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『大企業の経営者の話は聞かない方が良い16の理由』
大企業の経営者は彼らの経済的成功がこの世界に適合していると考える。本当は資本主義に適合しているに過ぎない。
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人間と歴史 |
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歴史において特定の個人がピックアップされ語られるが、その人について
語られるのではなく、その人を通して人間の姿が語られるのである。
歴史の主役は人間そのものである。
● 古代ローマが滅びた理由@
古代ローマが滅んだ理由は、多くの人々に色々な解釈で語られてきた。
学者の意見は時代に様々に異なり、個々人によっても様々な見解が見られる。
・外敵の進入によりローマは滅んだ。
・キリスト教の布教がヨーロッパ中に徐々に広がりローマは滅んだ。
・当時、疫病がはやり多くのローマ市民が死んでローマが滅んだ。
・少子化によってローマ市民の数が激減してローマが滅んだ。
しかし上記のいずれもローマが滅んだ真の理由ではない。
ローマが滅んだ理由は以下にある。
ローマ文明を真に理解するローマ人がいなくなった
これこそがローマが滅んだ真の理由なのである。
ローマの末期、ローマの偉大さを理解する人間がいなくなっていた。
当のローマ人が先祖の残した文明を理解する力を失い始めた。
これが真実なのである。
ローマは外敵に滅ぼされたわけでもなく病気によって死に絶えたのでもない。
少子化によってローマ人が滅びたのでもない。
都市ローマに住む人々の多くは、確かに古代ローマ人の血を引いていた。
確かに古代ローマ人と生物学的な繋がりはあった。
だが古代ローマ人をローマ人として決定づけさせた、芸術性、精神性、
鋭い洞察力、深い認識力などは、受け継がれることがなかったのだ。
動画 テキスト
● 古代ローマが滅びた理由A
ローマ文明の滅亡期のローマ人にとっては、目の前にそびえる建造物や
彼らの先祖がもたらした最高峰の芸術作品でさえ、まるで自分達とは異質の
世界の物のように感じていた。
目の前にそびえる建造物、彫刻の数々が自分達とは異質の存在に見えた。
理解不可能な何物かに写っていた。
現代において、キリスト教徒が仏像の前に立っても、その仏像が意味する事を
まるで理解せず、普通の芸術作品としてしか解釈しないことと同様である。
まるで遠い世界の何物かを見る感じである。
違和感を感じている感覚と言える。
都市ローマに住む人々の多くは、確かに古代ローマ人の子孫ではあった。
なれど彼らは、先祖がもたらした偉大な作品を、理解する力を失っていた。
人間そのものの質が大幅に堕ちていた。
ローマ文明は、その文明の偉大さを理解する人々を失ってここに滅びた。
ローマは外敵に滅ぼされたのではなく、少子化により滅びたのでもない。
偉大なるローマを理解できるローマ人がいなくなった為に滅びたのだ。
動画 テキスト
● 古代ローマの衰退とその期間
古代ローマ人の子孫の多くは、自分達の先祖が作った建造物や芸術作品に
価値を見出すことができなくなっていた。理解できなくなった。
ローマの街のあちこちにあった建造物、芸術作品はもとより、自分達の社会を
支えてきた風習や社会制度、はたまた学問においても、古代ローマ人の
優れた洞察により支えられてきた諸々について理解ができなくなっていた。
ローマは偉大である。なぜなら当のローマ人が偉大であるから。
古代ローマは偉大であり、古代ローマ人も偉大であった。
なれどローマの末期、ローマを理解できる人々が少なくなっていた。
偉大なローマはゆっくりとしかし確実に衰退していった。
ローマの衰退にはある程度の期間を要した。それだけの文明であった。
しかし、もっとも短いスパンで文明が衰退することも往々にある。
短い期間で人間の気質が大幅に変化することがある為だ。
動画 テキスト
● 古代ローマと戦後日本@
この点についてもっとも良い例がある。戦後の日本である。
戦前から戦後にかけて日本人の質は一変した。
日本人が古来より大切にしてきた日本なるものは大きく失われた。
神祭り、お月見、豊作の感謝、神々への感謝、それに伴う風習や伝統的な習慣
が人々の日常の中から姿を消したのだ。
日本人の意識が急激に変化した。
平成の現代において各地に残っている祭りですら、それが真に意味する事は
