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陽とは何か |
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陽を追求しようと思えば、人間社会の有り様に注目せざるおえない。
であればこそ、他人によって支えられていることを理解するようになる。
● 陽と陰
人間にとって陽とは何か?陰とは何か?
再度述べさせてもらう。
陽とは、人間の外部にあるものに働きかける行為をいう。 陰とは、人間の内部にあるものに働きかける行為をいう。
それゆえ、陽と陰でその舞台は異なる。
陽の舞台は、この大地であり人間社会である。
陰の舞台は、人間の感性であり、理性であり、人間の精神である。
この章では、陽について詳細に述べていく。
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● 陽と人間社会@
陽を追求しようと思えば、人間社会の有り様に注目せざるおえない。
あなたが仕事につこうとしたときに、その面接官はあなたよりも技量が劣って
いるかもしれない。なれどもあなたがその会社に入社できるかどうかの鍵は
その面接官が握っており、そして決定される。
ここでは、その仕事に就くことが良いとか悪いとかいっているのではなく、
どの仕事や会社につこうが、それはあなたの一生になんらかの影響を与えて
いるという事実である。
もしかしたら、あなたの一生の上での重要なターニングポイントにもなりうるかも
しれない。
その会社で働いていたからこそ、現在の嫁さんに出会った。
あの上司の下で働いたからこそ、今のポストがある。
お得意さんの紹介で知り合った彼女と結婚し、2人の子供に恵まれた。
生まれた子供は、2人が出会わなければ生まれなかった。
もとを辿れば、それを後押ししてくれた誰かの存在がある。
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● 陽と人間社会A
会社の上司とあまり馬が合わなくても、あなたがその会社で出世した時に
あなたを後押ししてくれたのは、その上司かもしれない。
それにより生活も安定し、マイホームを買えたのかもしれない。
もちろん、だからといって上司に迎合しろといっているのではない。
お得意さんが、新たなお得意さんを紹介してくれて、それにより、あなたの業績
が飛躍的に伸びて、他の会社からスカウトされる事だってないとは言えない。
つまり人間社会において、あなたが何かの形をなそうとするならば
それを求めるならば、他人の存在を軽視できないはずだ。
人間社会のありようを知らねばならない。
そうして、それに対応することが求められる。
人間社会の主役は、また人間なのである。
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● 陽を徹底的に追求した人の価値観
陽を徹底的に追求したことのある人間と、そうでない人間には、
この人間社会の姿は、大きく異なって写っていることだろう。
あなたが誰よりも優れていたとしても、あなたが人間社会の中で
何らかの目に見える形を残す為には、他人の協力が不可欠で
あり、実際に他人の協力があるだろう。
陽の世界とは、まさに人間の外側にあり、その重要な1つが人間社会であり
それは他人の協力を得られるかどうかが大きな勝敗の鍵となる。
そうやって互い同士でつながっていて、そこに不思議な縁が生まれ
偶然が重なって、道が開ける人もいる。
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● 実社会で形を残す者
この人間社会、実社会の中で何らかの形を残す人々は、人間社会を懸命に
分析し、対処しようとする。
よりよい形を残そうとする努力は、商人であれ、政治家であれ、芸能人であれ
どんな分野の人であってもその対応に迫られる。
その中で、不思議に縁に導かれて、助けられ乗り越えられたことを体験する。
陽に真剣に向かった経験のある人は、たとえ人間社会がどのような程度で
あろうが、だからといって人間社会を軽視する者はいないであろう。
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● 実社会と実学
実社会で前向きに発展的に生きようとするならば実学の存在は決して無視
できない。実社会で通用する実学を理解し、マスターすることは重要である。
