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陰陽の世界
この世界は陰陽の世界である。
とても良く似た2つのものが、その内部に正反対の性質を含み、それゆえその2つ
は互いを求めながら反発しあう。

 ● 陰陽の均衡@

 我々の住むこの世界は、
陰陽の世界である。
 この世界にはとてもよく似ていて、それでいて正反対の性質を含む2つの
 として別れる。
 常に反発しあいながら、それでいて引き合っている。
 その反発と引き合いによって、バランスを保っている。

 地球と月のように
惑星の周りを飛ぶ衛星は、常に惑星の影響下から
 
脱出して外側へ外側へと解放されることを絶え間なく試みる。

 反対に惑星は、衛星をその懐に
引っ張り込もうと絶え間なく引っ張る。
 その
緊張状態の上に、衛星は惑星の周りを回り続けることになる。

 音楽で使用する弦は、たるんで、ゆるゆるの時には音を発しないが、
 それがピンと張られ緊張することで、張力が生まれる。
 その時に弦に指が触れると、弦は素早く震動し、高い音を奏でる。
 この世界の釣り合いに意味があるのだとを主張するように。

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● 陰陽の均衡A

 草食動物は、草陰に潜む肉食動物の陰におびえて緊張する。
 また肉食動物は、警戒を欠かさない草食動物の存在によって、いつ飢えて
 死んでしまうかを畏れる。
 捕食されるものと捕食するものとの命をかけた駆け引きという
緊張状態
 上に自然界は成り立っている。
                           
大自然の動物ファミリー』シリーズより
  
  
  
捕食するものと、捕食されるもの。どちらも命をかけたサバイバル。
  自然界はこの弱肉強食の
緊張状態の上で微妙なバランスを取り合い、成り立っている。


 また
人間も同様である。
 この大地の上で動物の肉体を与えられ、この大地を改良し、この大地で
 生き抜くことを求められながら、それでいて、空いたほんの僅かの時間に
 動物にはできない、感性、理性、精神、信仰などの探究心、神心を全開にする。

 この大地で生きのびる為の現実の対応を甘く見れば、直ぐにも飢餓や疫病が
 迫ってくる。反対に大地の愛好ばかりを示せば、いつしか動物のごとくに陥り
 
天の怒りを買い、天変地変が訪れて、多くのものが失われる
 動物と人間の間を、人間は行き来する。
 人間は、時に動物であり、時に人間になる。

 それらの陰陽のバランスが崩れれば、人間社会のみならば人間の内面からも
 苦悩が発生し、それが人々へ不信をうみ、不和となり多くの争いに発展する。
 人間同士が血で血で流すことにもなる。

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● 陰陽の世界

 この世界は陰陽の世界であり、陰と陽が共に引き合いながら、それでいて
 決して一緒にならずにバランスを取っている。
 
 この世界の多くのものが似た性質を有する2つのものに別れ、なおかつその
 内部に正反対の性質をかかえ、決して融合せずに、常に一定の距離を保つ。
 陽子と電子、+と−、酸とアルカリ、それは男と女にも及ぶ。
 
 互いが互いに吹き寄せたいと欲するが、それでいて互いは欲する相手自体
 には決してなれないのだ。

 宇宙の惑星と衛星が常に引き合い、逃げあいながら一定の距離を保つように
 男と女の関係の上には、埋めれない溝はある。
 お互いにまったく違う性質をもつがゆえに、惹きあい求め合う。
 それでいて距離が縮まらずに距離を保つ。

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● 陰陽と物理学

 この世界が陰と陽から出来ていることは、古代人も明確に意識していた。
 特に東洋では、
陰陽道として広く伝わっている。
 
 この空間の中で、あらゆるものが2つの似たものに別れながら、
 それでいて、常に引き合い続ける。

 2つのあらゆるものが、求め合いそれでいて一緒にはなれない。
 この空間の中で、様々の2つのものが、互いに引っ張りあいながら
 つかず離れずを繰り返し、自由に振舞う。

