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『これからの知的生活』
今後の未来の知的生活と それを味わうための生き方!
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国家とは |
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国家を知るには人間を知ることだ。
つまりは、国家の代々の為政者、王族の有り用をみると良い。
人間をより良く治める為に、何が必要かがそこにつまっているからだ。
● 国家と人間
国家を知りたいならば、人間について知らなければならない。
その為のもっとも有効な手段とはなんであるか?
王族の有り様を知る事である。
代々、国家の為政者として君臨してきた者の振る舞いは、国家を知る上で
大きなヒントになる。
王族は何ゆえにそのように振舞うのか!?
その振る舞いが無意識であればあるほど、そう振舞う理由があり、その為の
教育がなされている。
国家の運営とは決して簡単なものではない。
人間そのものを治めなければならない。
人間が何に価値を見出すかを知らねばならない。
甘く見れば国家は直ぐに傾く。
なにゆえ人類の歴史の中でいくつもの国が生まれ、いくつもの国が
あっという間に消えたのかは、その難しさゆえである。
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● 人間と価値観、そして為政者
世の中には多様な価値がある。
それにあまり価値がないと思うような価値が、時に人間の行動を決定するものと
なることさえある。人間は確かに経済的利益を求めやすい。
なれど名誉の為に死ぬこともできる。
知的探究心の為に、現世をすべて学問に捧げる探究者もいる。
命を顧みず、まだ見ぬ大陸を目指した冒険家もいる。
芸術的価値、道徳的価値、経済的価値、知的探究心、冒険心、信仰心
様々な価値の間で人間は揺れ動く。
国家はこれらの価値に対してこそ備えてきた。
何かの価値が著しく弱まると、それを求めて人間はどっと動くことがある。
動き出せば、王の命令でも止められない。
国家を担う王様ほど人間の恐ろしさに気付かざるえない。
他国よりも快適な環境、豊かな生活を提供しても、それ以外の価値の欠如の
ために国民が動き出し、城門を破壊することだってある。
人間は、経済的利益の為こそ動くかと思いきや、時に道徳的価値にこだわる。
臆病な為政者からは大抵、人心が離れるものだ。
芸術的価値に魅了されて国家国民ごと敵国に飲み込まれることだってある。
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● 国家と為政者
為政者は、人間をより良く動かす為にあらゆるものを総動員してきた。
考え付くあらゆるものをだ。
ここでいう為政者とは、近代の民主主義が生んだ政治家の事を意味していない。
そうではなく代々、国家の為政者として君臨した王族を意味する。
人々が知識人を尊敬するからこそ、王は学問の普及に努めた。
人々が芸術に心奪われるからこそ、王は優れた芸術家のパトロンになった。
人々が経済的利益を求めるからこそ、王は法律を整備し、商人を優遇した。
人々が道徳的価値を気にするからこそ、王は時に戦を起こした。
彼らはそれを好んでから後押ししたのではない。
それが人間を治める上で有効だと判断したからそれを後押ししたのだ。
もちろん芸術を好んだ為政者も多くいたであろう。
なれど、そんな好き嫌いを越えて為政者は、人間そのものを理解する必要に
迫られている。
人間の隠れた欲求までも、満たすことを考える必要がある。
それらに対する総合的な対処としての振る舞いが王族には要求される。
その振る舞いを身に付け、自然に振る舞える為の教育が帝王学である。
代々、王家を維持してきた者達は、この教育が施される。
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● 国家と王族、そして帝王学@
あらゆる国家で帝王学が生まれた。
為政者は、その教える所の意味を誰よりも理解しなくてはならなかった。
人間とは何であるか?
人間とは何に価値を置いているのか?
人間とは何によって行動するのか?
人間とは何の行為に感銘を受けるのか?
人間とはどんな態度に尊敬の念を抱くか?
そうして人間とは、どうしたら熱心に働くのか?
