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『 手帳の達人 』
多くの人が手帳の方法に固執してしまい結局長く手帳を書き続けられない。そんな方にこそ読んでもらいたい
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哲学とは |
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哲学とは何であるのか。
古来から人類で最高レベルの頭脳を持つもの達が長い時を経て発展させた。
哲学の道を進む者はその深遠さを自覚し覚悟を決めて進む必要があるのだ。
● 学識ではなく見識を
哲学の道を進む若者はこの言葉を胸に刻まねばならない。
”学識ではなく見識を!”
どの大学で習った、どんな先生に私事した、あの学者はこう言っている。
そんな学識などは関係ない。
見識を示せ! これが哲学者の合言葉である。
本人自身が確信し、本人自身の言葉で述べることが必要となる。
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● 真の哲学者の高み@
本物の哲学者は科学者が予想だにしない高いレベルに達する。
物理学者の到達地点が哲学者のスタート地点なのだ。
以前、テレビの番組で物理専攻の大学教授が以下のようにコメントしていた。
『 自分の頭で考えていた事が結果的に
宇宙でそうなっているのが不思議だ 』
さらにその物理学者が尊敬する物理学者がこう言ったそうだ。
『宇宙は我々が思う以上に創造的だ』
まあ、科学者としては勉強した方ではあろう。
この段階の感慨が物理学者のゴール地点である。
しかし哲学を道を志す人はここが出発点となる。
本物の哲学者はこのレベルを基点にして考え始める。
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● 哲学者の高みA
本物の哲学者ならこう答える。
『 自分が思っていることが成り立ってるって! あたりまえじゃないか!
そもそも我々が表象しているものは脳の2ルール(空間と時間)の適応を受けて
いるのだから。そのルール下で物質は表象上をたえず動き、変化する。』
『表象上に展開する物質を方程式する根拠は我々の脳内の直感=ア・プリオリ
を基礎に持つ数学にある。 ア・ポステリオリな物理学でさえ、このア・プリオリな
数学を土台に作られる。 すべては我々の脳が表象しているのだ。
問題はどこまで表象上の物質の作用を数式によって計算可能な範囲まで
落とせるかにある。その仕事がカント以後の哲学の主要な1テーマである 』
18世紀の愛すべき天才ゲーテは述べた言葉、
『 すべては自然が露呈するのではあるまいか? 』はこのことを語っている。
数百年前から真の哲学者は皆、このレベルを基点に語りあっていた。
知らぬは科学者ばかりである。
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(*)だからといってこの自然がすべて我々の知性の形式で理解できるとは
いえず、また我々の知性の形式にそって自然があるのでもない。
自然は知性が誕生する前から存在するのだ。初めに自然ありきである。
● 哲学とは
数学とはア・プリオリを判断の中心に置く学問である。
物理学とはア・ポステリオリから判断して法則を見つける学問である。
数学は、脳内の直感を最終的な判断の基礎にする。
物理学は経験(実験)を通して、その結果をア・プリオリの数学で表現する。
哲学とはア・プリオリ、ア・ポステリオリを含めて、人間がとり得る認識の種類と
性質を理解し、人間として可能な認識手法すべてを網羅することに勉める。
だから哲学は、この世界と同等に人間の認識について考察することになる。
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* ア・プリオリ、アポステリオリについては以下を参照
⇒ 哲学の歩み
● 真の哲学は科学に多大な影響を与える
真の哲学はあらゆる方面に多大な影響を与える。
特に科学界には絶大な影響を与える。
いつの時代でもそうだ。
デカルトの登場により数学は幾何学と代数学を融合した。
物理法則もデカルト座標なしには決して詳細に表現することはできない。
特にカントは圧倒的だ。
カントの存在なくして数学は、非ユークリッド幾何学もヒルベルトの構造主義も
ゲーデルの不完全性定理も、超数学(=メタ数学)も到達することはなかった。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の宗教家へ 』
『 稲穂黄金の未来の神霊家へ 』
『 稲穂黄金の未来の物理学者へ 』
『 稲穂黄金の未来の数学者へ 』
● 真の哲学者の間違いは、間違っていても貴重である
現代物理学では遠く隔てた空間で起こる2つの系の因果関係が直接に影響し
あわないという考えがある。
この因果の系の影響についてもカントは考えを持っていた。
カントは観察者が今見ている範囲において全ての現象が1つの系(前後関係)
に関連し収束すると考えていた節がある。観察者の観察系においてそこに
起こる全ての現象が1系統の因果関係で前後関係を付けれると踏んでいた。
カントのこの考えは確かに間違いではあった。
だが、カントのこの指摘こそ、今までにはなかった視点であった。
カントの解答は確かに間違いであったが、その問いこそに意義があった。
