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陰陽と若者 |
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若者は、ひたすら陽でいいのだ。
陽!陽!陽!の心意気で日々を過ごせばよい。
● 陰陽と世代@
若者は、一に陽、二に陽、三に陽でいい。
そのぐらい陽に向かって進み、人間社会で実力をつけることが必要である。
社会で有為な存在になることである。
他人を救う前に自分を救う必要がある。
赤ん坊の姿は、まさしく陽である。
お腹がすけば大声で泣き、それ以外にも不快であれば泣く。
欠乏があれば泣くし、反対に満たされていれば、満面の笑みを見せてくれる。
赤ん坊の笑顔を見れば、仕事の疲れなど吹き飛ぶものだ。
赤ん坊の笑顔が周囲の大人に陽の大切さを教える。
子供の姿もまさしく陽である。
その陽へ向かって、くったくなく進む。
彼らは、ママゴトもすれば、ロボットで遊ぶ。
子供は、どこまでも発展的であろうと夢見る。そうして行動する。
思い思いの絵をあちこちに書くし、積み木でお家をつくる。
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● 陰陽と世代A
青年になると悩みが生まれる。
なぜなら陽の世界だけではなく、陰の世界に気づくからである。
陽の世界へと進む不安もあれば、まだ見ぬ陰の世界の魅力も感じる。
迷いが生じるのもこの年齢である。
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● 陰陽と学生生活@
学生生活、特に大学の4年間などは、人によって過ごしかたが大きく異なる。
この時に大切なのは、陰と陽、どちらに傾いても良いということだ。
ひたすら陽に陽に向かうのも良い。
学校の単位を落とさない程度にバイトをいれて社会の人々に接して、夜は
学生同士で、ああでもない、こうでもない色々議論するのも良い。
サークルの部長になり、企画などを行い、後輩の面倒をみることも良いだろう
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● 陰陽と学生生活A
反対に、ひたらす学問に励み、陰に陰に向かうのも良い。
友達の遊びの誘いを断り、異性の誘惑を遠ざけて、ひたすら数学や物理学に
打ち込むのも、ひたすら経済学に打ち込むのも絵や音楽に打ち込むのも良い。
歴史上の優れた探究者や芸術家の中で、青年時代にそういう孤独に耐えて
貫き通した経験がない者は、たぶんいないだろう。
若者は、どちらでも良い。
ひたすら陰へ向かうことが許される時期、学生の特権である。
いずれ社会にでれば、否応なく陽に向かうことを要求される。
必要にせまられる。環境がそうさせる。
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● 社会人になった若者と陰陽
大学で陰へ陰へ進んだ者も社会人になれば、陽へ向かうことが要求される。
会社で利益を得るとは、社会に対する発展的な試みであり、会社からの
お給料はその対価である。
社会人になれば、ひたすら陽へ陽へ進むことである。
それが社会でよりよく生きる為の実力となる。
パッと切り替えて、ひたすら陽へ陽へ進むのだ。
上司や同僚などの付き合いも積極的に進めていくのが良いだろう。
それらの人々と出会った事は、その人の現在の実力であり現実である。
縁とはそのようなものである。
もちろん、あまりにもおかしい上司や同僚からは、遠ざかる工夫も早いうちに
学ぶことにもなろうが、そこで出会った人々はひとまず、君の縁の賜物だ。
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● 学生時代の特権