国家の為政者たる王は、それゆえにあらゆる可能性を探った。
王様が、学問を発展させるのは、多くの知識人を味方につける為でもある。
なぜなら多くの国民は、知識人の言葉を聞き入れるからである。
王様が芸術家のパトロンになるのも、民衆の支持を集めるためである。
なぜなら多くの国民は、美しい作品をもたらした王に尊敬の念を抱くからだ。
王様が宗教の保護するのは、国民に王が特別な存在である事を知らせる為だ。
なぜなら多くの国民は、宗教に現世的な価値以外のものを見るからである。
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● 国家と王族、そして帝王学A
偉大な王こそ人間を治めるあらゆる可能性を探った。
そして、王は誰よりも王たる必要があることに気付いていた。
国民がそれらの理想像を王の背後に求めたからだ。
王は絶対的な存在でなければならない。
王は精神的に不動の者でなければならない。
現代の人々がいうカリスマなどという生易しい言葉では表現できない程の重圧
が王1人にのしかかる。
王は王たる必要があり、王たる振る舞いが求められた。
歴史上の王達は、そのことを誰よりも痛感した。
それゆえにこそ、他国の王の気持ちが痛いほどわかった。
国は違えど、王同士は、相手の立場が良くわかっていた。
国民が王に求めるものを、王様はひしひしと感じていた。
この気持ちがわかるのは、新興宗教の教祖かも知れない。
信者はとかく教祖も人間離れした人間と思いたがるからだ。
帝王学の第一歩は王たる振る舞いの意味を知らせることにある。
王は王でなければならない。この点を第一に教える事が帝王学である。
王族に生まれし者は、このことを小さい頃から叩き込まれる。
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● 為政者の帝王学
あらゆる国家の為政者は、もちろん経済を軽視したりはしない。
人々の経済交流を活発にさせて、国民が多くの富を有することを推奨した。
だからといって経済を一番大事にしたわけでもない。
経済と同等以上に学問の発展に努めた。
経済と同等以上に芸術の発展に努めた。
経済と同等以上に宗教を保護した。
経済と同等以上に国家の独立にさせ国民の誇りを守った。
多くの人間を治め、人々が気持ち良く生活し、時々は普遍的な価値に触れら
れるように環境を提供し満足を与えること。
国家の王たる者はあらゆることを活用した。
王の王たる者達は、人々が何を求めているか、何の為に動くかを把握せねば
ならない。それができない国家は早晩滅びることになった。
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● 国家と商人@
もし人間が経済的価値を得る為だけに生きているならば、国家の運営は
商人に任せされていただろう。
人間が経済的価値に伴う労働やサービス、仕事による自己実現などの為だけ
に生きれる生き物ならば、国家の運営は商人に任せたであろう。
なれど過去に存在した国家において、
国家の命運を商人に任せたなどという話を私は聞いたことがない。
経済的利益ばかりを求めて、古代ローマ人に忌み嫌われたカルタゴでさえ
王がいて、名将ハンニバルが存在した。
商人は経済的利益が最上の価値だと思っている。
思っているからこそ経済的利益の確保の為に命をかける商人も少なくない。
資本主義が本格稼動した19世紀以降は、その商人の価値観は、多くの人々
の頭の中にも入り込んでいった。21世紀の現代でもそのような価値観が
社会のあちこちに溢れている。
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● 国家と商人A
しかし、経済的価値で人間を治められるなどと本気で思っているならば
国家の運営をいったん、商人に任せたら良い。
早晩潰れることになる。人間が経済的価値を求めながら、同時に他の価値
を大事にしていることに直ぐに知るだろう。
そうしてそれらの価値を無視した事により、多くの問題が噴出することに
直面するのだ。
どれほど多くの利益を国民に与えようと、働く楽しみを国民に与えようと
それだけの国家は、内部から簡単に崩壊する事になろう。
人間の本来の欲求は、そういう経済的価値に限定されるものでは断じてない。
人々の抑圧された衝動がうねりとなって、国家を簡単にひっくり返す事になる。
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● 王と商人の大きな違い
商人は経済的価値のみを見る。それが中心である。
対して、王は経済的価値をあらゆる価値の中の1つとしか見ない。
もちろん王が経済的価値を軽視しているというわけではない。
経済の発展は重要であることを王は理解する。
国家を運営する上でも無視できるものではない。
なれどまた、経済的価値があらゆる価値の中の一つに過ぎないことも
良く良く理解している。
経済的価値以上に、学問的価値を尊ぶ王もいる。
経済的価値以上に、芸術的価値を尊ぶ王もいる。
経済的価値以上に、宗教的価値を尊ぶ王もいる。
経済的価値以上に、戦での勝利を価値を尊ぶ王もいる。
国民が何を一番重んじるかで王の判断も大きく変化する。
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● 王族の前ではまったく意味をなさない
例えば、数兆円企業を立ち上げて、マスコミなどにひっきりなしに取材を受け
時代の兆時だと思っている企業経営者が、いざ外国の王様との面会を