 この何もないように見える空間の中に、あらゆる物質が自由に振舞える為の
 何らか
が存在するのではないかと、古代の人々は考えた。

                  
                    対極図 (世界は陰と陽)

 この何もないように見える空間の中では、あらゆる物質が様々な現象を見せて
 いる。この空間は、様々な現象(作用)の自由な表現を許可している。

 それらのあらゆる作用の
形式(=)を発見することこそが未来の
 物理学の役目であり最終的な目的である。
 もし究極の物理学というものがあるとしたらば、まさにこれである。

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● 人間の態度

 人間が
陽の世界で生きる為には、他人への感謝の心が欠かせない。
 人間社会とは多くの人々の取立てがあり、また反対に嫉妬により様々に
 動いていき、互いに協力し合うことで最大の結果をもたらす。
 反対に、他人の足の引っ張り合うこともあり、すべてがご破算になる。

 人間社会は、人間が互いに影響を与え、そうして進んでいく。
 人間社会は、まさに人間によって構成される。

 人間が
陰の世界で生きる為には、優れた先人の業績に触れる事が
 欠かせない。
 なぜなら、そこに人間の可能性の展開を発見できるからだ。
 その
人間の可能性を忘れない事である。

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 ● 動物と人間

 人間が、仮に動物と同じようにこの大地の上で生きるだけの存在ならば、
 それは陽の発展だけで充分であっただろう。
 であるならば、人間も動物のように神や仏は不要であった。

 しかし、人間がこの自然に神を見て、人間の内面に仏を発見できたのは、
 人間の生き方が、動物の生き方とは異なる何かであることを多くの人々が
 確信していたからに違いない。

 その異なる何かこそが、人間の可能性であろう。
 人間は、どこかで人間の可能性を感じているものだ。
 人類が生んだ偉大な芸術家や探究者は、人間の可能性を信じている。

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● 陰と陽に生きる人間

 人間の生きている世界は、陽と陰である。
 人間そのものの存在が、陽と陰をともに含んでいる。

 この世界で物質に触れて、生産的に生きるのが陽である。
 食べ物を作る、家を建てる、社会を形成するなどの手に触れるものである。
 これはとても大切なことである。

 これに対して、目に見えなくて、それでも人間の内面、感性や理性、精神など
 によってもたらされるものこれが陰である。

 人間には、この陽と陰の2つの性質を内包している。
 自然がそのような面を人間にもたせた。
 もちろん、人間だけではなくこの世界がそのような面をもつ。

 人間においては、それが内面の感性や理性、精神、信仰などであり、
 それらを磨き上げることが求められう。
 もし、それを人間が素直に受け入れずに怠れば、いずれ自然はその偏りも
 是正するべくに動く。

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● 陰陽のバランス

 この世界は、陰陽のバランスを巧みに取っている。
 そしてまた人間も陰と陽のバランスをとっていくことが求められる。

 もちろん、片方に傾くことは往々にある。
 バランスをとるというのは、常に均等であれということではなく、こっちに
 傾けば、あっちに力を入れて、反対にあっちが傾けば、こっちに力を入れて
 均等に保っていこうとするプロセスである。

 人間とは、
荒波の上でバランスを保とうとする船員のごとくである。
 嵐の中でも波にのまれまいと、、舵をとり波を越えていく船員である。

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● 何はさておき陽を

 この世界には陰と陽があり、人間はその2つのバランスをとっていく事が
 大切であると述べたが、まず何より、人間が大切にすべきは何か。
 それは
である。

 陽がなければ、我々人間は、この大地に上に立てないからである。
 直ぐに現実に飲まれて、生き伸びることはできない。
 
 この大地は欠乏の世界であり、その中で生きる生きとし生けるものは
 常にこの大地との格闘が必要となる。
 この大地で生きていくことの強い決心が人々を協力させ、人間社会を形成
 させてきた。

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● 人間社会を支えること

 人間は、前向きに人間社会を発展させてきた。
 もちろん、そうできない時代もあったが、それでも人々は、人間社会を発展
 させるべく絶え間なく努力してきた。

 人間は社会を形成し、国をつくり、日一日と活動して生きていく。
 人間社会の中にあっては、発展的に生きる為には他の人間との協力が
 欠かせない。他人の協力によってもらされるものが多々存在する。