人々の意識に上がらなくなった。消え去っていると言える。
各地に残る祭りのほとんどが形骸化された形で残っているだけとなった。
戦後の日本人は確かに戦前の日本人の子孫である。
生物学的には、なんの疑いのない事実である。
だが戦前の日本人が祭りに接する時の意識と、戦後の日本人
が祭りに接する時の意識には、天と地ほどの差が存在する。
その差さえ、気付かない日本人がたくさんいる。
戦後、その数は急速に増大した。
動画 テキスト
(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の日本へ
』
『 稲穂黄金の未来の社会学者へ
』
● 古代ローマと戦後日本A
日本人とは何かと一言で言うならば、それは神祭りする人々といえる。
古来から2700年、神祭りを絶やさずに行ってきた。
それは国家だけではなく、村単位で、家族単位でも神祭りされてきた。
日本人は、自然の奥に神を見て、大地に感謝を捧げた。
あの織田信長でさえ神仏は尊んだ。
100年後の22世紀なっても、この日本の地に人間は存在するだろう。
なれどそれらの人々は日本なるものを理解しない人々の可能性が高い。
100年後の人々は確かに生物学的には我々の子孫であるかもしれない。
だが神祭りの意味などまるで理解できない人々かもしれない。
我々の子孫は生き残っても日本人は消えるかも知れない。
神祭りをする意味を理解し、それを実践する人々こそが日本人であるからだ。
この日本の地に人間は存在するかも知れない。
確かにそれらの人々は我々の子孫かも知れない。
なれどそれらの人々は、日本人ではないからもしれない。
こうやって文明は音も立てず静かに、しかし急速に滅びるものなのだ。
動画 テキスト
● 人が文明をもたらすのだ@
社会制度や政治制度が文明をもたらすのではない。
ましてや経済制度や法制度が文明をもたらすのでもない。
人が文明を持たらすのだ。文明の主役はあくまで人である。
人々の洞察力の鋭さ、認識の深遠さが文明をもたらすのだ。
社会制度 学問、科学
× 政治制度 ⇒ 芸術、文学 ⇒ 文明
経済制度 建築学、音楽
その時代の人々の洞察力の深さ、認識の広さがあらゆる分野に波及する。
人々の鋭い洞察力 学問、科学 社会制度
○ 人々の深遠な認識 ⇒ 芸術、文学 ⇒ 政治制度 ⇒ 文明
この世界の理解 建築学、音楽 経済制度
古代ローマ文明の偉大さは、そのローマに住む人々の偉大さを物語る。
当時のローマ人がこの世界について正確な知識を把握していた。
人間がこの地上で生きる意味を知悉していたことを証明する。
人間そのものに力があった。
彼らの鋭い洞察力と深い認識力があったからこそ、学問・芸術に限らず社会
制度や政治制度など、あらゆる分野にそれら力が波及して多いに発展した。
その結果生まれたのがローマなのである。
ローマは真に偉大である。人類に人間の可能性を教えてくれる。
動画 テキスト
● 人が文明をもたらすのだA
古代ローマ人の鋭い洞察力と認識力が多くの分野に波及して発展した。
その力が社会制度や政治制度までに及び、人間の性質に適った政治や法律
を模索し、発展させた。
社会制度や政治体制が優れていたから古代ローマがもたらされたのではない。
人間が優れていたからローマがもたらされた。
この順序を見誤ってはいけない。
ローマ人に力があった。人間に力があった。そうでなければローマは、決して生まれない。
ローマ人の力があらゆる分野、場所へと波及した。『(本)週刊世界遺産ユネスコ』
社会体制や経済体制が人間を賢くするのではなく、反対に人間の英知が隅々
まで行き渡って、それがあらゆる分野に波及し、人間にもっとも適した制度を
もたらす要因となるのだ。
古代ローマ人には、それだけ深い認識があり洞察があった。
動画 テキスト
● この世界を捉える目と寛容の精神@
古代ローマ人のこの世界に対する深い理解が、彼らに特有の精神をもたらした。
寛容の精神である。
ローマ人には、この世界についての深い理解があった。
この地上で人間が生きるという意味を、とりわけ理解していた。
ローマの劇場では、ユダヤ的な浅はかな楽観的な物語ではなく、悲劇的な物語
が多く上演されローマ市民も息を飲んで舞台を見つめていた。
ローマ人は、この地上に生きる意味を真に理解していた。
ローマ人が一番寛容だったのは何に対してであろうか!?
国家に対してか? 否である!
民族に対してか? 否である!
出身(階層に対してか? 否である!
思想に対してか? 否である!
神に対してか? 否である!
人間そのものに対して寛容であった!