申し込んでも、いつになっても会うことすらままならない。
その時に、その経営者は、ただの一経営者に過ぎないことを理解する。
国家予算が王様の資産であるような桁外れの大金持ちの王様も存在する。
そのような王様にとって、お金があることなど空気のごとく当然で、なおかつ
いくつもの企業を運営する王様にとって、企業経営の成功者だけで王様に
会えることなどはないのだ。
アラブの王様と会いたい企業経営者は、世界にいくらでもいるだろう。
中東の国において、要人とのコンタクトを取りたい場合に、王様の後ろ盾は
何よりも心強いだろう。
王様と面談したという事実だけで会ってくれる人々も多くいるだろう。
数千億、数兆円規模の企業経営者が王様との面談を求めている。
商売人は、自分がその中の1人に過ぎない事を直ぐにも理解するようになる。
王様からすれば、面談を求める商人の1人としか見ていないだろう。
お金があること自体が当然で、経済的成功などということに王様はまったく
興味をしめさない可能性だってある。
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● 成金と上流社会
これらの事は王族でなくても、その他の貴族社会でも良く見られる。
一代で会社を成功させた企業経営者が、なにやら地元の名士の集まりに
参加しようとする時に、仲間に入れてもらえないということである。
お金を払っても仲間に入れてもらえないのだから寂しいものである。
お金を払う場所では、良く見る顔であるが知らんぷりということである。
これが、よく言われる上流階級である。
お金をいくら積んでも入れない世界があることをここで成金は知るのだ。
一代で財を築いた企業経営者は、自分が成金であることを思い知らされる。
こういう上流社会と呼ばれるところに参加する為には、暗黙の条件があるよう
で子弟がどこそこの名門学校に通わせて、文化的な取り組みに参加して、
そうやって、成金になった次の次の世代、つまり孫の世代あたりになると
上流社会の仲間入りとなるのだ。
(これらの人々の何が上流なのかは、あえて問わないが・・・・・・
まあ、そういう人々の集まりが世界各地にある。)
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● 王族の優先順位
もし各国の王様が、経済的価値が一番重要だと認識していたならば、
王様は、企業経営者と優先的に会うことだろう。
なれども王が優先的にあう人物はそういう人物だとは限らない。
王は優れた芸術家との会食を楽しみにするかも知れない。
王は優れた科学者との会食を楽しみにするかも知れない。
王は優れた為政者との会食を楽しみにするかも知れない。
王は優れた運動選手との会食を楽しみにするかも知れない。
こういう優先順位を選ぶ根底には、王の趣味も多分にあるだろうが、人々に
強い影響を及ぼす何かを有する人々と合うことを望むのだ。
現代にモーツワルトやゴッホやルノワール、葛飾北斎が生まれたならば
各国の王は、ぜひにも会うことを欲するものだ。
その音楽が、その絵画が人々を魅了するからだ。
現代に釈尊や最澄、空海やイエス、法然や親鸞が生まれたならば、
各国の王は、ぜひとも会うことを欲するものだ。
その人々の言葉が多くの人間を動かし、多くの人間を惹きつけるからだ。
国民を治める王たるもの、それを無意識に理解している。
王が、国民から人心を失うことがどれほど、国家にとってダメージになるかを
王たる者は良く理解している。
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● 王族として生きる者達@
長期に王権を維持して王族の振る舞いは、優れた洞察に裏打ちされて
もたらされたものである。
もちろん、その振る舞いが何の洞察によって、もたらされたかは王族自身は
まったく理解していない。
それらの振る舞いが、ご先祖の王にもたらされたのか、それとも優れた家臣が
いて、その者達によってもたらされたのかどうかはわからないが、そのように
振る舞うまでには、多くの見えない理由が存在する。
国民が喜んで働いて、生活し、生きてもらう事こそが王の願いである。
そう願っても、実際に国民がそのような気持ちになってくれるかはわからない。
王が決めた法に逆らうものには刑罰を与え、時に鞭を打ち付ける必要がある。
なれども、王はそのようなことを決して望んではいない。
そのような手段は、最低の手段であることを、偉大な王は知っている。
国民が自発的に働き、そう行動することを望む。
時の権力者が、権力を思いのままに行使して、人の道に外れた行為をすれば
その権力者は、一時的に莫大な富を集めることが出来るが、その反動によって
国民のもつ鍬や刀に取り囲まれることだって起こりうる。
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● 王族として生きる者達A
王族たる者、国を治めるもっとも確実な方法は、国民の信頼を得て、尊敬を
を受けとることである。
王族だるものは、その最重要性が心の奥底まで染み付いている。
長い歴史を有する王朝こそそうなる。
だからこそ彼ら王族は、人々から尊敬されるように振舞う。
もともと王族が学問を推奨したのも、それによって知識人からの尊敬を受ける
為である。多くの民衆は知識人に一目置いているからだ。
もともと王族が芸術家を養い、美しい庭園や宮殿、建物内部の見事な調度品
や絵画に保有したかといえば、民衆が芸術に奪われたからだ。
もともと王族が宗教を保護し、時に1人の熱心な信者となって、他の宗教信者