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● 陰陽の中の縁(えにし)

 会社での出世であっても、そこには上司や人事部の人間の判断によって
 選ばれて、その人の一生に影響を与える。
 人間社会は、そのように互いが互いに影響を与えながら成り立っている。
 人間に影響を与えるものの中で一番大きいのもまた人間ではある。

 会社の入社面談で学生が、内定をもらう場合には、面接官という人間の何気
 ない判断によって選ばれている。面接官はなんとなく選んだのかもしれないし、
 この人だと思って選んだのかも知れない。

 しかし、この時の面接官の内面の状態はどうあれ、その結果から、学生の未来
 の方向がある程度、定まってもこよう。とにかく何らかの影響はある。
 後で振り返れば、その人の生涯におけるもっとも重要な分岐点だということ
 だってある。

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● 縁(えにし)と感謝

 この大地で発展的に生きようと欲するものは、それゆえこれらの

 軽視することはない。

 発展的に生きることは、人間社会の中で他の人々と触れ合って生きる事
 であり、それゆえ他の人々との協力であり、共存である。
 これを真に体感した人は、他の人々からの応援や、引き立てに対して
 心から感謝することができる。
感謝の意味が理解できる。

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● 衆生と探究者

 国民1人1人は、どこまでも陽であってよい。それでよい。
 しかし、国家全体が陽のみに包まれると天の怒りを買う。

 人間は本来、陽と陰の存在なのに、動物のように外側の刺激によって、それを
 満たすことで生きるだけになれば、それを調整するべく、ゆり戻しが起こる。
 それがどういう因果で起こるかは、人間の目に捉えられない。
 なれども、その歪みがどこかには現われる。
 それが時に天災を引き起こさないなどと断言できるだろうか?

 人間社会において、それが国家という巨大な人々の集まりにおいて
 陰の道を真剣に突き進む本物の存在が必要となる。
 その数は多くなくても良い。だが少なすぎてもいけない。

 その国家が仮に、大発展を望むならば、それに匹敵するだけの陰の道への
 アプローチを行う人間が必要となる。

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● 偉大な文明

 偉大な文明は、経済は隆盛し、国力は増大したが、その背後には人間に
 対する理解、あらゆるものに対する優れた洞察が存在した。

 その洞察の広がりが、人間社会のあらゆる面に利用されることで、多くの問題
 は解消され、人間が本来、有する能力も展開された。
 偉大な文明の背後に、人間そのものに対する深い理解がある。
 人間がこの世界を生きるという意味に対する深い理解がある。

 人間社会をどのように形成していくかを理解し制度やルール、人々のつながり
 考慮して、都市に多くの仕掛けが施された。
 その人間に対する深い理解が文明をもたらした。

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● どうしようもいかなくなった時

 天変地変が起きても、人間社会に様々な問題が発生しても、それでも
 人々が中々、変われなかったときに、天から偉大な人々が贈られる。

 陽へ傾いたものを
調整する人間がこの地上におくられる。
 陰の極まりを知り、陽の大切さを知る人が送られる。

 それが
釈尊であり、老子であり、孔子であり、イエスであり空海である。
 
最澄であり、親鸞であり、出口王仁三郎であり、深見東州さんである。

 彼らは陽の偏りを調整する為に、だれよりも
陰の世界を極める
 それでいて彼らは陽の大切さを知悉し、
衆生を陽へ陽へと導く
 これらの人々は極めて力強くこの大地を生きる。
 まさに陽の人々である。
 偉大な宗教家で気弱な人生でしたなどという話を聞いたことがない。
 彼らの生涯は、そんな甘い覚悟では、とても歩んではいけない。

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● 陽をもたらす気迫、そして愛

 釈尊は、釈迦族の王子として生まれ、当時、誰よりも豊かであった。
 その釈尊がそれらの富や名声、権力の何もかも捨てて、ひたすらに衆生を
 救済する為に、人々と同じところまで降りてきたのだ。
 当時、最下層と呼ばれた人々のところまで降りてきたのだ。