人間 > 国家
人間 > 民族
人間 > 生まれ、階層
人間 > 思想、イデオロギー
人間 > 宗教(神)
この世界に対する深い理解、この世界を人間が生きる意味を理解していたから
こそ古代ローマは、他の時代に例をみない程、寛容の精神を持つに至った。
動画 テキスト
● この世界を捉える目と寛容の精神A
古代ローマ人の寛容の精神とは具体的にどういうものであろうか?
現代の我々が考えるような安っぽいヒューマニズムなどとは大きく異なる。
あらゆる国家、あらゆる民族を超えて、この大地に生きる同じ人間として
という意識が古代ローマ人の中にはあった。
その慈悲心は、まるで仏教徒のごとくに全人類に対して投げかけられていた。
ローマ人である以上に、この大地を生きる同じ人間という意識があった。
この救いがたい世界を共に生きる同志、共に生きる友という意識があった。
彼らは、征服した民族であっても尊敬に値する者には、尊敬の態度を示した。
ローマ人はあらゆる時代の人々よりも寛容であった。
ローマ人はあらゆる時代の中でもっとも人間に対して寛容であった。
その寛容の精神こそ、この地上を人間が生きるという意味を知悉した上で
の人類愛である。
古代ローマでの決め事(=政治)は議事堂に人々が介して一同に報告された。
古代ローマにおいて奴隷・市民・貴族・王様と身分の差は確かに存在した。
だが身分の差に関わらずに、皆が議事堂に介してその決議を見守った。
もちろん身分の差により座る席は異なってはいた。
それでも身分の差に関係なく、皆が同じ場所に介して議論され、議決された。
王様/貴族/官職/知識人/市民/奴隷という身分の差は確かに存在した。
しかしそれらを感じさせないほど人間全般に対する寛容の精神が存在した。
動画 テキスト
● 古代ローマ人の意識
古代ローマにあっては身分の差に関わらず、同じ場所に介した。
政治の決定でもそれは同様である。
身分の異なる者同士が議事堂に介して皆の決め事が決定された。
娯楽においてもそれは同様であった。
もちろん身分ごとに座る席は決められていたが、それでもコロッセオ(円形闘技場)
では、王様/貴族/市民/奴隷が共に楽しんだ。
ローマを愛する者は、身分差を越えてローマの楽しみを共有したのだ。
ローマ人は皆で、ローマについて真剣に語りあった。『(本)週刊世界遺産ユネスコ』
これとは反対に、戦後の日本では、日本を愛さない人々が表にしゃしゃり出てきた。
これでは日本が偉大になれるはずがないではないか!
戦後の日本は、日本人にとって住みにくい国へと変貌している。
この他にも公共浴場やその他の施設においてもあらゆる人々が利用できた。
王様/貴族/知識人/市民/奴隷という身分の差は確かに存在したが、
それでも誰もが公共の施設を自由に利用できた。
古代ローマの人々の意識は、あらゆる身分を越えていた。
身分の差以上に、人間としてこの世界を生きる、1人1人がこの世界と対峙
して生きているという強い確信があった。
人間 > 身分の差
この意味がわからなければ古代ローマを真に理解できない。
これが理解できなければ、古代ローマの寛容さと言ったところで、単にそのまま
の言葉を述べているに過ぎない。
ローマが寛容だったというのは、人間に対して寛容だったという意味である。
動画 テキスト
* 古代人のこの偉大さに比べると現代の低みはなんということだろう。
表面的には身分の差はないと謳いながら、共産国家では指導者が国民に
マスゲームをやらせたり、自分勝手に国民に苦痛を与え続けている。
共産国家の指導者が、国民と同じ場所で食事をしたり、同じ場所で同じ目線で
議論したり、公共の風呂に国民と一緒に入ることなどないではないか!