の模範となるのは、それにより民衆の信頼を得られるからだ。
知識人からの信頼を得るためにこそ学問を推奨したし、また芸術の発展に尽力
することで国民の尊敬を集め、宗教を保護することで、国民の信頼を得た。
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● そう振舞うことの重要性@
ここで言いたい事は、王族の者達が実際に、心の底からそれに熱心であったか
どうかなどはまったく関係ないということである。
大切な事は、それが好きだろうが嫌いだろうが、それを推奨することによって
得られる者があることを認識することである。
王族が学問を愛したかどうかなんてまるで関係ない。
王族が芸術を愛したかどうかなんてまるで関係ない。
王族が宗教に熱心であったかどうかなんてまるで関係ない。
大切なことは、王族がどう思っているかではない。
どう振舞ったかが重要なのである。
例えばヨーロッパの名門ハプスブルク家の王は代々、芸術家を庇護してきた。
その中には、あのルーベンスやティツィアーノなど早々たる芸術家が含まれる。
歴代の王の中には、芸術を愛する王が多く存在はしたが、だからといって
ハプスブルク家の王族の全てが、芸術を好んだわけではない。
ましてや美なんてわからない者だって多くいたに違いないのだ。
しかし王族の者達は、以下のことを理解していた。
芸術のもつ力、芸術が人々に畏敬の念を与える力を備えているという認識を
王族の者達は、重々理解していたに違いない。
そうして、そのように振舞った。
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● そう振舞うことの重要性A
王族であっても学問などに興味はない者もいたし、学問のガの字を知らない者
を多く存在したであろう。
歴代の王であっても、学問などと無縁の者もいたに違いない。
いつの時代も勉強が好きな者は少数派であるものだ。
なれども、そんな彼らも、学問を推奨することの重要さは理解していた。
そうすることで、民衆の尊敬の対象になっている知識人からの、圧倒的な支持
を得ることが可能になることを理解していた。
王族だからといって学問の才能が与えられるわけでもないし、芸術的センスが
授かるのものでもない。その点においては人間は平等である。
なれど王族は、学問の発展に重大な関心を示すことの意義を知っている。
芸術作品を大切に扱い、芸術家を尊ぶ事の意義を知っている。
そして、そう見えるように振舞うことが自然にできる者が王族である。
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● いかにももっともらしく
美しい作品がわからなくても、それをを賞賛し、理解をしているフリを上手に
演じる事が出来たことが非常に重要なのである。
いかにも、もっともらしく振舞えるかどうかが重要である。
心の中では、人それぞれに思うところがある。
だが王たるもの、その本心を知られてはいけない。
王族は、そんなそぶりを見せはしない。
国民から尊敬を受ける事こそがもっとも必要であった。
知識人がいれば、その業績を賞賛し、美しい芸術作品をもたらす芸術家や
音楽家を宮殿にまねいて、その功をねぎらいもした。
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● 王族の宮殿が語り掛けるもの@
たくさんの王国が生まれては消えた。
ある程度、長く続いた王国の王族が有する作品は実に見事である。
宮殿の内部に掲げられた絵画も当時の一級品であり、天上に施された装飾も
当時の一級品であり、建物にも気品があり、その宮殿の内部では、演奏家に
よって音が奏でられた。
イスタンブール(トルコ)の王(スルタン)の帝位の間
既に滅んだ王族は数知れずであるが、それでもこれらの王族が残した宮殿
の調度品や彫刻を見るにつけ、人間を長く治めるということが、以下に多くの
智恵と工夫と手間がかかるものであるかを物語っている。
惜しくも21世紀の現代までは続かなかったこれらの王族の宮殿の中を見れば
王族が以下に、国民から尊敬される信頼される必要があったのかがひしひしと
伝わってくるのだ。
王はその為にこそ、多くの富と手間を費やした。
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● 王族の宮殿が語り掛けるものA
国家を運営するということ、一筋縄ではいかない。
なぜなら国家を治めるとは人間を治めることに他ならない。
人間をより良く治める為に、築き上げられてきた王族の有りようは、まさに
人間を治めることの難しさを教える。
ヴェルサイユ宮殿 『週刊ユネスコ世界遺産』より
王族は国民からの尊敬を受けるべく、あらゆる面を活用した。芸術、学問、宗教 etc
それらに対する並々ならぬものが、現代において優れた文化と見なされる。
人間を治めることに対する並々ならぬ努力。
国民に尊敬されるまでの並々ならぬ努力。
これを維持する事は大変難しい。それゆえ偉大な王国も何代かの王を経て
国家を失う事態となった。
この地上に実に多くの国家が生まれはしたが、数百年の長い間、続いた国家
は非常に少ない。500年以上続いた国家など本当に稀である。
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● 知識人は王を尊敬した
昔の第一級の知識人は、王や王族のその苦悩を痛いほど理解した。
王国を長きに渡って維持する難しさを優れた知識人は理解していた。