実社会を生きる上で実学を身に付けることは、とても重要であり、特に若い時
から実学を多く身に付けていくことは大切である。
戦国時代でいえば、槍や弓などであろうし、江戸時代の商人の家では算盤
が出来る事が重要である。
現代でいえば英会話や、パソコンスキルなどがあげられるだろう。
時代、時代によって、求められるものは異なるが、陽の世界で発展的に
生きる事を考えた場合には、実学を身に付けることは重要である。
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● 陽の世界と問題の発生@
だが陽の世界は、それでそれで問題を抱えてもいる。
陽の世界は、この大地を改良する。人間の外部に働きかけるものである。
それゆえ人々は、手と携え協力することを覚える。
ここまでは良い。
問題はここからである。
皆で力をあわせ、そうやって発展させ、育てあげた穀物や作り出した商品や
製品の対価である富を、どのように分配するかである。
陽の世界では、ここから多くの問題が発生する。
その対処に間違えば、人間の陰の部分にさえ影響を与えることもあるし、
陰に影響を与えてしまえば、陽の世界でどれだけ満たされても、もはやその
勢いは止まらずに陽の世界を壊してしまうこともある。
人間の醜い面があまりに助長されて収拾がつかない事もある。
陽の世界の人間社会では、法律が作られ、ルールが作られた。
この人間社会の中でなんらかの形を残す人は、そのルールに従って進む事を
心がける。
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● 陽の世界と問題の発生A
もちろん、そのルールに従ってさえいれば十分かといえばそうではない。
それだけでは不充分である。
ルール化されない部分こそが重要である。
人間社会を知悉せずに、それを軽視したことが、後々になって響くことなど
往々にあることを商売人は良く良く理解している。
人間社会を相手にして生き抜いてきた商売人は、その怖さを理解している。
これらの人々は、用心深く、慎重に事に対処する。
海千山千の商売人は、世間の怖さを理解している。
陽の世界の中だけで、常に良い成績を出し続けるのにも忍耐が必要である。
商売人は、世間の怖さを腹の奥底にしまって何事もないかのように笑って進む。
それが真の商売人であり、それこそが商人魂であろう。
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● 陽の利点
陽を求めて生きることの一番の利点は、陽の舞台である人間社会においては
自分以外の人々の力を借りることが必要だという事を体験をする事にある。
他の人々と上手な関係を構築することの重要性を認識する事である。
そしてそれらの体験が以下の思いを形成させる。
どのような人々であれ馬鹿にしないということ。
人間社会には、あらゆる因果が絡み合っている。
ある人々との偶然の出会いにより、そこから仕事をもらい、さらには
お引き立て願えることもある。
むろん、これらの因果関係は人間の目では、捉えきれないであろう。
正確な因果関係はつかめぬとしても、何らかのつながりがあるだと考える事は
実感するようになる。
他の人々の存在が、互いに影響しあって、互いの生涯に厳然たる大きな影響
を与えている事実に気づくのである。
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● 陽の欠点@
陽がもたらす現実的な果実が人間にとって喜びと快適さをもたらす。
陽の欠点があるとすれば以下である。
陽のその快適さゆえに、人々から陰の存在を忘れてしまう事だ。
陽の世界で活躍して成功した実業家や、大金持ちは、欲しい商品、製品を
手に入れ、快適な生活を手にする。
またこれが他人からもうらやましがられ、気分も悪くない。
おいしい食事、快適な生活、人々から認知される喜び、やりがいのある仕事
社会的なステータス、人々からの信頼などなどに囲まれているとそれで満ちた
りてくる。
こういう人々の内からは、普遍的な作品が生まれることはない。
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● 陽と欠点A
陽ばかり求める行為、つまり人間の外側からくる刺激や喜びばかりに意識が
集中すると、人間は己の中に有する人間の可能性に目を
つむることになる。
もちろん、人間はまずは陽であらねばならない。