学生の時期こそ、陰になっても良いし陽になっても良い。
学生時代にひたすら学問に励み陰になった人は社会人になったときに、
今度は陽になればよい。一に陽、二に陽、三に陽となればよい。
社会的な実力とつながりを作ればよいのだ。
上司や同僚ののみに誘われたらば、ついていってお酌をして話をきけばよい。
なにせ、人間社会は、人間によって引き立てられもしまた新しい道が開けるかも
しれない。
陽の舞台である人間社会において、あらゆる可能性を広げておくことは
やらないよりか百倍も良い。
社会人になれば、陽を求められる。
学生生活は、その陽と陰が選ぶことができる。
陰がよくて陽が悪いということもない。陽がよくて陰が悪いということもない。
それが選べるのが、学生時代の特権である。
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● 陽であることを恐れるな
社会的な実力をつけることを心がける。それが陽である。
人類全体でみれば、人々が陽ばかりになることは天の怒りを買うことは述べた。
確かに社会全体で陽に傾けば天の怒りを買い、天変地変などが
起こるやも知れない。
だからいって陽になることを畏れる必要はない。
個々人でみれば陽になることを畏れることはまったくない。
反対に、ひたすら陽でいいのだ。
特に若者は、陽!陽!陽!の心意気で日々を過ごせばよい。
大人も陽!陽!陰という感じで、陽を前面に出せばよい。
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● 神様が調整する
その人が陽に傾きすぎれば、いずれが神様が陰が足りなければ、それを
補わせるために、病気にさせて病院に入院させる。
なんらかの手段で、その人に小休止をいれるのだ。
仕事にいきたくても行けず日がな病院のベットで過ごす日々。
自分がいなくても、社会は何事もなかったかのように着実に進んでいく。
ぽっかり空いた口は、空を向く。
病院のベットの上で、いままでの人生などを思い出したりする。
日常のビジネスや生産活動から離れたことで、今まで考えなかったような事
が次々と頭に浮かんでくる。
今まで読めなかった本を読む日々が続き、そして熟考する。
陰の存在を知らせるかのように。
個々人の陽の偏りは、神様が調整してくださる。
だから、各自、いくらでも陽へ!陽へ!と向かっていって良い。
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● 陽の力の蓄積@
陽を真剣に求めず、陰ばかりの道を歩むものは、この人間社会を軽視しやすく
なりやすい。
人間社会の中で、何かを現実に目に見える形にする為には、人間社会が
良いとか、悪いとか、ああだこうだといっている暇はない。
ただひたすらに、眼前にある人間社会のありようを分析し、理解し、受け入れ、
それを乗り越えて、前向きに発展させる力も必要である。
商売を繁盛させる商売人は忍耐強くおごらない。
会社経営者もたいていは慎重であり、そうしてねばり強い。
その粘りが時に、大胆に勇気をもって進む一歩をつくる。
人間社会で何かをなしたいと思うなら、まず何よりも先に陽の力を
身に付ける事を第一に考える事である。
若者だけではない。この大地に生きる人々は求められる。
陽!陽!陽!と進むぐらいの気迫が人間には合ってよい。
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● 陽の力の蓄積A
社会的な実力がなければ、他人を救えない事も多々ある。
日常の様々な実務の中で培われた能力が、人々を支えることがある。
人間社会の中で現実的な問題に直面し、葛藤し、それらを自己の内部で
乗り越えた経験もない宗教家の話に、誰が耳を傾けるのだろう。
その話のどこに真実の重みがを見つけられるだろうか?