一部の特権階級とだけ、同じ場所で同じ時間を過ごしている。
これらの輩は、人間そのものを見下しているのだ。
● 古代ローマ人の素直さ
古代ローマ人はある面においては非常に素直である。
何に素直かといえば、優れているものは優れていると認める素直さである。
これはローマ人に限らず、古代人一般に見られることである。
どのような身分の者であれ、優れた資質を示せば正等に評価された。
古代ローマには確かに身分差はあったが、それ以上に人間に対する寛容の
精神存在した。人間の価値の本質は、内面にあるのを知っていた。
この意味を多くのローマ人が理解していた。
この地上を共に生きる同じ人間として、優れた特質は褒められるべきもの
であった。そのような精神を持っている古代人は、だからこそ、自分の長所、
美点を、臆せずに堂々と語ったのだ。
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● 古代エジプトの影響
ローマが寛容の精神を持つことに至った背景には、1つの文明の存在がある。
エジプト文明である。
ローマはエジプトから愛の心を受け継いだ。
寛容の精神を受け継いだのだ。
エジプト文明はローマ文明よりも数千年も古く、さらに我々人類の発祥の地
の1つでもある。ローマ文明が芽を開くまさにその時代にも、エジプトの気風、
英知は残っていた。人間1人1人がこの世界と対峙しているということを
古代エジプト人は明確に理解していた。
エジプト人が残した遺跡、文字にその意識がありありと見て取れる。
古代エジプトの遺跡の壁画には個々かしこに、人間の生と死について書かれて
いる。人間があの世にいっても迷わないように、そして生と死によっては
揺らぐことのない永遠なるものを、後に生きる者達に伝えている。
この意識はエジプトだけに限らずに、全世界の古代人が共通に意識していた。
古代エジプト人は、人類が掴み取った叡智を数千年先の人々に贈り届けることに力を注いだ。
古代エジプト人は、深い人類愛を有していた。さらに数千年先を眺める知性を備えていた。
古代の人々は未来に、この地上で生きる人々を意識した。
時代を超えて未来に生きる人間に、掴みとった叡智を届けようという想いに
満ちていた。彼らは真に人間愛に持っていた。
彼らの意識は国を越え、時間を超え、この地上で生きる全ての人間に対して
投げかけられていた。ローマはその意識をエジプトから受け継いだ。
古代ローマが征服した他の国家、民族、そこに住まう人々にあれほど寛容で
あったのも、古代ローマ人が人類全般に対して寛容であったからだ。
この地上で人間が生きるという意味をエジプト人から教わったのだ。
動画 テキスト
● ローマに影響を与えた2大文明
ローマに決定的な影響を与えた文明は2つ存在する。
エジプト文明とギリシャ文明である。
エジプトからは、愛(人類愛)と寛容の精神の影響を受けた。
ギリシャからは、芸術、学問、すなわち人間の可能性を知ったのだ。
古代エジプト人の人類愛は現代の我々を遥かに凌駕する。
多くの建造物、遺跡がそれを物語る。
彼らは丁寧、そして親切に我々に、掴み取った叡智を無償で提供する。
人類が一人でも真に救われることを願っていた。
現代において世界中の人々は、そこに何があるのかをはっきりとは意識は
しないのだが、何かを感じ取っているのだろう。
現代においてもエジプト観光はもっとも人気のある観光の1つとなっている。
ギリシャから芸術と学問、すなわち人間の持つ可能性を教えられたのだ。
古代ギリシャ人の芸術、絵画、彫刻、建築、いずれを見ても素晴らしいの一言
である。すべてが喜びに満ちている。晴天のような明るさがそこにはある。
ローマ人はギリシャ人の美と知性を知り、人間の可能性を理解した。
この2つの文明をバックボーンにしてローマは飛躍した。
この2つがローマ人に影響を与えてローマをローマならしめた。
ローマ人はこの世界を的確に捉えてもいたし、また彼らの生み出した芸術は
人間の可能性を示す、最高の美しさを保った。
動画 テキスト
● 古代エジプトの人々の愛
多くの建造物に残る象形文字。
それが意味するものは、この世とあの世についの知識。
我々がこの世を去りあの世に戻るときに、どのように進めば良いのか、
また生と死を超えても存在する永遠なるものについて記載されている。
またエジプトといえばピラミッドが有名であるが、その建造物の形
でさえ我々には以下のことを教えてくれる。
この世界は大地>植物>草食動物>肉食動物>人間という食物連鎖に
よって繋がれていること。
そしてその食物連鎖の上に言えば行くほどその個体数は少なくなること。
そして食物連鎖の上のものは下の土台がなければ崩れ去ってしまうこと。
|人間|
|肉食動物(獅子)|
| 草食動物(牛、馬、羊)|
| 植物(花、木々、草) |
| 大地(土、石、岩) |
さらに、これらの世界を結びつけ、成り立たせる力が中心で働いていること。
ピラミッドの中心部分に、ファラオ(王)の墓を置いたのも、その力を維持させ
安定を図る為である。またはその力と一体となる意味があったのだろう。
もちろん英明なる古代エジプト人にとっては、それ以上の意味を含んでいた
可能性も多いに存在する。
とにかく、古代エジプト人はこの世界、この自然をどのように捉えていたかは
彼らの遺跡を見れば、その片鱗を伺い知れるのだ。多くの人々の意識、信仰心
といえる程の強い意識によって古代エジプトは支えられていた。
動画 テキスト
● さらにピラミッドについて
さらにピラミッドの形について、ピラミッドが4角錐であることは以下のことを
我々に教えてくれているのではなかろうか?