いつの時代であっても第一級の知性は、優れた王を待ち望み、王を敬愛した。
真の知識人は、偉大な王を尊敬した。
ゲーテもカントもショーペンハウアーも王たる者達を尊敬し愛した。
例えばドイツにおいてフリードリヒ2世(1712〜1786年)である。
フリードリヒ大王と呼ばれる彼の御世(1740〜1786年)に
カントが思索し、ゲーテが語った。
多くの知識人、芸術家がフリードリヒ大王に謁見した。
その中にはあのバッハも含まれる。
フリードリヒ大王という、たぐいまれな王が生まれたからこそドイツは栄華を
極めることとなった。
ヨーロッパでこの王の名を知らぬ者はおらず、彼の啓蒙思想は、ヨーロッパに
一種の独特の雰囲気をもたらした。
そうしてこの世紀に、あのモーツワルトが登場して音を奏でたのだ。
これらは決して偶然ではないのだ。
カントは、このフリードリヒ大王の庇護の下で純粋理性批判を展開できた。
カント哲学は、絶対的な神の思想を宣言するキリスト教指導者層からすれば
許しがたき側面を含んでいた。
カントの哲学は、宗教が掲げる神というものが人間が生まれながら有する認識
にはないこと、つまりアプリオリな認識(=先天的な認識)の中に一切、含まれて
いないことを示す。カントはどこにも付け入る隙間もない程、徹底的に証明した。
それゆえ、宗教指導者層(一神教の)にして見れば、カント哲学など
本来、許すことができない代物である。
イマヌエル・カント
あの時代にフリードリヒ大王が登場していなければ、カントも純粋理性批判は
決して展開できていまい。
もしそんな事をすれば、カントは命を失う可能性すらあった。
西欧社会におけるキリスト教のユダヤ的な傾向は抜きがたく存在しているのだ。
動画 テキスト
● フリードリヒ大王死後のカントの変化@
賢明なるフリードリヒ大王の御世(1740〜1786年)でこそ、カントのあの不朽の
業績である純粋理性批判【第一版】(1781年)を展開できた。
これは人類に対してもたらされた最高の形而上学である。
人類の宝である。
だがカントの自由で真実な探究を支える環境にも陰りが差す事になった。
偉大なフリードリヒ大王の死である。(1786年)
これ以後のカントの主張にブレが出始める。
というのも、カントもまた身の危険を感じたろうからである。
フリードリヒ大王下では、真理に即して哲学をしていたカントが、大王が亡き後
は周囲の、それもキリスト教指導者層に対して、気を使う必要がでてきた。
フリードリヒ大王死後に如実に現われてでた。
純粋理性批判(1781年)は、カントは真理に即して書き上げた。
先験的感性論は、実に素晴らしく人類の宝である。
これに対して、フリードリヒ大王死後以降に以下のものがカントから出された。
純粋理性批判【第二版】(1787年)、実践理性批判(1788年)
これらの本を書き上げたカントの態度は真理に即したものではなくなっていた。
カントは、あらかじめ意図を持って、これらの本を書き上げてしまった。
哲学とは、本来、真理にのみ即して展開されるものでなければならない。
始めから自分の中に意図があって進むようなものではない。
動画 テキスト
● フリードリヒ大王死後のカントの変化A
カントは何の意図をもっていたかといえば、理性が超越的なものに届いて
欲しいという意図である。
カントの先験的論理学は、真理に即して進んだのではなく
ある意図をもって、それに即して進んでしまった。
超越的な世界にもつながりうる理性的なものがあるのではという意図を掲げて
カントは思索を展開してしまったのだ。
先験的感性論の素晴らしさに比べて、先験的論理学はその面で非常に
人工臭がして、さらに真理から遠ざかることになった。
先験的論理学には、神の存在を肯定する意図が見え隠れしている。
キリスト教関係者に対するカントの配慮がそこに現われている。
カントのこの態度は、真の哲学者とはして好ましくはなく避けるものである。
哲学者は真理にのみ忠実であるべきであるべきで、何らかの意図をもって
話を進めるべきではない。
カントがこうせざるえなかったのにも理由があった。
カントの身にも圧力と危険が迫っていた。
仮に英明なフリードリヒ大王が、あと10年でも長く生きてくれたならば、
カントのこの事態は避けられただろう。
カントの登場は、人類に天才とは何かを知らせた。
英明なる大王を失ったことによる多きな損失がそこにある。
大王の保護を失ったカントは、キリスト教会の指導者層に対して気を配りながら
思索を進めざるえない面があったのだ。
動画 テキスト
(*) 詳細は以下のサイトを参照。 『 稲穂黄金のカントへ
』 『 稲穂黄金の偉大なある王達 』
● 馬鹿者達のオンパレード@
カントが意図をもって進めてしまった先験的論理学。
先験的論理学は、先験的感性論に比べてその価値は遥かに落ちる。
カントは先験的論理学の中で、理性が超越的な世界へつながる可能性に
ついて述べてしまった。
キリスト教指導者層が喜ぶ結論を想定して、話を展開したのだ。
理性が超越的な面につながる可能性を述べることで、つまりは絶対者の存在
を暗に認め、その神の意図に人間がつながることを暗に主張したとも言える。
天才カントが、そういう可能性を述べたのだから、さあ大変。
天才カントの登場で、隅に静かに隠れていた無能な学者や、馬鹿者達が
意気揚々に神の意図を語り始めた。
なにせ、あの天才カントがお墨付きがあるのだから、これらの連中が
喜び勇んで、神の意図を主張し始めたのは目に浮かぶ。
それでもカントが生きている間は、大きな問題は起こらなかった。