 なにゆえ多くの優れたお坊様が比叡山の山を下りて、一番身分が低い人たち
 のところにいき、衆生を救うことを願ったか。
 それはこの釈尊の大愛を知ったからに他ならない。
 これらのお坊様は、釈尊のごとくその大愛をもって衆生を救わんと欲する。

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● 日本社会にコダマする人々の悲鳴

 21世紀の現代の日本社会では、あちこちで日本人の悲鳴が聞こえている。
 こうなっているのも、日本および日本人が陽のみに傾いたからだ。

 日本社会の有り方が、人間本来の生き方から大きくそれている。 
 もちろん、敢えて日本人がそれを選んでいるというなら、何もいわない。
 だが、本来はそのような社会を望んでいないのに、結果的にそうなって
 いるならば、人間社会のあり方を見直すことが必要である。

 日本が陽に傾いた原因の1つは、日本の学問レベルの低さにある。
 そのレベルというよりは、真剣さのなさである。
 特に日本において文科系の学問がふるわないのだ。

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● 日本の学問の貧弱さ@

 日本において、人間そのものに対する理解が乏しい。
 だからこそ、人間社会に対する理解も乏しい。
 社会の為に人間があるのではない、人間の為に社会がある。

 人間の理解に対するアプローチの弱さは、それら知恵の積み重ねが
 ないことに直結する。

 社会学、経済学、心理学を包括した人間社会、および人間全般に対する理解
 が日本では非常に乏しい。
 
 あらゆる学問を極め、陰を形成するだけの知識人階層が日本では
 形成されていない。
 だから直ぐに国家全体で陽に傾き、様々な問題に対処できない。

 それらの問題を見ないふりをしながら、その問題に蓋をして、日本人は
 大東亜戦争以後の60年間、それでずっとやってきた。
 すでに蓋はこわれ、中から多くのものが溢れている。

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● 日本の学問の貧弱さA

 大東亜戦争後の日本は、神なるもの、仏なるものから大きく離れた。
 それゆえ日本はその本来の力を失った。
 本当に優れたものは、神と仏の側にこそあった日本において、神仏が軽視
 されることは、国家の大幅な減退を意味する。

 真剣に学問を行わない日本の多くの学者では、陰が極まらない。
 陰が極まらないどころか、そんな学者は、すぐに陽ばかりを主張する。
 この国では、陰の道を極めようと覚悟する人の数があまりに少なすぎる。
 真に学問の道に進むものがいれば、その者は陰に至る。
 なれど、日本ではそれが成されない。
 それゆえ、この国では知の力が結集せず、醸造されず、つまりは積み重ね
 ができない状態となっている。

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● 陰の極まらない日本で起こる様々な問題

 陰を極める大切さ、それらを行う人々の欠如は、日本に多くの歪を生んだ。
 そんな日本では、数十年も前から、実にたくさんの問題が発生している。
 陽ばかりを求めている日本の上に多くの問題が発生してきた。
 (この点については『稲穂黄金の未来の知識人へ』で詳細に説明する)

 明治以降のこの日本における大きな問題がある。
 その1つが以下である。
 この日本では、
知識人階層が形成されなかった事である。

 真に優れた知識が多く輩出すれば、知識人階層は形成されるのであるが
 そんな知識人が登場しなかった。
 陰を極めつくすだけの知識人が登場しなかった事である。
 正確にいえば、近代の学問の中心であるべき大学において形成されなかった
 ことである。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
       『 稲穂黄金の未来の知識人へ
         『 稲穂黄金の未来の資本主義
         『 稲穂黄金の日本の症状
         『 稲穂黄金の未来の学史