この大地の上に立っているからだ。まず立ち上げられねばならない。
しかし、この地上に陽ばかりを求める行為は、この地上で人間の可能性を
展開する事を忘れたと見なされる。
陽でありつづけることは動物には許される。
動物は捕食し、交尾し、寝て起きる。
外的な世界への関心が100%であることは動物には許される。
動物にも内面を見ている余裕などまったくない。
彼らは、まさにこの大地の上で命の格闘を日々経ている。
人間ももちろん動物ではある。
だが、陽であり続けることを人間は許されていない。
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● 陰の欠如と天の怒り@
陽の欠点が引き起こす問題がある。
それは陰の欠如が、天の怒りを買うことがある。
ここでいう陰の欠如とは、人間1人1人に対して言っているのではない。
人類全体で見て、そのどこにも陰の存在が見られない場合、天は人間は
陽と陰の存在であることを知らせるかのように、陽と陰のバランスを調整する。
社会全体、人類全体において、多くの人々が陽にかたよりすぎた時に、多くの
歪みが社会にもたらされる。
それでも圧倒的な人間が陽ばかり求めると、ついには天の怒りを買う。
それゆえ実際には天の怒りをかうと言うよりも、人間が本来の人間でなく
大きく偏りが生まれた時に、自然がその振り子を元に戻すように、
陽へ傾いた天秤を陰へ戻そうとする。
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● 陰の欠如と天の怒りA
今まで人々が陽の道ばかりを邁進して、懸命に1つ1つ積み上げてきたものが
一気に失われる事態が起こる。
いままで一生懸命に田畑を耕し、商品をつくり、製品を作り、建物をつくり、
道路を作ってきたが、天変地変がおきてそれらを根こそぎ奪っていく。
それまで積み上げてきた陽が帳消しにされるがごとくになる。
人間が時間をかけて積み上げてきたものが瞬時に、簡単に奪われる。
人間社会が全体として陽ばかりを求めて動けば、いずれ、その偏りを戻そうと
する強い揺り戻しが発生する。その大きな力が人間社会を一気に襲う。
人類全体でみれば、陽だけでなく陰の存在が必要である。
陰は、無視できるような存在ではない。
なれど、人々は陽を求め、そこから得られるものが快適であればあるほど
いつしか人間は、陰の存在自体を忘れてしまう。
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● 怒りの方向性@
天は怒りを示す。
そのやり方は概ね2つの方向性をもつ。
1つは地震、落雷、洪水などの天変地変を通して人々に
知らせて改心を迫る方法。
もう1つは、不信不和、差別、貧困、略奪、争いなどを人間社会の内から
発生せさ、苦悩させ、人間に改心を迫る方法。
あらゆる地域で上記のうちのどちらか一方、または両方がもたらされてきた。
なんの因果かは知らぬが、人間不和が広がった時に、時を同じくして
はやり病や伝染病、疫病などが急速に拡大していく。
人間は、自分達の無力さと愚かさを、これでもか、これでもかと言われるごとく
追い詰められ、そこで初めて人間は改心し、気持ちを新たにして進む。
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● 怒りの方向性A
自然の中に神々がいることを信じる多神教を受け入れる国の人々にとっては
天変地変は、天の怒りだと直ぐに理解する。
なれども自然の中に神を見ない一神教の地域に住む人々は、天変地変が
人間の諸行によって、神々の怒りに結びついたとは直接には考えない。
特に予定説を信じるプロテスタントのカルヴァン派の人々はそうである。
それらの地域においては、人間の内から多くの問題を発生させて、
不信・不和から迫害がおこり、それらの人間からの手痛い諸行によって
信者は、神のご加護にすがるようになる。
人間の内から多くの問題を発生させて、いよいようまくいかないときに反省を
促すことになる。
キリスト教が、免罪符の配布の中でプロテスタントが生まれ、カトリックと
プロテスタントの2つに大きく分かれたように。
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● ポンペイの悲劇
ローマの余暇地として栄えたポンペイ。
紀元1世紀(79年)に、ヴェスビオ火山の噴火によって、瞬く間に都市は、
火砕流に巻き込まれて人々は命を失った。
都市は灰に飲み込まれ、それから再建されることはなかった。