カントの真の価値が、先験的感性論にある事をカント自身が理解していたからだ。
動画 テキスト
● 馬鹿者達のオンパレードA
だがカント以後になると馬鹿者達は、待ってましたとばかり喜んで、続々と
神の意図を語り始めた。その当時の哲学学者の主張を心から喜んだのが
キリスト教関係者である。
これらの宗教人は、神の意図を述べる者達に、最大級の賛辞を送り、
割れんばかりの拍手で出迎える事態になった。
思いつきとおもいこみという愚かさがあちこちで溢れた。
絶対理性や絶対精神、世界には意識があり、その意識の発展途上にある云々
という馬鹿話が今日はここで、明日はあこそで語られる始末であった。
これにより哲学は堕ちるに堕ちた。
なんらの根拠を示さずに、思いつきと思い込みが哲学と思う連中が続々と
哲学の分野に登場することになった。
ここにフィヒテや、シェリング、ヘーゲルなどの似非者達と、それを盲信する現代
の日本の大学哲学の者達に続くペテン師軍団が多数、登場する事になった。
非常に残念な事ではあるが、日本の大学哲学の現状は酷い有様である。
日本において大学哲学は死に絶えているとさえ言える。
この世界には絶対精神があって、その指し示す方向に進んでいる云々という
大学教授が、いまだに存在するのだ。その数も少なくなく結構いるのである。
これらの連中は、これでこの世界の何がしかが理解できたと思い込んでいる。
動画 テキスト
(*) 詳細は以下のサイトを参照。 『 稲穂黄金の浅はかなる者達
』 『 稲穂黄金の深遠なる者達 』
『 稲穂黄金の未来の哲学者へ
』
● 王族とは何か
王族とは何か。
生まれながらにして、国家・国民を思い続ける者達。
王族や貴族は常に、国家を考え続けた者達である。
しかし議会制民主主義が始まって全ては一変した。
もはや王や王族は政治にあまり関与することなく、その帝王学は土に埋もれた。
王族や貴族に代わって登場したのが選挙を経て選ばれた国民の代表である。
むろん、選挙で選ばれた国民も国の事は考えてはいるだろう。
しかし王族と国民ではその真剣さと重みがまるで異なる。
王族は生まれながらに国家を考えざる得ない。
国家と向き合うことが求められる。 様々な事が、代々王によって、つまり自分の
ご先祖によって成されたものばかりである。
その王族と、現代において10年程度、国会議員をやりましたという者とでは、
その覚悟も認識も、まるで異なり、比べる事ができない。
筆舌を尽くしがたい程の差がある。
● 議会制民主主義以前の知識人
議会制民主主義以前の知識人と、議会制民主主義が確立された以後の
知識人には大きな差異が存在する。
議会制民主主義以前の知識人は、まさに王に意見を述べる者として
国を治めるということを身近に見て、接してきた者が多い。
時代、時代の第一級の知識人は、まさに王と会談し、王族と手紙のやり取り
をして、また次代の皇帝の教師に選ばれた。
アリストテレス アレクサンダー大王の家庭教師
セネカ ローマ皇帝ネロの家庭教師
マルクス・アウレリウス 第16代ローマ皇帝
フランシス・ベーコン イングランド大法官
デカルト 公女エリーザベトとの手紙のやり取り、
スウェーデン女王クリスティーナに講義
ヒューム グリートブリデン王国の国務大臣次官
ゲーテ ヴァイマル公国宰相
この他にもジョン・ロックは、シャフツベリ伯爵のもとで経済論、国家論を
堂々と論じている。
皆、皇帝や王、大臣の信任が厚く、また多くの意見を求められたであろう。
そうして時に、その意見が政策に取り入れられることもあり、まさにその結果
に対しても責任も伴うものであった。
これらの知識人は、国家を治める難しさを王と共有したのである。
人間を治める難しさを王と共有したのだ。
動画 テキスト
● 議会制民主主義の以後の知識人@
議会制民主主義が世に成り立つと、知識人と呼ばれる人々の力の大幅な
減退が見られるようになった。
王が主権者となり政治を決定する時代から、国民が主権者となって政治を
決定する時代へと変化したからだ。
政治は、主権者たる国民が担うようになった。
知識人の多くが、王の間近で、生の政治に触れる機会を逸することになった。
議会制民主主義が発達して民衆が政治を決める事が始まると、すぐさま、
その浅はかさと愚かさが露呈した。
共産主義や社会主義が猛威をふるう事になった。
共産主義や社会主義は実に愚かである。
これらの主義は、まさに経済的価値のみが価値であると思い込んでいるのだ。
生み出された経済的価値の分配をどうするかだけに関心を
持っていて、その経済的分配だけで、国家が治められると思っている。
それで、人間が治められると思い込んでいるのだ。
動画 テキスト
● 議会制民主主義の以後の知識人A
経済的価値など、人間の中に多く渦巻く価値の中の1つに過ぎない。
それなのに経済的価値のみに特化して、その経済的価値の分配を上手に
行えば国家を運営できると考える程に、人々は愚かになっていた。
議会制民主主義が導入された数十年もすると、当時を代表する知識人の中
でも、それで国家を治められると考える者達が続出した。
呆れてものが言えないとこのことをいう。
国家を治めるのは、人間そのものを治めることであり、その扱いは非常に
難しいのだという認識を、まるで持たない者達で溢れた時代である。
この愚かさゆえに、共産主義国、社会主義国が生まれ、地上に地獄を出現
させることになった。
人間を治めることの意味を甘くみたツケが一気に支払われることになった。
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● 以前と以後の知識人の差異
