対象) 
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
            |         | 
抽象的表象(概念、理性、精神)
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           |          | 
論理の限界(≒科学の限界)
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       科学の対象外 | 科学の対象(数学、物理)
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           |       ←|未来の科学
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                |     量子世界?  |   
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
                 

            科学の限界、未来の科学はここへ向かう

 感官の限界を超えた人間不可知のことに対して科学は探求対象外である。
 もちろん対象外で良い。それは決して科学では扱えぬ領域であるからだ。
 人間の知性の形式では絶対に扱えぬ領域がある(人間不可知)。

 だが人間の認識の範囲内にある世界に対してでさえ、我々の知性の理解には
 不完全さが伴う。 直覚的表象に比べ、抽象的表象には不完全さが伴うからだ。
 直覚的表象と抽象的表象の差が問題になるのだ。

         
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* 確かに科学が学問として形成される時は論理的思考に落とされ構築される。
  つまり抽象的表象(概念、思考)に帰結される。
  だがその抽象的表象に真に根拠を与えるのは、あくまでも直覚的表象である。
  真の学問は直覚的表象から始まり、抽象的表象に帰結させるものなのだ。

  (*) 詳細は以下のサイトを参照。
      『  稲穂黄金の未来の学者へ  』

      『  稲穂黄金の未来の天才へ  』


 
● 抽象的表象と量子世界

 我々は既に量子世界で抽象的表象の不完全さを体感している。
 量子力学にて、法則を体系付けることが難しい箇所が多数見られる点だ。
 抽象的表象では自然に存在する全ての自然法則を完全に捉えられない。

 確かに量子世界には抽象的表象の不完全さが見て取れるが、だがここで
 忘れてならないことがある。 抽象的表象に欠陥があるのは、素粒子、クォーク
 などの
微細な世界を探求する時だけとは限らない点だ。

 確かに微小の世界に対して抽象的表象では多くの欠陥が見られるが、
 抽象的表象の欠陥は、微細世界に対して限定されるわけでなく、すべての
 面に対して現れる可能性があることを知らなくてはならない。

 この
抽象的表象の欠陥が感官の限界近くに現れるとは限らないのだ。
 抽象的表象の切り分けは今後21、22世紀の科学の主要な命題となる。

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 ● 理性の限界とあまりに無知な者達@

 この抽象的表象(抽象的概念)に含まれるのが理性である。
 また精神も理性と同類であり、抽象的表象に含まれるのだ。

 直覚的表象に比べて、抽象的な表象は欠陥が目立つともいえる。
 こんな抽象的表象が絶対のはずがない。
 だから
抽象的表象を基礎にもつ理性や精神が絶対であろうはずもない

 このことは近代の優れた一流の科学者達は皆、肌で感じていた。
 ニールス・ボーア、シュレーディンガー、ド・ブロイは皆、自然に対する
 人間の知性の論理的な限界を言葉は違えど表明している。

 現代の大多数の科学者もその意味をはっきり意識していないが、それでも
 量子世界を前にそれとはなしに感じている。
 だから現代の科学者には概ね問題ない。科学者は今のまま進めばよい。

 
問題は現代の哲学学者にある。
 特に
日本の大学哲学の質の悪さ(程度の低さ)といったらいくらいっても
 言い足りない。哲学科の教授達の中にはどうしようもない者が存在する。
 それも決して少なくなく、かなりの数が存在しているのだ。 

 いまだに絶対精神とか絶対理性などと言うアホな輩がいるのだ。 
 そういう輩はこの世界には知性(理性、精神)が横たわっていると考えている。

 真剣に考えることをしない輩、考える力もない輩が頼るのはいつでも思い付きと
 思い込みである。これらの輩には物語り(神話、童話)などが具合が良く、
 時に思い込みの打ってつけの教科書となるものなのだ。

         
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 ● 理性の限界とあまりに無知な者達A

 理性が絶対であるなどという愚かな考えはフィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどの
 無能な馬鹿者によって助長され広まった。彼らはキリスト教の代弁者であった。

 宗教はいつでも
始めに神の意図ありきである。
 始めにこの宇宙に神の意図(知性、理性)が存在していると主張したいのだ。
 絶対神を祭る一神教こそ、この思いが特に強くなる。

 宗教がそういうのは大目にみて許そう。宗教は人間不可知に対するアプローチ
 もあるだろうし、また宗教とはあくまで信仰であるからだ。

 だが宗教のことは許したとしても、哲学を志すものがそういうことをいうのを
 見逃すわけにはいかない。 
 なぜなら
哲学は真理を探求するものであるからだ。
 理性や精神が絶対などという愚かな考えに組していけないことは、少しでも
 学問を積み重ねたならばわかりそうなものだが、わからない輩もいるのだ。