当時の古代ローマの人々は、ポンペイの消滅を大地の神々の怒りであると
多くの人々は認識したであろう。
というのも、それ以降、ポンペイが掘り起こされ、再建されることはなどが
まったくなかったからである。
ポンペイはその後、1600年の長きに渡り眠り続けた。
古代の日本も、天変地変は、神々の怒りだと信じてきた。
何か人間の良くない行いが、これらを引き起こしてきたと信じてきた。
それゆえ人々は、豊作の感謝、日々の生活の感謝を神に述べてきた。
人間が大地に生かされている感謝を忘れると、日本ではいつも手痛い仕打ち
を受けるようになった。
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● 陽の世界を突き進むユダヤ@
ユダヤは陽の世界を突き進む。ユダヤは大地を肯定する。
ユダヤにとっては死後の世界などはない。
生こそが全て。それがユダヤの教えである。
世界中のあらゆる宗教の中で、死後の世界について何らかの予感をもたない
宗教がユダヤ教である。
世界中のあらゆる宗教は、生と死を越えても残りうる何物かについて語って
いるものである。
なれどもユダヤにとっては生こそが全てである。
なぜなら、彼らユダヤは、この地球が彼らの絶対者から与えられた楽園だと
信じているからだ。
大地への積極的な働きかけこそがユダヤにとって重要である。
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● 陽の世界を突き進むユダヤA
この世界で陽ばかりを求め続けた民族が、ユダヤ人である。
彼らにとっては陽の世界こそが唯一の世界である。
彼らにとっては生こそがすべてであり、死しても残りうる何物か、人間の魂や
あの世の世界などという考えは、ユダヤ人の頭には毛頭ない。
ユダヤは世界を改良する。
ユダヤは大地を肯定する。
なるほど、それゆえ彼らユダヤ人は、あらゆる分野で成功を収めている。
商業、経済、政治など実学において彼らにまさる民族はそうはいない。
他の民族から際立った優秀さを示している。
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● ユダヤ人に求めないもの
確かにユダヤ人は、多くの優れた科学者を排出する。
多くの優れた経済人を輩出する。
科学者を始めとして、医者や弁護士などに名を連ねる。
だが、誰がユダヤ人に哲学者などを期待しようか?
誰がユダヤ人からゲーテの登場を期待するであろうか?
誰がユダヤ人から、ホメロスの登場を期待するであろうか?
それを期待するものはおるまい。
ユダヤ的世界観を信じているユダヤ人からは、これらの偉大な精神性を発揮
した者達の登場を誰が期待するだろうか?
ユダヤは、この大地を改良する実学には、非常に長けている。
その最たるものが科学であろう。
科学は、この世界の作用を探求し、その作用が物質に影響を与えて、
また他の物質へ働きかける。この世界にある物質に働きかける。
科学は、あらゆる製品の基礎をなしている。
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* 上記で述べているユダヤ人とは、ユダヤ的世界観を信じている人々を
想定して述べている。
ユダヤ的世界観から離れたユダヤ人は上記に該当しない。
● 外的世界の働きかけ@
ユダヤ人の優秀さはよく知られる。
ユダヤ人は大地を肯定する。
特に外的世界への働きかけにおいてユダヤ民族は突出した成果を残す。
ユダヤは、大地を改良する事、つまり陽にのみ特化する。
それゆえに内面の陰の道へ進むよりも陽の道に進むことを好む。
抽象的世界を扱う数学者よりは、この世界の現実の物質の作用を探究する
物理学者や化学者の数の方が、ずば抜けて多い。
さらには、実経済の金融に多くのユダヤ人の銀行家がいるし、また多くの
優れた経済学者も排出する。
どうしても現実的な改良を伴う分野でユダヤ人は多く活躍する。
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● 外的世界の働きかけA
著名な科学者の数に比べて、著名な小説家や芸術家の数は、ぐっと少ない。
もちろん、実際にユダヤ人で活躍する芸術家や小説家もいるにはいる。
しかし現世的な価値を越えた価値をこそに見出す芸術において、
果たしてユダヤ的世界観に頭を占領され盲信した人々が、どれほどの
偉大な芸術作品をもたらすことができるだろうか?