議会制民主主義以前の知識人ならば、経済的価値の分配ばかりに注力
する事の危険が直ぐに理解できたに違いない。
芸術的価値や学問的価値、宗教的価値などの価値を軽視することが、いかに
危険なことか直ぐにも理解したはずである。
議会制民主主義以前の知識人は、王の間近にいた。
王の間近にいて、王様がいくつもの価値を保護し、推奨に心を砕いている事を
良く良く理解していた。
王様が何ゆえあれほど宮殿を美しく着飾り、芸術家を養い、宗教に理解を示し、
学問を推奨する事に心を砕いたことを王の周りにいた知識人は理解した。
それゆえに当時の第一級の知識人は、王を敬愛した。
経済的に国民を潤したかと思えば、他の価値の欠如により国民の怒りが爆発
して国民がまったくいう事が聞かなくなる危険がある。
それらの事を優れた王は理解していた。
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● 議会制民主主義と共産主義@
近代において共産主義国家、社会主義国家などのガラクタ国家が生まれた事
と議会制民主主義の普及は無関係ではない。
王族や貴族、また議会制民主主義以前の知識人が健在であった時代には、
経済的価値のみで国家が治められるなどと考えた知識人など
皆無であった。
国家には経済的価値を含めて様々な価値が存在し、それらのいくつもの価値に
よってこそ人間社会は成り立つという認識を、当時の知識人は持っていた。
なれど政治が、王族から国民に移った。
多くの国民の目には、経済的利益しか目に映らない。
それらの経済的利益をうまくいけば、簡単に国家が治められると早合点した。
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● 議会制民主主義と共産主義A
多くの国民は、国家を治める事は、人間を治めることであり、一朝一夕には
いかないという事がまるで理解できなかった。
それらをまったくわからない民衆は、簡単に国家を治めるられると踏んだ。
共産主義国家とは、つまりは経済的利益の分配のみで、国家が治められると
考えるほどの、お話にもならないガラクタ思想の国家である。
ガラクタがガラクタであることは直ぐに露呈した。
人間を治める事の難しさを無視したツケが共産主義国家を一気に襲い、
共産主義国家はその内部から崩壊した。
近代に起こった革命や共産主義や社会主義などは、人間というものに対する
予感をまるで有していない。
これらのガラクタ主義が広まったのも、国家を治めることの難しさを真剣に
考えた事のない民衆に、政治の舞台が移ったからである。
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● ヨーロッパの王家の帝王学@
ヨーロッパの宮殿を眺めて直ぐにわかるのは、芸術に莫大な費用をかけて
いたことがすぐにわかる。
宮殿の中に入ると人々を圧倒する。
宮殿内部には多くの絵画や天上には壁画が施され、柱の上部には彫刻が
施されている。宮殿の内部だけではなく庭園も実に美しく整備されている。
地方の有力者である貴族は、王様の宮殿に呼ばれ、その装飾品の美しさ
文化の高さに圧倒されたに違いない。
もちろん、貴族も王様に負けじと宮殿を美しく着飾った。
貴族だけではなく、ヨーロッパの知識人も宮廷に招かれて、王の趣味の良さは
人々に知れ渡った。
そのような弛まない地道な努力によって、徐々にその名声が広まった。
ジワジワトと人々の尊敬を集めた。これが重要である。
確実な尊敬ほど、何よりも力になることを王族は知っている。
これらの上にあってこそ、始めて王族は知識人に心から尊敬された。
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● ヨーロッパの王家の帝王学A
王族が存在した時代の知識人には、まさに優れた者たちが存在した。
その当時の知識人たるや、現代の大学教授などという、そんな生易しい知的
レベルなどではない。
まさに当代随一と呼ばれるような人々が、まさに王の周りに集まった。
ヨーロッパの王家は、哲学者や科学者、芸術家、音楽家などあらゆる分野の
本物の知識人からの尊敬を得ることを目指していた。
そして事実、尊敬を受けていた。この意味が重要である。
ヨーロッパの王家は、芸術家を保護し、学問を推奨し、音楽家を養った。
そうやってあらゆる分野の知識人の尊敬を勝ち得た。
ただし、何度も述べておくが、全て歴代の王様が、実際にそれらの芸術作品や
音楽や、学問に興味があったわけではない。
実は、まったく興味がなかった王様も多くいただろう。
そもそも学問が好きだという人間の方が珍しいものである。
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● ヨーロッパの王家の帝王学B
大事な事は、それが好きであろうがそうでなかろうが、王族は、それらに
興味があるように振舞った事である。
その振る舞いが当時の知識人から尊敬を受けた。
尊敬を受けるだけの振る舞いがあった。
もちろん、勉強をしていなくてはこれらの知識人に簡単に見向かれてしまう。
それらの教育が、好きであろうが嫌いであろうが、施されていた.
王族にあっても、芸術や知識に疎く、興味を持てない者は多くいたはずだ。
だが彼らは、小さい頃から帝王学が施され、それらを理解する振る舞いを
体得していたということだ。
そうでなければ、人々の信頼を勝ち得ない。
いつの時代も真の知識人からも尊敬を勝ち得ない王に、平民の誰がついて
いくというのか?