 21世紀の科学者が哲学知識を取り入れることは必要だと稲穂黄金は何度も
 述べてきたが、それでも科学者が哲学を安易に取りいれるのには注意が必要
 である。哲学には偽者、似非者が多数存在するからだ。

 この点についてはここで注意するに留めて、先に進もう。

         
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   (*) 詳細は以下のサイトを参照。
     稲穂黄金の浅はかなる者達
     稲穂黄金の賢者と愚者
     稲穂黄金の超一流の科学者の為の哲学

     稲穂黄金の科学の基礎


 
● 思考実験と実際の実験

 現実の実験で起こる曖昧さ(誤差)は理論的曖昧さ(不確定性原理の値)に
 どこまで近づけるだろうか!?
 実験はどれほど精度を上げることができるだろうか?

 
理論的曖昧さ - 実験の曖昧さ(誤差) → 0 に近づけるだろうか?

 科学が進歩して実験により検証可能か? これは重要な意味を持つ。
 実験とは人間が論理的思考で理解する仕組みを現実に具現化
 
した手法とも言えるのだ。(より良い具現化は複数あるだろうが)

 別の言い方をすれば、人間の論理的アプローチでどこまで自然法則を確認
 することが可能かという意味が実験にはある。

 物理学が実験を経ずして仮に思考実験だけでそれを真だと見なすことだけに
 なれば、物理学の性質からは大きく離れることになるだろう。

 物理は経験的に知られるア・ポステリオリな認識である。
 しかしその経験的な認識が正しいことだと本実験によって確認ができない場合
 そこには直感的なア・プリオリの認識と経験的なア・プステリオリの認識が混在し
 その基礎に入ってくることになりやすいだろう。

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● 神と人間のサイコロ

 量子力学の分野において粒子の現れる場所がサイコロの確率のように
 不確定であるということを聞いてアインシュタインはこう言った。

  『 神様はサイコロを振らない 』
  『 現在の人類がわからないだけで隠された変数が存在する 』
と。

 ここに
ユダヤ人アインシュタインが見てとれる。
 アインシュタインが述べたように神様は確かにサイコロを振らない。
 しかしアインシュタインは正確には、こういうべきだった。

 『 確かに神様はサイコロを振らない。
  しかしその
賽(さい)の目を人間は把握することができるのか?』
 または
 『 確かに神様はサイコロを振らない。
   そして人間は
人間のサイコロを振るだろう 』 

       アインシュタインの頭からユダヤ的世界観は離れがたく結びついていた。
        
       
ユダヤ人アインシュタイン

 アインシュタインは我々の知性の形式でこの自然を完全に把握できることを既に
 前提にしてしまっている。

         動画           テキスト

  (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の宗教家へ
        『 稲穂黄金のユダヤVS賢者
        『 稲穂黄金のユダヤと日本



 ●  ユダヤ的世界観とアインシュタイン@

 アインシュタインの賽の目の発言は、現代の科学ではわからぬがいずれ未来
 には人類は自然を理解できるという考えが潜んでいる。
 彼の発言には人間の知性の形式で自然のすべてが完全に理解できるのだ
 
という考えが強く含まれている。

 これこそ迷妄頑固なユダヤの教えの影響である。

 晩年のアインシュタインがユダヤ的世界観を否定した文書が近年に見つかった。
 しかしそれでもアインシュタインの頭からユダヤ的世界観が完全に消え去ること
 はなかった。払拭できずこびりついていたのだ。

 ユダヤにあっては自然もまた知性(人間)も絶対者の前では同レベルの創造物に
 過ぎずない。神はこの世界のすべて知っており、神がその教えを人に述べ伝えた
 のが聖書だとなる。
 だから聖書がこの世界全てを説明できなければいけないとなる。
 これが始めに神の意図有りきで、始まるユダヤ的世界観である。

 神から選ばれた民は全てを理解できるという楽観論が大勢を占めるている。
 このユダヤ的世界観がアインシュタインの頭からどうしても消せなかったのだ。


         動画           テキスト

  (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の宗教家へ
        『 稲穂黄金のユダヤVS賢者
        『 稲穂黄金のユダヤと日本


 
●  ユダヤ的世界観とアインシュタインA

 アインシュタインは量子力学で観測される場所が確率的に選ばれるという考え
 に納得できない以上に、我々の知性の形式で表現できないことがあるということ
 に納得できなかった。彼はすべてが古典力学で説明できるという考えから
 視点を切り替えることができなかった。