 
● 深く幅広く学ぶことの重要性

 もちろん大学にも優れた学者がまったく、いなかったわけではない。
 例えば文科系の学問を専攻する学者の中にも優れた学者はいる。
 その筆頭が、小室直樹である。

 彼は、社会学や経済学、歴史をはじめ、数学や物理学をなども良く学んだ。
 戦後の文科系の学者の中では、日本では
小室直樹ピカ一である。

 しかし学者ならば、彼ぐらい、やれてしかるべきである。
 しかし、日本にはそういう学者が本当にいないのだ。
 この国では陰の道を究めようと覚悟と実力をもった者が本当に少ない。

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● 小室直樹について@

 多くの学者が日本が優れていて素晴らしいんだと浮かれていたバブル時代に
 小室直樹は、日本に多くの問題があり、それが広がり、いずれ手がつけれなく
 なることを見抜き、何度も指摘した。

 しかしバブル時代に浮かれている学者や多くの専門家は、真剣に小室直樹
 の声を取り上げることもしなかった。まあ!どうにかなるよ!と高をくくっていた。

 多くの人々は、心地の良い回答を期待していた。
 浮かれている時の人間とは、いつでもそんなものである。

 しかし小室直樹は、それでも自分の主張を曲げなかった。
 現代の日本には大きな問題があり、その問題点を、日本の人々にわかって
 もらう為に、彼は言葉を尽くし、なるべく、わかりやすい表現に努めた。
                    
小室直樹
                 
        
日本の学者ではめずらしく、真に学問をした学者であった。
         惜しい事に昨年2010年にお亡くなりになった


 人々は心地よい回答を期待していたから、小室直樹の真実の声を取り上げ
 ようとはしなかった。

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● 小室直樹についてA

 小室直樹は、人に受け入れられようと自説を曲げて、迎合するような人物では
 決してなかった。それゆえに彼は、その人生の長い時期、不遇な時代があり
 長く経済的な困窮の中で暮らしたとも聞いている。

 
立派である。もちろん貧乏であることがではない。
 貧乏とか豊かとかを超えて、それらに負けずに日本を思い、学問の道を真剣に
 進んで、貫き通した一生であることがだ。

 日本には、こういう学者が本当に少ない。
 これからの日本には、こういう学者が多く育たなければならない。
 そうして小室直樹のように真に学問をした人々の声を、日本人は取り上げて
 いく努力が求められる。
 でなければ、これからいくら待っても日本には、知識階級は形成されまい。
 真剣で地道な努力こそが必要なのである。

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  * ここでは学者は、貧乏であれ!とか言っているのでは決してない。
    貧しいよりは豊かな方が生活も快適な方が良い。
    確かに生活の豊かさも大切であり、決して軽視できない。
    だが豊かさを求める為に、学説を曲げるような人間には、
    決して真理の扉は開かないし、また物事の本質にも迫れまい。



 
● 資本主義下における学問と学者@

 資本主義下において、学者のレベルが
小粒になってしまうことは、
 既に100年以上前から識者に指摘されている。

 資本主義が世の中に普及する以前の学者の多くは、幅広い分野に対する知識
 をゆうし、見識も高く、洞察力は鋭く、あらゆる方面から1つの事象を眺めるだけ
 の力量を有していた。

 それに対して、資本主義が世に普及した以後においては、様々な仕事は
 細分化され、専門化され、職業化された結果、学者の学ぶ領域は狭く
 それゆえ学者は、本当に小粒になった。

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● 資本主義下における学問と学者A

 もちろん、我々が生きる、この21世紀の現代は、資本主義の時代である。
 であるので、学者が学ぶ範囲は狭く、専門家されてしまうことは
 致し方ない面はある。

 資本主義下において、様々な仕事が細分化され、高度に専門化されること
 によって、社会が大きく発展してきた事実を無視できるわけはない。
 
 その利点は決して否定しない。
 現代の我々もその恩恵の上に存在する。

 なれども、やはり学者があまりに小粒になったことは否めない。
 資本主義が世に普及する以前の学者と、資本主義が普及した以降の学者の
 力量を比べれば一目瞭然である。