真の哲学者の思索はそれが結果的に間違いであっても貴重である。
その解答の正誤以上に、その視点が鋭いものであるからだ。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の究極の物理学 』
『 稲穂黄金の未来の物理学者へ 』
● 21世紀に決定的な影響を与える哲学
21世紀において、科学界に決定的な影響を与える哲学がある。
その名はアルトゥル・ショーペンハウアー
彼以後、すべての優れた科学者が彼から学んでいる。
21世紀以後に生きる科学者は、ショーペンハウアーから学ぶ必要がある。
人類史上最高の天才ショーペンハウアー
彼の教えを21世紀の一流物理学者が真に理解した時、感嘆の声を出す。
21世紀にショーペンハウアーの教えは科学界に決定的な影響を及ぼす。
というのも物理学者は量子世界の解釈で混乱し初めているからだ。
何が真で、何を根拠に考えるべきかの土台を見失っている感があるのだ。
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● 認識の根拠律@
人間にとって何が認識可能であり何を根拠にそれを真とみなせるのか、
その認識の根拠律を知らずして科学分野は進んでいけない所まできている。
物理学者が量子世界の切り分けに苦労するのも根拠律を把握しない為である。
現象を把握し論理を組み立てる時に何を根拠に組み立てるべきかを知らない為
に混乱に陥ってしまう。
カントの認識論で認識を判別して認識をいくら集めたとしてもそれは
認識の寄せ集めに過ぎない。その認識から学問の体系を確立し、その
体系が真だとみなせる為の根拠となる根拠律を洗い出すことが急務であった。
認識の根拠律は21世紀の科学に決定的な影響を与える。
認識の根拠律を把握し分類する仕事は時代的哲学者が束になっても完成が
難しい大仕事である。下手すれば完成まで数百年の時間がかかる仕事である。
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● 認識の根拠律A
だが、認識の根拠律の仕事は既に全てがなされた。
根拠律の根は四つ。
21世紀の科学者はこの根拠律の4つの根を元に進むようになる。
これを成し遂げたのがショーペンハウアー。
その時、わずか26歳というのだから驚愕するばかりである。
彼はこの根拠律を元にこの世界の姿を探求し、彼の大業績(=人類への遺産)
『意志と表象の世界』を打ち立てた。
化け物という言葉はショーペンハウアーにこそふさわしい。
動画 テキスト
* このような根拠律の根を判別するような作業こそが天才の仕事である。
根拠律の根を徹底的に述べたショーペンハウアーの偉業は彼以外には
不可能である。天才の仕事はその人以外は不可能なのだ。
(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金のショーペンハウアー 』
● 打ち震える
カントの著書を読んだときに、こんな化け物がいたのかと驚いた。
プラトンの著書を読んだときに、2400年前にとても同じ人間とは思えない人間
がいたのだと驚愕したのを覚えている。
ゲーテの著書を読んだとき、天才ゲーテと呼ばれる所以が良くわかった。
出口王仁三郎の著書を読んだとき、なるほど!と強く思ったものだ。
確かに皆、すばらしく、驚愕させる高みを有する者たちだ。
だがショーペンハウアーの著書を読んだときに、体全身が打ち震えたのだ。
人間の頭脳がここまで成し遂げられ、高まることがあるのだと思ったものだ。
これ以上の頭脳を有する人間は生まれることはないだろう。
人類史上最高の頭脳とはショーペンハウアーのことである。
ショーペンハウアーは2度と生まれない。1度きりのまさに奇跡であった。
動画 テキスト
● 科学が扱う力の範囲
現代の物理学者は根源的な力を以下のものにあると認識している。
@重力
A電磁気力
B強い力(原子核力)
C弱い力(素粒子)
物理学者の扱う世界は、無機物の世界である。
つまりあくまで作用=反作用が成り立つ世界だけである。
ニュートンの運動の第3法則が成り立つ世界のみが探求の対象範囲である。
原因と結果の因果の世界を探求する物理学において、この作用=反作用が
前提と成り立つことは非常に重要である。
というも作用=反作用が成り立つ世界にあってもそれが複雑化されると現代の
科学では理解できなくからだ。
川の上流で葉っぱ一枚を川の中に投げ入れたときに下流でその葉っぱがどの
場所にどの時間にあるのかを予測することは現代の科学では困難である。
しかし確かに作用=反作用が成り立つ世界である。
作用=反作用が成り立つ世界でさえ把握するのが困難であるのに
作用≠反作用の世界など到底太刀打ちできない。
しかし哲学の探求範囲は作用≠反作用の世界まで及ぶのだ。
動画 テキスト
(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来の物理学者へ 』
● 哲学が扱う力の範囲@
これに引き換え、哲学が扱う範囲は無機物だけではなく有機物にまで及ぶ。
@重力 ↓ 無機物(と有機物)が保有する力
A電磁気力
B強い力(原子核力) 作用 = 反作用
C弱い力(素粒子)
----------------------- ↓ 有機物のみが保有する力
D刺激(植物が育つ力)
E動因(人間が行動する力) 作用 ≠ 反作用
植物になると作用=反作用の法則が成り立たない。