 『 確かに神様はサイコロを振らない。 
  ただし、その賽の目を人が完全に把握することができないのではないか? 』 

 とアインシュタインが述べていたなら物理学は素早く次のステージに進んだこと
 だろう。 特にアインシュタインはショーペンハウアーから真摯に学んでいたの
 だからそのように発言するべきだった。

         動画           テキスト

  (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金のユダヤVS賢者
        『 稲穂黄金のショーペンハウアー


* アインシュタインは誠実な科学者である。
  ユダヤ的世界観が満ち満ちるユダヤ世界で生まれ育ったユダヤ人が
  真理の探求の道に進むのを見ると賞賛せずにいられない。
  スピノザ、アインシュタインはまさにその好例である。



  ● 哲学と物理学@

 
感官からあがってくる情報を統合し悟性が因果律を適用し、知性がそれらを統合
 して一気にこの世界(表象の世界)をつくり上げる。

      感官                     我々は認識する
      ↓                         ||
 感官 →→→ 悟性    ⇒   ⇒   ⇒   表象の世界
      ↑  因果律の適用  ↑
     感官             知性(
統合し一気に形成

 悟性が働かない感官だけの情報などは生の素材に過ぎない。
 生の素材である感官の情報を悟性が因果律を適用し、それらを知性が統合して
 この世界を一気に作り上げる。
 その意味で悟性は非常に大切なものではあるが、それでも感官の情報を提供
 する肉体がなければ決してこの表象の世界を作り上げることもできない。


         動画           テキスト


 
● 哲学と物理学A

 感官から上がってきた生の素材の情報をもとに悟性が因果律を適用し、
 それらを知性が統合してこの世界を創りあげて、我々にその姿を提供する。
 悟性の働きの1つに因果律の適用が含まれる。悟性が因果律を適用する。
 因果律は表象上の物質の位置と時間を決定する。

 【表象上の物質を決定、認識する】
      感官              
知性(統合して一気に形成)
       ↓                    ↓
 感官 →→→ 悟性因果率の適用) → → → 表象の世界
       ↑          ||
       ↑     表象上の物質の
位置時間を特定
      感官


 観察者が観察して感官から情報が集まり、それを悟性が因果律を適用し、
 表象上の物質の場所と時間が特定される。それらを知性が統合して表象の
 世界を作り上げる。
 
 哲学が辿り着いたこの考えを物理学に取り入れた物理学者がいる。
 
量子力学の父と呼ばれるニールス・ボーアである。

   ショーペンハウアーからもっとも学んだ物理学者の1人であることは間違いない。
   彼はそれを背景に、時代的な物理学者として時代を牽引した。

          
             
ニールス・ボーア

         動画           テキスト

  (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の究極の物理学


 
● コペンハーゲン解釈と哲学
 
 人間が現象を感官で捉え、その感官からあがってくる情報(直感)を元に
 
悟性が因果律を適用する。
 
それらを知性が統合して表象の世界が作られる。  因果律の適用とは
 とりも直さず物質の
位置と時間を決定することにある。

 この哲学的解釈を
ニールス・ボーアは取り入れた。
 観察者が観察することで量子の位置が収束して決定されるという考えである。
 ニールス・ボーアの流れを系譜するコペンハーゲン解釈である。

 観察系の人間が現象を観察することによって量子が収束すると考えを導いた。
 観察者の見るという行為が位置と時間が確定するという哲学の考えを用いた。

         動画           テキスト

 
*上記で述べたとおり感官は直感を得るが、感官が直感を得られるのもその
   権限を脳が付与している為である。
   その権限を許可しているのはあくまで脳なのである。



 ● 哲学から学ぶ物理学者@

 因果律が物質の位置と時間を決定することを最初に述べたのは
 哲学者
マルブランシュである。 
 マルブランシュのその点を評価し、その意味を正確に詳細に説明を与えたのが
 ショーペンハウアーその人である。
 シュレーディンガーは若き日に
ショーペンハウアーに浸り、学んだのだ。

 20世紀以降の一流物理学者のほとんど多くが彼らの思想の中心に真の哲学者
 からの見解を取り入れて基本にすえている。
 アインシュタイン、シュレーディンガー、ハイゼンベルク、ボールスニーアなど
 皆そうである。