生活を保障された宗教家がいるとして、その安穏とした地位から、日々の生活
に四苦八苦している多くの人々の気持ちなど理解できはすまい。
それはまさに他人事になるであろう。
多くの衆生は、陽の世界に住み、その中でもまれ、苦しんでいる。
陽の世界で失敗しても苦しんでいるし、成功しても苦しんでいる者がいる。
それらの人々を理解するには、どうしても陽を知る必要があり、陽の世界の中
で問題に直面する体験が必要であり、それらを克服する必要がある。
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● 国家全体で見たときの陰
人間1人1人は、なによりも陽を優先させてよい。
一に陽、二に陽、三に陽であってよい。
だが多くの人間があまり社会を形成し、国家を形成すれば、陰の存在が
無視できなくなる。
陰は必要である。
人類が全体において、陽ばかりを求めていたら、天の怒りを
受けかねない。人間が人間であることを天は欲する。
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● もっとも良い方法@
陰と陽について個人で実していくときには、良い方法が2つ存在する。
それは以下である。
@ 陰以上に陽の道に進む
A 陰のその中に陽を発見する
あなたが陰の道に進みたかったら、それを越えるだけの陽を実践する事だ。
あなたが陽の道に進みたかったら、それに接近するだけの陰を実践する事だ。
陰 ⇒ 10 陽 ⇒ 15
〜
陰 ⇒ 20 陽 ⇒ 30
個人として陽に傾くことは素晴らしい。
陽、陽、陽と進んで進むのが良い。
そして神様にちょっとお前、陽ばかりを求めている、待ちなさいと言われて
止められるぐらいでよい。
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● もっとも良い方法A
さらにもう1つ良い方法が、陰の中に陽を発見することだ。
これはどういうことかと言えば、例えば小説家が優れた文学を追求するだけ
ではなく、それと同時に多くの人々が心から楽しめる作品も提供することだ。
作曲家であれば、最上の音楽を追求するだけではなく、多くの人々が楽しく
優雅に聴ける心地良い音楽を提供することだ。
モーツワルトの曲は、聴いていても楽しい気持ちにさせてくれる。
それに対してベートーベンの曲は、少し重い。
もちろん、どちらも甲乙つけがたく素晴らしいのであるが、ベートーベンの曲は
その曲が生み出されまでに、ベートーベンがどれ程の葛藤を乗り越えかが
なんとはなにし伝わってくる。
肩の力を抜いて、息を抜いて、楽しい作品をもたらす事を並行して行うことは
その製作者自身にとって、良い影響を与える。
日本の優れた浮世絵画家達の素晴らしさは、絵の中の随所に遊びが
見られる点である。
あのゴッホも浮世絵に出会い、模写していた時代の絵は、明るさに満ちている。
浮世絵に強い衝撃を受けたゴッホ。この当時の絵は明るさに満ちている。
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● 陰の中の陽=遊びの心
思想家ならば、息抜きに小説を書いてみるのも良い。
マルクスやマックスヴェーバが書いた恋愛小説があれば読んでみたいものだ。
もちろん息抜きといっても手抜きなどではない。
小説家であるものは、推理小説や歴史小説、はたまた恋愛小説など幅広い
ジャンルに挑戦して行くのも良い。
適時、自分の心の中に遊びを入れていくのが良い。
陰の道ばかりに進むと息が詰まるものだ。
科学者であれば、時に子供達と面白い実験をするのも良いし、
数学者であれば図形やパズルを使って遊ぶのも実に良い。
遊びを入れて楽しむ気持ちが必要である。
とかく探究者の道は陰へ陰へと入り込む事が求められるから、
そればかり、続けているとどうしても息が苦しくなってくる。
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● 神様の態度@
人間がひたすら陽に進むとき、神様は人間の姿を笑ってみている。
人間がひたらす陰に進むとき、神様は人間の姿をじっと見ている。
陽に進むとき、神様は手をたびたび差し伸べてくれる。
なれども、陰へ進む時に神様はなかなか手を差し伸べずにじ〜と見ている。
神様もその作品を楽しみにまっているのか、それとも手助けすれば、その作品
はそこで止まってしまうかは知らぬが、神様は簡単に手を差し伸べない。
苦労して貧乏のどん底で死んでいく、優れた芸術家も数多く存在する。
偉大な知性の多くも、その大半は無名の生涯であり、現実的な生活に
おいて色々と苦労している。
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● 神様の態度A