人間の知性の形式、つまり4つの表象(=根拠律の4つの根)のいずれかを
通って得られる知性、それにより初めて我々にとって論的に正しいとみなせる。
4つの何れかの表象を通り、その頂点まで極めればいずれ、ピラミッドの頂点
で出会えること。さらに言えば、その4つのいずれに対しても極め尽くしたならば
まさに、この世界の頂点に到達すること。
我々の知性の根拠が、4つの表象の何れかを通ることにあることを、人類に
初めて明快に知らせたのが人類史上最高の天才ショーペンハウアーである。
古代エジプト人は、その意識は当然なかったのであるが、それでも古代人の
人間離れした直感が、それらを感じ取り、建造物のピラミッドにおいて4角錐を
採用したと想像することは、飛躍のしすぎだろうか!?
動画 テキスト
* ピラミッドが権力の象徴とか、奴隷を扱き使って云々などと述べる近代の
学者の迷妄と浅はかさには呆れるばかりだ。こういう連中は古代の偉大な
遺跡の前に立っても何も感じぬ輩である。
(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の科学者へ
』
● 古代エジプトとスウェデンボルグ@
古代エジプト人々は象形文字だけでなく、紋章についても意味を残した。
古代の人々はそこには現代の我々が知る以上に多くの意味を含めているの
だと述べた人物がいる。
17世紀の世界第一等の神霊家スウェデンボルクその人である。
スウェデンボルグはヨーロッパを代表する世界的な神霊家である。
生きながらに霊界を探求(天界、地獄界)して、その語る内容には、言われえぬ
説得力がありヨーロッパ中の人々を驚かせた。
スウェデンボルグはこれらの紋章には、相応の理が含まれていると述べた。
相応の理とは、あの世とこの世の2つの理の関わりを意味する。
この地上での人間の霊的なあり方と、この大地の現実との両面を理解すること
を求めているといえる。
エジプト人の残した紋章の1つ1つ、さらにはエジプト人が使っていた象形文字の
1つ1つに、この世とあの世の意味が含まれていると述べた。
古代エジプト時代は白銀時代であり、当時の人々は誰もが相応の理の意味を理解して
いたとスウェデンボルグは述べている。
人間がこの世から死を経てあの世に至ること。
そしてあの世で真に救われる方法が述べれられているのだと説明した。
動画 テキスト
* 仮にスウェデンボルグの霊界物語が真実ではなく、創作というなら
それはそれで驚きである。仮にその話が作り話だとしたらスウェデンボルグ
の知性はカント級であるといえる。
(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金のスウェデンボルグ
』
『 稲穂黄金のカント 』
● 古代エジプトとスウェデンボルグA
さらに古代エジプト人は彼らが獲得した叡智を、後世の人々に共有することを
試みた。後世に生きる者達の為に、その知識をありとあらゆる手段で残すこと
を試みたのだ。
エジプトが残す遺跡の数々は古代からの現代を生きる我々への贈り物である。
古代エジプト人は、この大地の上に人間が生きる意味を誰よりも知悉していた。
だからこそ古代エジプト人は、どの時代の人々よりも愛が溢れていた。
建物に柱や壁に、紋章や文字を刻み、知識を後世に残そうとした。
言葉自体が失われても、後世の者達に意味が伝わるように、文字の隣には
絵画を施して表現した。
その当時のありとあらゆる方法を用いて人類の叡智を伝えようとした古代エジプト
『(本)アサヒグラフ別冊』
現代に生きる人々で、古代エジプトの愛と叡智に気付いて、それを受け取る人々は
果たしてどのくらい存在するのだろうか?