 
21世紀以降にこの傾向はますます強くなる。
 これからの未来、哲学を理解していなければ物理学で著しい業績を残すことは
 難しい時代となるのだ。

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 ● 哲学から学ぶ物理学者A

 シュレーディンガーがショーペンハウアーから学んでいたのと同様に
 アインシュタインも哲学の成果を十二分に活用し、数式化作業に取り組んだ

 アインシュタインより遥か200年前に物質の質量が力であることは天才カントが
 既にはっきりと述べている。ショーペンハウアーも確かにそうだと述べている。
 ショーペンハウアーから真摯に学んだアインシュタインはこれを物理法則として
 数式化できないかと模索したのは想像に難くない。

 ここにアインシュタインが
E=mc2のエネルギーと質量の等価を示す関係式
 
を導いた。彼はショーペンハウアーに絶大の信頼を置いていたから、その安心
 の上で数式化する作業ができたのだ。

 こういう過程があったことを物理学者はまったくしらない。
 
物理学者は哲学を知らないものだ。

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  (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の哲学者へ


 ● ただし哲学にも似非者がいる。ご用心、ご用心@

 アインシュタイン、シュレーディンガー、ハイゼンベルグ、ニールス・ボーアなど
 20世紀に活躍した一流の物理学者はほとんどは哲学からも学んでいた。

 ただし哲学から学ぶことが必要といっても全てが対象ではない。
 学ぶべき真の哲学は限られる。
 哲学界にも多数の
偽者がいるので注意する必要がある。

 似非者は
フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどの馬鹿者連中だ。
 宗教に擦り寄り、考えることをやめ、哲学の基礎に絶対者、絶対精神、
 理性の支配などアホでナンセンスな基礎を置いた馬鹿者共だ。
 特にこの中でもっともナンセンスで酷く、何もわかっていないのがヘーゲルだ。
 彼には真剣に物を考えるという意味がどうも、わからなかったようだ。

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 ● ただし哲学にも似非者がいる。ご用心ご用心A

 宗教のように
始めに神の言葉有りきで始まるなら哲学も
 どれほど楽であろうか。それなら哲学は考えなくてすむからだ。

 カント死後、哲学は宗教に擦り寄り
堕ちるに堕ちた
 現在の日本の大学哲学はその状態に陥ったままである。
 その状態は頭脳を有さず、考えることしない輩には相当居心地が良いらしい。
 日本の大学の哲学科にはそういう輩がウヨウヨと存在する。

 本来哲学こそもっとも論理明晰な頭脳(理系の頭脳)が必要なのだ。
 論理的思考が確立していなければ深遠な認識の切り分けなどできないからだ。

 現在の大学哲学は堕ちるに堕ち
文科系となった。
 哲学科が文科系出身者で占められる現実。
 彼らの言葉が現代の
科学者にまったく響かない理由もここにある。

         動画           テキスト

  (*) 詳細は以下のサイトを参照。
        『 稲穂黄金の未来の哲学者へ



 ● 21世紀に活躍する物理学者@

 真の哲学者とは
 プラトン、アリストテレス、デカルト、スピノザ、ロック、ヒューム、
 カント、ゲーテ、ヴォルテール、ショーペンハウアー
 などである。
 その他にも、まだ存在するが上記にあげた哲学者ならどれを読んでもあなた
 の頭脳に良い刺激をもたらすだろう。

 特に21世紀に物理分野で縦横無尽に活躍したいのなら 
カント
 
ショーペンハウアーから学ぶのがもっとも有用である。

      まさに天才、まさに本物の中の本者。これこそ哲学者である。
        
           カント             ショーペンハウアー

 特にショーペンハウアーはカント哲学を継承し、さらに根拠律の4つの根を携え
 学問を形成するとき必要な根拠律の根をすべて確定した。

 カントにより認識の種類が区別できるようになった。
 しかしその認識をいくら集めてもそれは
認識の寄せ集めでしかない。
 その認識の中から学問の1体系を形作る時に何を真と考えるか? 
 その寄るべき根拠がショーペンハウアーの根拠律の4つの根である。

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 ● 21世紀に活躍する物理学者A

 
根拠律の4つの根
 これにより人間が何をもって論理的思考で真とするかの基礎が確立した。
 これを知らずして21世紀の物理学が真に発展することは不可能だ。

 ショーペンハウアーの意志と表象の世界は感官から悟性にいたるながれ、
 さらにはその以前に観察者と対象物との主観と客観の関係に触れる。
 21世紀に量子力学分野を探求する物理学者の進むべき道を示している。

 21、22世紀の科学者(物理学者)のキーワードは
 君はショーペンハウアーを学んだか となるだろう。

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