確かに陰の道へ進む時は苦しいものである。
特に陰に進みすぎるとその苦しさで倒れる寸前となる。
現実の苦しさは、常にその探究者に襲い掛かる。
だからこそ、陰の道を究める者には工夫が必要である。
陰の中に陽を発見し、陰を極める事によって押し寄せる苦しさを
緩和させる工夫が求められる。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の無名の強さ 』
『 稲穂黄金の未来の知識人 』
● 偉大な者達の足跡@
多くの人々があまりに陽ばかり求めると、天は怒り、転変地変によって、
それまで人間が懸命に陽によって積み上げてきた成果を根こそぎ奪う。
その時になって、人類全体がはっと気づく。
気づいても急には止まれないので、だから、その間、もがいて苦しむ。
人々は、いつしか救いを求める。
その時に偉人が天からもたらされる。
人々に道を示す偉大な者が生まれる。
だが偉大な者達の生涯は、苦難の連続である。
なぜならば、人類全体が陽に傾いたことによる歪を支えることになるからだ。
人類全体に対応する陰を背負う必要が結果的に求められる。
それゆえに真に優れた者達は、徹底的に陰の道を突き進む覚悟が必要であり
実際にどこまでも深く陰へ進んだ経緯をもつ。
と同時に、その陰の道に負けないだけの陽の道も切り開いている。
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● 偉大な者達の足跡A
釈尊もイエスも精力的に布教の旅に出かけた。
行基や空海などの優れた仏僧は、仏の教えだけでなく当時の最先端の
土木技術、建築技術に精通していた。
実際に多くの橋を作ったり、川の堤防を作ったりしている。
空海は、当時では短時間で、満濃池の修復を完了している。
釈尊などはありとあらゆる修行を行っている。
孔子もあらゆる職業を経験して現世的な苦労を乗り越えている。
そのすさまじい陰と陽へのアプローチの存在を衆生は知らない。
イエスは、石を投げつけられても、イエスに石を投げつけた者達の許しを
神へ請うたのだ。
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● 衆生の救済
これらの偉大な者達が、与えられた能力を自分自身や自分の家族の為だけ
に使用したならば、彼らはその当時、誰よりも経済的に豊かになれただろう。
この地上のあらゆるものを彼らは手にしただろう。
それが可能にするだけの能力を持っていた。
だが彼らはそれを選ばなかった。
悪魔サタンが、私に従うなら、この地上のあらゆるものをイエスにあげようと
述べても、イエスはその誘いに乗らなかった。
偉大な者達は、皆、衆生と共に生きた。
衆生と共に生きたイエス
これらの偉大な者達は、その能力を衆生の救済へと向けた。
生まれる以前から天の神々と仏と、約束してきたかのごとく。
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● 偉人と人々と文明
釈尊が人類の歴史において真理に対して誰よりも深いところまで辿り付いた。
釈尊は悟りを開いた。
釈尊は悟りを開きたいがために悟りを開いたのではない。
イエスは、十字架を背負わされ、人々の怒号の中を肉体の痛みと心の痛みを
背負いながら歩く時でも、イエスは、人々の行いの許しと幸福を祈った。
真に偉大な人々がこの地上に現われた。
人類の圧倒的多くの人々は、これらの優れた人々の苦しみを少しでも
癒すことは決してできないだろうか?
そうではない。
1人1人が陰の道へ少し進めば、それだけ偉大な人々に押しかかる重みを
減らすことができる。偉大な文明に多くの人々が陰の意味を理解して実践した。
もちろん陰に進めば、それ以上に陽に進むことである。
そうやって多くの人々が、陰と陽の道に進む時、その陰陽を理解したときに
国家はある壁を越えて、文明へ至る。
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● 若者と陰陽
若者はどこまでも陽へ陽へ進んでよい。
植物も育ちざかりの時は、綺麗な水と、日の光が必要である。
若者はどんどんと陽へ陽へと進んでよい。
陰の存在を忘れずに、ひたすら陽へ陽へと進んでよい。
植物はいつしか、次の世代へ命をつなぐ種を育む。
養分の一部は種に注ぎ始める。それが陰である。
種が地面におちてまた再び新たな命が育まれる。
若者は、陰の存在を忘れなければ、ひたすら陽へ陽へと向かっていくのだ。
その陽の中に陰を見る時が、いずれ訪れる。
その時に陰へ進めばよい。
陰の道をひたすら進めば、その陰の中に陽を見ることの意義にも気づく。
さあ、とにもかくにも、ひたすら陽へ!陽へ!
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