さらに絵画の色が剥げ落ちても、意味が伝わるように、柱や壁に凹凸をつけて
彫刻を施した。
古代人は、この大地をを生きる者達、すべてに、この大地を生きる意味を伝え
ようと欲した。古代エジプトの人々が掴み取った叡智、人類の叡智を
後世に生きる人々へ、わかりやすく伝えることに力を注いだ。
まさに古代エジプト人は人類愛に溢れていた。
動画 テキスト
* これほど、愛と叡智が溢れるエジプトを、蔑む者達(学者)がいるのだ。
そういう連中の多くが共産主義や社会主義にシンパシーを感じる者達である。
迷妄と愚鈍の輩達である。これらの者達は、真に救いがたい。
(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の古代人と現代人
』
● 古代ローマ文明と平安時代@
古代ローマが偉大だっとと同様に、日本にも偉大な時代があった。
平安時代である。
平安時代こそ日本における最高の文化を体現した。
そこには平安時代を先導した仏僧の叡智、また貴族の美意識があった。
平安に生きる人々の叡智が都には満ち満ちていた。
平安京が開くとき、日本には天台宗の開祖、最澄と真言宗の開祖、空海と
いう2人の天才に恵まれた。2人を先達にして、さらに優れたる者達が続いた。
また貴族にも英明な者達が生まれた。
平安貴族の洞察力たるや、あらゆる分野に及んでいた。
平安貴族は国家を治める政(まつりごと)に精通するだけではなく、和歌や学問
に秀でる文化人の面も多分に持っていた。美意識も高く、芸術を理解する目を
持っていた。さらに神妙なる霊的な世界にも精通していた。
政治・芸術・知識・神霊のあらゆる分野に目が行き届いた。
優れた平安貴族を筆頭にして、仏教の知識が取り入れられ、そして占星術を
含めて当時は、科学的知識の側面もあった陰陽道も取り入れられた。
そして武芸を誇る兵(つわもの)と呼ばれる貴族もでてきた。(武家)
法整備を整えるその背後に、平安貴族の叡智が全ての分野に波及した。
平安時代がなぜ偉大だったのか!?
平安の人々の認識力、洞察力、美意識が高かったことによる。
平安時代のリーダーである貴族に英明なる者達が多く生まれたことは幸いで
あったし、貴族以外でも、特に仏教において真に優れた者達が生まれたのは
平安時代をあの高みまで押し上げる要因となった。
それらの優れた人々が互いに刺激しあい、平安時代は日本人にとって忘れさら
れることはないものとなった。
現代を生きる日本人の心の奥底に、平安時代の偉大さが届いている。
動画 テキスト
● 古代ローマ文明と平安時代A
ローマ時代が寛容の精神をもったように、平安時代も寛容の精神を持った。
平安の世にあっては和歌において平等であった。
性別、身分、出生に関わらずに優れた歌は、素直に優れていると認められた。
この点に関して、渡部昇一先生が詳細に語っておられる。
歌そのもの価値は、人間社会の都合には左右されないということ。
優れているものは素直に認める正直さが平安時代にはあった。
偉大な時代の共通のあり方である。
平安時代に、人間の精神が自由闊達であったことは、人間の精神の発露で
ある文学が栄えたことでも明らかである。
竹取物語、伊勢物語、土佐日記、源氏物語、枕草子、更級日記など多数の
物語が世に出てきた。
平安貴族は神霊的な面に対しても深い理解があった。
平安時代には優れた神霊家や仏僧が生まれている。
動画 テキスト
* 平安貴族の優れた能力が多方面に広がり、それは実務面だけでなく
神霊世界の理解にも通じていたのだと、現在、世界第一等の神霊家
である深見東州さんが語っている。
● 身分を越えて@
近代において、名目上、身分の差はなくなった。
近代において、身分の差の解消の為に多くの人々の努力があったことを
否定するつもりは毛頭ない。
確かに現代において社会的な身分の差はなくなった。
しかし身分差はなくなったように見えて、その奥では他に対して蔑みと優位の
意識が挙がってくる。
先進国に生きる人々にとって、身分差などは差別なのだという意識を持つに
いたってはいる。身分差などない方が当然、良いと考える人たちも社会の
大多数を占める。安易に身分差があるのは良いなどというものなら、反社会的
な人間として見られかねない。
なれどその主張とは裏腹に、経済的な失敗者や、浮浪者に対しては、多くの
人々は、非常に冷ややかな目で見ている。時に見下していることさえある。
まるで犬でも見るかのように見下した態度で冷笑する姿は、人類愛からは
程遠いものである。
動画 テキスト
● 身分を越えて
現代とは反対に、確かに古代には身分の差はあった。
王様、貴族、平民、奴隷とはっきりした身分の差は存在した。
なれど古代人の多くは、身分を越えて、人間に対する寛容さがあった。
この世界に対する理解、この世界を真に人間が生きる理解がなければ、
真の人間に対する寛容の精神などは生まれない。
人間全般に対する理解は失われた近代。
だからこそ近代において、人間全般に対する愛が失われることになった。