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● マックスヴェーバーの指摘@

 資本主義が世に広く普及する以前の学者が多くが、様々な分野に対する知識
 有し、つまりは博識であり、かつ深い洞察力を備えていた。

 現代の学者において、誰がデカルトに匹敵できるだろうか?
 ロックに匹敵する社会学者など、現代のどこで見つけられるのか?
 ベーコンにしても、ホッブスにしても彼らは、幅広い分野に対しての知識を有して
 さらに優れた見識と深い洞察力を保持していた。

       
     
トマス・ホッブス(1588〜1679年)   ジョン・ロック(1632〜1704年)

 資本主義は学問の世界にも影響を及ぼして、学問の細分化、専門家を
 もたらし、学者の研究スタイルさえも変えた。
 100年前に、その点にもっとも注目したのが
マックス・ヴェーバーである。

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● マックスヴェーバーの指摘A

 ヴェーバーが学者の職業化に注目したことは社会学者としては当然である。
 なぜなら、資本主義下において、そうやって育まれた学者の主張がいずれ、
 人間社会にも強く影響を与えることは必至であるからだ。

 ヴェーバーは、資本主義の普及によって、
知識階級全体がどのように変化
 また社会にどのような
新たな影響を与えていくかに興味を抱いていた。
 そんな思惑があったこそヴェーバは以下の2冊を書き上げた。

   
職業としての学問』     『職業としての政治       マックス・ヴェーバー
   

 資本主義下で急速する変化するのは経済だけではなく、あらゆる方面へ
 影響を与える。学問も大きな影響を受けた。(同様に政治、政治家も)

 
学問の手法も有り方も、さらには学者の心構えも例外ではない。
 資本主義下において、学者は、専門化し細分化した狭い世界で喜びを見出す
 生き方しかない事をマックスヴェーバーは100年以上前に述べた。

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 ● 資本主義下の学問と学者のあり方

 『職業としての学問』の中で、マックス・ヴェーバはこう述べている。

 『 実際問題としては、こんにち結局こういうことになる。つまり大学の
   卒業生が卒業後に大学に残って職業的に学問にい専心しようと
   志す場合、彼は現在いかなる
事情のもとにおかれているか 』
 という問いから始まり、そうして学者が置かれる立場の変化を指摘していく。

 『 アメリカの助手は、この大切な若い時代をずっと大学の仕事に
   追われている。というのは、彼は
給料を貰う身だからである。』
 と述べ、さらにドイツもアメリカ的傾向に近寄りつつあることを指摘している。

 そうして資本主義下の職業学者の心構えをこう述べている。
 『 なによりもまず学問がいまやかつて見られなかった程の専門化の
   過程に差しかかっており、かつこの傾向は
今後もずっと続くであろうと
   いう事実である。こんにち何か実際に学問上の仕事を完成したという
   誇りは、ひとり自己の
専門に閉じこもることによってのみ得られる。 』

 ヴェーバーの指摘どおり、学者と学問は、象牙の塔の中へ中へと埋没している。

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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
         『 稲穂黄金の未来の知識人へ
         『 稲穂黄金の未来の資本主義


 
● 資本主義以前以後の学者の差

 資本主義が西洋に広がって以降の学者のレベルと、それ以前の学者の
 レベルには大きな差が見られる。
 
 資本主義は、学問を細分化し、専門化した。
 そうしてその学者を職業化して対価が支払われるサラリーマン化されて
 資本主義の中に組み込まれた。

 これにより知識分野においても大きな成果をおさめた。
 これは資本主義の成果である。
 なれども学者があまりにも小粒になるという影響も無視できなくなった。

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● 古代の探究者の魅力@

 資本主義が普及する以前に生きた学者達の多くが常に仰ぎ見たのが
 古代の学者達であった。

 デカルトやベーコン、ロックやホッブスなどの優れた洞察を有し、
 博識であった彼らでさえプラトンやアリストテレスを筆頭にする古代ギリシャ人
 の哲学者達には圧倒されたことだろう。

 それだけ古代の人々の関心は多岐にわたり、また優れた洞察力を秘めていた。
 古代の探究者の多くは、陰の道を極めていた。

 それゆえ21世紀の現代においても、古典にはなんともいえぬ魅力があり
 古典を読むと頭の中が浄化されるような清清しさがある。
 古代人はなにゆえ、このように優れたものを残せたかといえば、
 その一番の理由は以下であろう。