真に優れた芸術家は、生と死を越えても、存続し続ける何かを求めて、
常に描き続けるものである。
もしユダヤ人から真に偉大な芸術作品が生まれるならば、そのユダヤ人の頭の
中には、もはやユダヤ的世界観は消えうせているだろう。
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● ユダヤ的世界観から離れたユダヤ人
世の中で真に優れていると評価されるユダヤ人の多くが、実はユダヤ的世界観
からは一定の距離を取った者達である。
真の哲学者であったスピノザは、それゆえにユダヤ社会からは
締め出されて、生涯、レンズを磨いて生計を立てて暮らした。
スピノザは生前、世間にまったく知られずに無名の生涯であった。
スピノザ死後100年以上経てから、彼の名は知られるようになった。
バールーフ・デ・スピノザ
スピノザは生涯を無名で過ごした。
スピノザの名は世に知られるようになったのは彼の死後一世紀以上経ってからだ。
ニールス・ボーアやシュレーディンガーなどの思想は、ユダヤ的世界観からは
大きく離れて、東洋の思想に並々ならぬ関心を示していた。
またアインシュタインも晩年は、ユダヤ的世界観から離れようと努めた。
同様にマルクスもユダヤ的世界観から離れることの重要性を指摘した。
(なれども、そんなマルクスの頭の中はユダヤ的世界観で占領されていた。)
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● ユダヤに襲い掛かる揺り戻し@
ユダヤ民族の優秀さをうらやむ人々に、それではあなたはユダヤ人が歩んで
きた道のりを味わいたいか?と質問すれば、多くの人はNoと答えるだろう。
ユダヤの歴史は、苦難の連続ではある。
モーゼの逃避行/バビロン捕囚/
世界中の放浪の旅/ヨーロッパでの嫌われ者/
ヒトラーの大虐殺/アラブ諸国との絶え間なる紛争
モーゼと十戒
ユダヤは、苦難の道を歩むように宿命付けられている。
なぜなら、ユダヤは陰を見ずに陽ばかり見ることを運命付けられているから。
人間は本来は、陰と陽である。
どちらかに偏れば、歪みが発生して、結果的に自分のところに戻ってくる。
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● ユダヤに襲い掛かる揺り戻しA
ユダヤは、この地上を絶対者からの贈り物と見なしたときから、この大地を
肯定する意外にはなかった。
彼らユダヤはどこまでも大地を肯定し、改良する。
ユダヤはどこまでも陽であり続けなければならない。
陰を無視し、陽のみを見て進む彼らユダヤ人には、それゆえに時にその偏りを
是正する大きな揺り戻しを覚悟せねばならなかった。
長い歴史の中で、ユダヤは度重なる苦難を味わい続けてきた。
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● ユダヤ人とイエス・キリスト
ユダヤ的世界観を信じるユダヤ人は、その宿命を受け入れて、そして大地を
肯定し続ける。
ユダヤ人が大地を肯定しつづけ、陽の方向へ進み続けるからこそ、それに匹敵
する揺り戻しを覚悟せねばならない。
ある人物は陰へと向かうことの大切さを説いた。
己を一身を犠牲にしてそれをユダヤの民にしめした。
その人物とはイエス・キリスト。
イエスは、まさにユダヤ人の救世主であった。
彼は、陽に向かうユダヤ人に対して己の中に愛を見出すこと、己の中に
神の姿を見出すことの重要性を述べた。
イエスの述べる神は、ユダヤのいう絶対者では決してない。
イエスの述べた神とは、まさに仏のことである。
そしてイエスが死ななければならなかったのは、
ユダヤがどこまでも陽であることに固執し続けたからである。
ユダヤ人のバランスを図る上にも、それに匹敵する陰が必要であった。
それゆえにイエスの死によって贖(あがな)われた。
イエスの死(陰)によって、ユダヤ(陽)は、贖われた。
イスカリオテのユダが、陽を象徴するお金(銀貨30枚)の為にイエスを裏切り、
ユダヤ人の祭司長らにイエスを売り渡した行動は、これを象徴している。
イエスはユダヤの陰陽の歪みを是正すべく命を投げ出した。
それゆえ、確かにユダヤには救いの道が残された。
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● 個人と国家、そして陰陽
個々人の生涯でみれば陽が良い。
それは現実的に改善して発展していく道であるからだ。
人間は、まず陽を大切にすることである。
そして何よりも陽を大切にすることである。
なれども人間が社会を形成し、国家を形成する段になると陰の存在も
無視できないものとなる。
多くの人々が、ひたすら陽に傾けば、大きな歪がうまれ、人間社会の至る所
にひびが入り、思いがけないところから多くの問題が噴出する。
人間が動物のように陽の存在であれば、それも許されただろう。
なれども人間には許されない。
人間は陽だけであり続けることは許されていない。
人間は陽だけでなく陰も有する。人間は確かに陰の力を発揮できる。
ひたすら陽へ進むときでも、陰の存在を忘れないことである。
陰を忘れず、陽をへひらすら進むのだ。
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