この数百年間の近代における平等、平等!という叫び声の裏側で、人間は
どれだけ他の人間に冷たい目線、冷たい仕打ちをしてきたかは数え切れない。
現代に生きる我々は、古代の人々よりも遥かに劣っている。
なぜなら現代の人々の認識の力は弱く、それゆえこの世界の実相を捉える力
を失い、それゆえ、この世界を生きる人間として真に同情することがないのだ。
古代ローマや平安時代が優れた文明であったのも、その時代を生きる人々の
意識の中に、この世界を人間が生きる意味を理解していたからだ。
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● 近代における不寛容と狭量(きょうりょう)@
近代において社会主義や共産主義の国家が生まれては消えた。
その政権下において『人間は平等である!』『身分差をなくせ!』という声が
声高に叫ばれ続けた。
表面的にそのように繕う(つくろう)国家の裏側では、人を人とも思わない連中
が幅を利かせ、国民に多くの負担を強いているのだ。
共産国家では、特権階級が生まれ、国の指導者、エリート層にとっては、
大衆はまるで便利な道具だといわんばかりに、ぞんざいに扱った。
国の指導者層はふんぞり返り、貧しい者達など目にも入らず、彼らの苦しみを
共有することもなく、理解を示そうとさえしなかった。
共産国家の指導者は貧しい人々と同じ場所に集って話合うこともなく、
同じテーブルについて食事することさえない。
娯楽を、自分達で独占するなんともいけすけない連中である。
これらの国家は、表面的には身分の差がないことを高らかに歌ってはいるが
社会のあらゆる所に人間に対する不寛容さが存在する。
動画 テキスト
● 近代における不寛容と狭量(きょうりょう)A
古代ローマの遺跡を見ると、まざまざと思い知らされることがある。
それはあらゆる階層、出身を超えて共に楽しさを共有しようという心である。
古代ローマには確かに身分の差はあった。奴隷も確かに存在した。
なれど奴隷であっても、政治の会議に出席し、また闘技場(コロッセオ)で
多くの娯楽が楽しめた。座る席はもちろん階層ごとに指定されていたが
それでも奴隷も庶民も貴族も皇帝も、その場で共に楽しんだのだ。
身分を越えて、その場の楽しさを共有したのだ。
これとは反対に共産国家では、表面的には、平等を平等を連呼し、国家の名前
にも人民などと記載しておきながら、それらの共産国家、社会主義国家では
指導者が国民に寄り添うことなどなく、反対に国民の多くは指導者に虐げられ
国民が政治に文句でも言おうものなら、秘密警察に連れ去られて、刑務所で
拷問が行われるという始末なのだ。
共産国家や社会主義国家などの浅ましい国家、これらの国の浅ましい指導者
に比べて古代ローマは、そこに生きたローマ人はなんと偉大であろうか!
古代ローマと近代国家を比べると、その差は天と地ほども異なる。
古代の人々と現代に生きる我々を比べると、我々は彼ら古代人の足元にさえ
近づけていないのだ。
動画 テキスト
● 外部の環境で救われると考える者達
近代において共産主義国家や社会主義国家などの残酷で無慈悲で愚劣な
国家ができて一時は世界中に広がったのも、近代の人々の多くが迷妄と愚鈍
であったことを物語る。
共産主義者、社会主義者、またその思想を支援する者達は、いずれにせよ
1つの誤った考えに取り付かれている。
それは、外部の環境によって人間は救われると考える点である。
この迷妄の考えに支配されている為に、これらの主義者は、外部の仕組み、
例えば政治体制や社会体制などの確立に懸命になる。
あげくの果てに、その外部環境の確立の為ならば、どれだけの犠牲も出しても
かまわないと考えるようになる。
目的遂行の為に多くの人々を苦しめ犠牲にする。
実際にいくつもの共産主義国家で、多くの人々が連行され、拷問され、人を人と
して扱われずに、人間の尊厳を奪われて殺されたのだ。
外部の環境が満たされれば最後は救われると考えるから、その目標遂行の
為ならば途中の過程などに目をつぶっても良いと考える。
その印籠を持って、残虐へと変化するのだ。
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● 人間の内部にこそある@
偉大な時代の偉大な人々は必ず以下の考えをもつ。
人間の救いは、我々の外部の環境にあるのではなく
我々の内面にこそある。人間の内部にこそ存在する。
人間の外部にある環境で人間は真に救われはしないことを知っている。
人間を救う道は、人間の内部にこそあるという確信がそこにはある。
その表れの1つが慈悲であり愛であることも知っている。
また人間内部から湧き出るような情熱が学問を発展させ、永遠なるものを
追い求める気迫が芸術作品を生み出す。
人間の救い
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× 人間の外部 = 政治体制、社会体制
○ 人間の内部 = 芸術、学問、慈悲、愛
学問は結果的に学問が構築されたことに価値があるものではなく、