 
探究する事に金銭が絡まなかった

 古代の人々の魅力はなんといっても学問に金銭が絡まなかった事にある。
 彼らはそれを知りたいという純粋な欲求に従って探究したのだ。

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 ● 古代の探究者の魅力A

 現代では、多くの大学で専門分野を教える大学教授は、その対価として
 給料をもらっている。本を書いて、その学識をお金に換えている。
 お小遣いを稼いでいる。

 ここでは、その行為が良いとか悪いとかをいいたいのではない。
 またそれらの行為に良し悪しもない。
 そんな事はどうでも良い。

 実際に、時代、時代によって人間の取り囲む環境は異なる。
 現代は資本主義の時代である。
 20〜21世紀は、まさに資本主義下にあって、多くのものが職業化されている。 
 それらを否定するつもりも毛頭ない。
 ここでは、単に
事実に焦点を当てて述べたい。

 古代の人々は、金銭を求めて学問などはしなかったという事実。
 特に学問の王様である哲学はそうであった事実。
 もちろん、古代において、哲学を教える見返りに金銭を要求した者達は
 いなかったかといえばそうではない。
 実際に哲学を教える代わりに報酬をもらう者達もいた。
 だが、それらの者達は、知識人の間では
ソフィストと呼ばれ、
 軽蔑の対象になっていたのだ。

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 ● 現代の我々が忘れてはいけない事

 現代の我々が忘れてはいけない事は、厳然たる事実として、古代の人々は、
 それを知りたいという純粋な探究心に従って、学問を続けたということであり、
 それ以上でも以下でもなかったという事実である。

 彼ら古代の探究者の多くが、もともと働かなくても生活していける身分の者か
 はたまた昼間には仕事(実業)をもっていて、空いた余暇の時間に探究を
 し続けた者達である。
 彼らは、確かに金銭に縛られない環境を有していた。

 これらの人々が、まさに国家全体からみれば大きな陰として確固として
 存在し国家の重石のごとくに国家に安定感を与えていた。
 それゆえ古代の偉大な文明は、さらに豊かなものを手に入れることができた。
 確固とした陰の存在が、陽の世界を大発展させた。

         
マルクス・アウレリウス古代ローマの哲人皇帝(121〜180年))
        

 ” 人生の時は
一瞬に過ぎず、人の実質は流れ行き、その感覚は鈍く、
   その肉体全体の組合わせは腐敗しやすく、その魂は渦を巻いており
   その運命は図りがたく、その名声は不確実である。

   一言にしていえば、
肉体に関する全ては流れであり、
   
霊魂に関する全てはであり煙である。”
                          『自省録』 マルクス・アウレリウス

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● 現代の学問事情

 現代の多くの人々が知識を大学で教えてその見返りに給料をもらう。
 また学問の知識を売る事で生計を立てている。
 もちろん、これらは非難されるような何がしかでは決してない。

 現代には現代の事情があり、特に資本主義下において、あらゆる分野が
 細分化され専門化されることを求められている。
 資本主義とは、
全ての人間を労働者(サラリーマン)にしよう
 いう強烈な欲求をその内部に抱えてもいる。
 実際に、現代において多くの人々が労働に参画している。

 さらに資本主義の時代には、
職業的な専門家・学者の存在は
 
必要不可欠である。
 特に人間社会の中の多くの分野が細分化され、専門化された19世紀以降には
 その流れは顕著であり、その流れは資本主義が続く限り、なくならない。

 だが再度述べるように忘れないことである。
 偉大な国家、文明の背後には、ひたすらにその内面の求めるままに進んだ人々
 の存在があったことを。

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● 資本主義のしたたかさ@

 近代において学問の分野も資本主義の中に組み込まれていき、学問が
 細分化され、専門化されていく時に、本来であれば探究者の側から
 その流れに対する
強い抵抗が生まれていたはずである。
 マックス・ヴェーバーが指摘して『職業としての学問』の本が生まれたのは
 そのような背景が社会にあったからだ。

 だがそれでも、探究者側から、それ以上の強い抵抗はなかった。
 なにゆえ、抵抗がなかったのか!

