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哲学の歩み |
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● デカルトの登場 『我思うゆえに我あり』
デカルトがいった一番有名な言葉『我思うゆえに我あり』
この言葉が近代哲学の幕開けを象徴する。
この言葉の意味を多くの人が多くの意味で解説している。
しかしこの言葉の真の意味は以下である。
この世界の現れの一部は我々の脳の機能が提供している。
この世界の形は我々の外部だけに存在するのではなく、私たちの脳機能も
その世界の形に寄与している、それにより世界が表現されている。
デカルトの登場は古代東洋が辿りついていた認識の再認識を
西洋の哲学者に呼び起した。
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●ギリシャ哲学とデカルト
天才達の楽園、古代ギリシャ。
古代のギリシャの哲学者たちもデカルトが考えていたことの意味について
はあやふやな意識しかなかった。
しかしその中で世界の表れに脳の機能が貢献しているとの明確な見識は
なかった。(プラトンを除いては)
デカルトは『我思うゆえに我あり』とはっきりと述べることにより,
多くの人々にそのことに注意を向けさせた。
これ以降、この世界の現れのどの部分が我々の脳機能からのものであるか
その研究が哲学者の大きな関心ごとになっていった。
これがデカルトが近代哲学の祖と呼ばれる所以である。
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● カントの登場
確かにデカルトはこの世界の形の一部を我々の脳機能が提供していると
述べたが、それがどれとどれなのかという切り分けは不充分であった。
それを徹底的におこなった人がカントである。
カントはそれをどこにも付け入る隙を与えないほど徹底的に証明した。
カントはそれゆに多くの人にこう言わしめた。
『哲学はカントに流れ入り、カントから流れ出る』
カントがこのときに用いた証明方法はその後 数学に多大な影響を与えた。
この後、数学は非ユークリッド幾何学、群論、そしてヒルベルトの構造主義、
はてはゲーデルのメタ数学(超数学)までの道につながったのである。
あのショーペンハウアーをして『神のごときプラトン、驚嘆すべきカント』と
称されている人物である。
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● カントのア・プリオリとア・ポステリオリ@
カントはその著書『純粋理性批判』で2つの言葉を述べた。
ア・プリオリとア・ポステリオリである。
ア・プリオリ 先天的に理解してること
ア・ポステリオリ 後天的につまり経験から理解したこと
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● カントのアプリオリとアポステリオリA
何か難しそうに聞こえるがこう考えるのが一番簡単である。
あなたが脳の中に何か物質を思い描いて見てほしい。
どんなものでも良い。机でもミカンでも本でもパンでも良い。イメージしてほしい。
みかんのイメージを輪切りにしてみよう。
脳内ではいくらでも輪切りすることができるだろう。
これがアプリオリである。つまり空間はいくらでも分割可能ということである。
誰もが脳内でイメージして、その操作に違和感を唱えないことである。
これがアプリオリである。
つまり空間はいくらでも分割可能 これは子供でも大人で脳内で物質を
想像すれば簡単にイメージして理解できる。
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● カントのアプリオリとアポステリオリA
反対に脳内にイメージしたミカンはいきなり落ちるだろうか?
落ちない。実際の世界ではミカンは重力により落ちるが脳のイメージ上では
ミカンは必然的には落ちない。
つまりこれがアポステリオリである。
経験によってこういう力があることを人は知った。
重力は経験によって人間が理解したのである。
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