学問を行う際の論理的思考の実践の中にこそ真価がある。
真理を追い求める為には、不要な考え(=思い込み)を削ぎ落としていくことが
必要となる。そうしなければ真理に近づけはしない。その作業の中にこそ
学問を行う真価がある。
もちろん人間の外部の環境は軽視できるものではない。
まさに人間は生きる為に生活する。
なれどただ食べて寝て働いて遊ぶ為に人間は生きているのではない。
人間の内部から発せられたものこそ価値があると信じるからこそ、天才芸術家
が残した作品には値段がつけられない程の価値まで跳ね上がる。
外的環境によって得られるお金の価値では値段が釣り合わなくなるのだ。
内面に価値を見出すこと。その内面の表れこそが芸術であり、学問であった。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の学者へ
』
『 稲穂黄金の未来の芸術家へ 』
● 大事なこと=人間の尊厳に対する意識
愚昧と迷妄の社会において多くの人々の人間の尊厳が奪われる。
この社会において、人々が真に理解することは、身分の差の解消などでは
決してない。人間の尊厳に対する意識なのである。
どれほど身分の差がないことを社会的に保証したとしても、人間の生に対する
深い理解、人間の尊厳に対する意識が失われれば、その社会はいつしか
浮浪者をまるでゴミくずのように見下し、見捨てる社会となる。
人間がこの世界を生きる意味の理解から入らずに、その外部にある政治体制
や社会体制、はたまたイデオロギーから入った国家はことごとく駄目になった。
人間の内面にうごめく欲求が見えないためである。
外的環境だけを重んじた共産主義国家や社会主義国家の終末はすぐさま訪れ
我々の知るところとなった。これら国家の体制下でどれだけ残酷な出来事、
悲しい出来事が起ったかは世に伝えられた。
外的環境に安易に救いを求めた結果、人間の奥に潜む悪がまとまって
一気にしっぺ返しをしたようなものである。
現代の朝鮮半島においても、社会主義、共産国家の指導者が、国民の財産を
私物化し国民に労苦を与え、時にその命を弄んでいる。 これらの指導者は
人間がこの世界を生きる意味について思い当たることがまるでないのだ。
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● 古代人と近代人の差
古代の人々と近代の人々には大きな差がある。
特に以下の3つにおいて古代人は近代人を圧倒する。
@ この世界の姿を捉える力
A この世界を人間が生きる意味についての理解
B 数千年先の人類に対する愛
エジプト文明やメソポアミア文明、ローマ文明などの古代の人々の意識は
我々よりも遥か遠くまで捉えていた。
人間に対する愛情は、時代を超えて我々に語りかける。
ピラミッドはまさにその当時のエジプトの人々の信仰であり、確信である。
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● 人間の可能性を知る
長い歴史を知ること。その中には真に偉大な文明があることを知る。
その偉大な文明の存在が、人間の可能性を教えるのだ。
確かに我々人類は救われがたい。その証拠に、まったく利点が見られない
国家や時代も多々ある。歴史の中ではそのような時代の方が多いとも言える。
例外的な偉大な文明。
古代エジプト、古代ローマの遺跡の数々が、人間の美しさを展開して我々に
人間の可能性を知らしめてくれている。
偉大なものは長くは続かない。
古代エジプトも古代ローマも、もはや地上のどこにも存在しない。
確かにそれは我々人類にとっては異常な状態なのだろう。
人間の圧倒的多数は迷妄と愚鈍の中にいる。
人間が最悪にいたらない為に、なるほど民主主義はその意味で意義はある。
民主主義は最悪にいたりにくい分、最上に至ることも極めて少ない。
時間的に長く続くことに価値を見出すならば、民主主義も中々の優等生
になれる可能性がある。あくまでも時間を価値の尺度で!という意味で。
プラトンが民主主義に価値を見出さなかったのも、プラトンにとっては時間の長さ
が問題はなかったからだ。時間を超えて、真の高みに到達することにこそ
プラトンは価値を見たのだ。
もちろん長く続くことの利点も否定できない。
その間に良きものが生まれないとも限らないからだ。
その可能性の為にこそ、時間の経過にも価値があるといえる。
いまだ果たしえぬその可能性の為に、一生を懸命に、未来へつむいでいる者達
がいる。それは動物である。動物にとってみればまさにこの地上に根付き、
未来に命をつなぐことで、可能性を残すことに一生を捧げる。
我々人間もまた動物と同じ面をもつ。
なれど可能性をつなぐことではなく、まさにその可能性を実現する機会を
有しているのが人間である。
永遠なるものへ通じる生き方を望み、実践できる可能性を人間は有している。
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