ある刺激によって、とてつもない大きな結果をもらすことがある。
作用 < 反作用 というのが往々にあるのだ。
ぬれた大地から、あらゆる植物が芽をだすように、もはや現代科学では
探求が難しいものがある。
それが昆虫になるとある刺激で多様な動きを要する。
それが動物、さらに人間になると科学では到底把握できない。
1年後の星の運行を予想できても、1年後のその人の行動は把握できない。
動画 テキスト
● 哲学が扱う力の範囲A
しかし星の運行と同じように、手を離せば重力の法則にしたがって落ちる石ころ
のように人間の行動もすべては因果の鎖でつながっているのだ。
人間の行動も原因があって必ず結果(=行動)がある。
だからいずれ科学が進歩に進歩を重ねた時に人間の行動さえ方程式化される。
だがそうだとしても10年前に読んだ本の内容を現在、思い出してやる気を
出して社会で活躍した場合、なんと原因と結果で大きく違うことだろう。
わずかな思い出が、強力な推進力となり、現在に影響を与えていく。
これを方程式化する場合、変数の数は何次式まであれば近似値を得ること
ができるのだろう。
現代の科学ではまったく太刀打ちできないレベルの話ではある。
現在の科学は確かに無機物の世界までである。
しかし哲学は無機物だけではなく有機物を含めて観察し探求する必要がある。
哲学の探求の範囲は人が認識できるうるすべてについてだ。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金の未来世界2 』 ← 22世紀までの未来
『 稲穂黄金の未来世界3 』 ← 23世紀以後の未来
● 哲学は人の道徳面的行動も力とみなす
科学者のほとんどが力の作用と因果関係とは物理学で扱う力の範囲だけ
だと見なしている。
しかし哲学の道を歩むものはそうではいけない。
真の哲学者は、物理学の力と同様に人間の道徳的力、精神的力も
物理学で扱う力と同様のものである見なすからである。
ある物体が人間の力でおされて動いたのと同様にある人が1つの言葉を
知っただけで行動し始めたのも、表向きは違うように見えても、根底に
おいては実は同じ力であると理解しているからだ。
天体の運行も人間の人生の足跡も同様の力であると見なすのだ。
これが哲学の道を歩めるかどうかの試金石である。
この認識をもっているかどうかで本物か偽者かの判断もつくのである。
カントの言葉はこれを端的に示している。
「 我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、
我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない 」
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● なぜゲーテの色彩論が重要であるのか
真に探求の意味を知るものにおいてゲーテの色彩論は重要である。
色彩は光の中にはない。色彩は目の中に存在する。
22世紀に光の中に色があると言ったら必ず笑われる。
ニュートンの時代は色彩は光の中に存在すると大真面目で語られていた。
しかしようやく近代において色彩は、物理的側面と生理学的側面について
語らえるようになった。
もちろん物理学は光の中には色はないが色の作用を引き起こすと言いたいの
であろう。物理学はそういう方向で脇を固め始めた。
ゲーテが述べた意味が理解できないようなら未来の科学の進歩もいずれ止まる。
天才ゲーテ 彼のこの世界を捉える目は正確である。
しかしそう考える科学者はまったくゲーテの意図がわかっていない。
23、24世紀になって、科学の因果の探求範囲が広がった時に光の意味が
現代と大きく異なって解釈されるだろう。
我々は暖色系の色彩を見るとき心が喜ぶ。黄色は心を朗らかにする。
青は冷静さを呼び覚まし、赤は激情を呼び起こす。
仮に科学で作用の連鎖が人間に及んで探求できる時代になった暁には
光はなんと因果関係の範囲が広範囲まで影響し、広がるものであろうかと
未来の科学者は思うだろう。
その時代には
『 光は人に届いて、その人の心に影響を与える作用を経て
光としての完全な作用を完結する』
と解釈される時代がくるかも知れないではないか!
天才ゲーテの色彩論は、確かに22世紀的な問いではある。
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(*) 詳細は以下のサイトを参照。
『 稲穂黄金のゲーテ 』
『 稲穂黄金の未来世界2 』
● 哲学とは
科学者はその認識がア・プリオリなのか、ア・ポステリオリなのかを考えない。
そんな切り分けなど毛頭、頭の中にはない。
だから科学者は無邪気なものである。
数学者に楽天家が多いのも、常に直感のア・プリオリに最後は帰結するという
安心感があるからだ。数学者自身はまったくそのことに気づいていないが・・・。
物理学者はそこそこ用心深い。相手が自然であるからだ。
ア・ポステリオリ(経験=実験)を経て、自然現象を法則化する。
数学のア・プリオリ、物理のア・ポステリオリ。
その認識の真相と切り分けを行う哲学。哲学には多くの探求すべきことがある。
この世界のありとあらゆるものを追及する学問。その名は哲学。
人間が認識できる範囲の境界線を考察する学問。その名は哲学。
人間の認識できる範囲はすべて解析しようと試みる学問。その名は哲学。
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