 そこに
資本主義のしたたかさがある。
 資本主義は、そのような指摘が積みあがる前に、
対立軸を変化させた。

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 ● 資本主義のしたたかさA

 つまり、資本主義はその懐から
共産主義を送り出して
 資本主義と共産主義という
対立軸を生み出した。
 多くの学者の目をここに集中させ、釘付けにしたのである。

 それ以降、学者の多くは資本主義陣営、または共産主義(社会主義)陣営の
 2つの陣営に分かれて議論をするばかりとなった。

 資本主義下において細分化され、専門化される学問に対して、その危険性を
 指摘する人々の声は、その対立軸の前ではかき消された。

 資本主義は、資本主義下において学問が大きく変容している事に学者の目が
 いかないように注意を払い、そうして急速に学問の姿を変化させた。

 共産主義は、資本主義とは
異母兄弟のごとくである。
 ともに
ユダヤ的世界観を父にもつ。
 資本主義は、21世紀もそのしたたかさを存分に発揮するだろう。

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      (*) 詳細は以下のサイトを参照。
         『 稲穂黄金の未来の資本主義
         『 稲穂黄金の未来の知識人へ


 
● 資本主義とニーチェ

 西洋では、資本主義が世の普及するにつれて、真にすぐれた探究者は
 いなくなり、その多くは職業学者となった。

 そうして、いつの間にか真に探求するという意味さえを忘れてしまった。
 学問の世界でも、実学ばかりがもてはやされ、つまりは陽の独壇場となった。

 西洋社会において、陽へ大きく傾いたのを戻す人物が必要であった。
 重石のごとく
となりうる人物が必要であった。

 それゆえにこそ西洋社会に、
ニーチェが登場したのだ。
 ニーチェは狂気の世界へ足を踏み入れざる得なかった。
 資本主義下において、ニーチェが登場したのは、決して偶然ではない。

                      『
ツァラトゥストラはかく語りき』より
 ” そのように、かつての私自身も自らの
真理の狂気から、
   自らの
昼の憧れから、昼に疲れ、光に傷ついて沈んでいったのだ。
   下方へ、夕暮れの方へ、
影の方へ。
   1つの真理によって身を焼かれ、渇望に苦しめられながら。
   
   覚えているか、熱い胸よ、お前は覚えているか、
   どんなにお前があの時、渇望したのかを?
   この身が
あらゆる真理から、いっそ追放されてしまえばいいと。
   道化にすぎない! 詩人にすぎない! ”

                
                 
フリードリヒ・ニーチェ

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● 文明へ至る道

 国家が文明に至ったという事は、それらの土台になった
陰の極まり
 存在する。

 偉大な文明が圧倒的な繁栄の背後では、それを支えるだけの陰が存在する。
 さらに陽だけではなく、陰に対する明確な認識がある。
 陰の存在の重要性を理解している。
 偉大な文明の背後には優れたシャーマンや優れた芸術家が多数、控えている。

 古代ローマが残した遺跡の数々、そこには美しい彫刻や絵画などの装飾が
 施されている。それらの作品を製作した者達の名は現代には伝わっていない。

 なれど、その
無名の者達の力量たるや、ルネサンス期の
 最高峰の芸術家である
ミケランジェロレオナルド・ダビンチにも
 勝るとも劣らない。

 それだけの優れた者たちが、多数輩出されたからこそ、偉大なローマが
 形成されたのであって、この点を決して忘れてはならない。

                                       世界の美術』より
   
   古代ギリシャ、ローマの作品。 たくさんの彫刻がつくられた。どれもが実に美しい。

 古代エジプトの彫刻や絵画、古代ペルシャの彫刻や絵画を見てもそうである。
 どこまでも陽を伸ばしたいなら、陰を極め、陰の存在を理解し、その上で
 
陰を越えて陽へ突き進むことである。

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