ヨーロッパにおける王族、貴族の宮殿は、その富を芸術作品を集めたり、
さらにはパトロンとして多くの芸術家、音楽家を養った。
国の発展を願う王たるもの、自国の文化の向上に力を注ぐことは忘れなかった。
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● 朕は国家なり
フランスの太陽王ルイ14世(1638〜1715)が述べた有名な言葉。
”朕は国家なり”
まさに至言である。
その国の王は、その国の意志を代表する。
その意志を他国に宣言する者こそが王である。
王の意志こそが国の意志である。
太陽王(=ルイ14世)
だからこそイングランド王は、フランス王のことをフランスと呼び、フランス王は
イングランド王のことをイングランドと呼びあったのだ。
王こそが国家の主権であり、国家の意志を物語っていた。
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● 共通意識と国家
国家とはそこに住まう人々の共通の意識である。
具体的な利益の為だけの集まりが国家などと呼ばれる事はない。
海賊も商売人の集まりも、それが国家と呼ばれない。
通商都市が国家と呼ばれないのもそれが理由である。
単なる利益の為の集まりが国家などと呼ばれることはない。
国家と呼ばれる為には、利益の為の集まりだけではない。
それらの利益を越えた人々の共通意識が必要である。
国家と呼ばれる為には、現世的な利益を越えた普遍的な価値について
そこの存在する人間社会が価値ありと見なすことが必要である。
多くの人々のその共通意識が形成されていなければ国家と言えない。
そして実際に、人類にとって普遍的な何がしかの価値を提供する必要がある。
もちろん、時代によってある国家からすれば、どこそこの国は国家に値しないと
判断されることは往々にある。
むろん国家は、人々の利益を保護する重要な任務を有する。
農業による穀物の取得、それらを売買する為の商売、流通の環境整備、
人々が生活する都市の繁栄、外部の敵から身を守る防衛の意識である。
大きな都市においても城壁がめぐらされ、外的な防御に備えた。
それと国家がどこか違うかといえば、そこに属する人々が自分達はなにもの
であるかという明確な意識である。
さらに国家を越えて文明に至るためには、人々の共通意識、それも強烈な
共通意識の存在なくして、偉大な文明は決してもたらされない。
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● 栄耀栄華の平安時代
なにゆえ平安時代は日本史上最高の文化を作り上げることができたのか?
その理由は簡単である。
日本人の1人1人の意識が共有されて、日本国民全体で共有する美意識を
確保したということである。
それほどまでに人々の共通意識まで高まったがゆえに偉大な平安時代が
生まれたのである。
それをもたらした外的な要因は、遣唐使の廃止である。
894年に遣唐使は廃止された。
遣隋使から数えて約300年(600〜894年)の歴史があった遣唐使が
天神様こと、菅原道真の英断により廃止されることになった。
これ以降、平安時代は大輪の花を咲かせた。
日本史上最高の文化にまで飛翔した。
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● 鎖国と開国を繰り返す日本
日本という国は海外の文化を公に開いたり、個々に開く鎖国を繰り返してきた。
海外との交流 積極的 消極的
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奈良時代 遣隋使、遣唐使
平安時代 遣唐使の廃止
平家 日宋貿易
鎌倉時代 幕府の正式な貿易はなし
室町時代 日明貿易
戦国時代 ポルトガル、スペイン、オランダ
江戸時代 鎖国(オランダのみ貿易)
明治時代 開国
外国との交流がない時代にこそ日本を代表する文化が生まれ、それは
現代の日本人に根強く残り続けている。
江戸時代はもとより、平安時代の偉大な時代の記憶も日本人に確実に
刷り込まれている。
なれどまた鎖国の状態から反対に開国して、外国の文化が入って来る時に
日本人は刺激を受けて、新たな原動力にしているのも確かである。
奈良時代の仏教の伝来がそうであるし、戦国時代の西洋の鉄砲の伝来
江戸末期の黒船の到来など、日本人の知的好奇心を刺激した。
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● 現代の日本人に残る文化
日本が外国との交流を大々的に始めた時に、他国から入ってきた技術や
文化が日本人の知的好奇心を満たした。
なれども現代の日本人に強く刷り込まれているものの多くは、日本が鎖国して
いるときに、日本人によってもたらされたものである。
つまりこの時代こそ日本人の共通意識がある程度、もたらされたのである。
その代表的な時代が江戸時代であり、もう1つが平安時代である。
江戸時代の影響はつとに大きい。現代の日本人の道徳観念および気質が
そのまま受け継がれている。
21世紀の現代の日本人が好む時代劇といえば、その多くが江戸時代の作品
というのがそれを物語っている。
( 水戸黄門、暴れん坊将軍、大岡越前、遠山の金さん、忠臣蔵、
子連れ狼、八丁堀の七人、必殺仕事人、etc )
平安時代とは日本人の何が形成されたかといえば、それは美意識である。
21世紀の現代の日本人が国内旅行に出かける時のもっとも人気が高いの
が京都である。京都にはまさに日本人がもっとも美しい感じるものがある。
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● 鎖国と開国、そして共通意識
ここで大切なことは、国民の共通意識を形成する為に鎖国が必要であるなど
とは決して言っていないことである。
別に鎖国をしようがしまいが良いのである。
ただし、鎖国をしたら外的要因によって、日本人の意識が共通化されていった
というだけに過ぎない。
だから本来であれば、外国とも積極的に貿易をして文化を知り、それでも
日本人が日本人としての共通意識を形成することが一番大切なのである。
古代の人々はこれが良く良く理解していた。
古代エジプトも古代ペルシャも古代ギリシャも古代ローマも実に他の文明と
交流して、他の文化を知った。そうして他の文化の良さを認めていた。
他国の良さを十二分に理解していたが、自分たちが何者であるかを古代人は
明確に理解していた。
その明瞭な認識こそが彼らを彼らであり続けさせた。
他国の良さを認められた背後には、自分達の文化が劣っているなどとは
露ほども思っていなかったことである。
他国は他国、自国は自国という確信と自信を有していた。
彼らは自分達の故郷の文化を多いに胸を張って誇った。
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● 古代人の表現
古代人は他国の文化を排斥することなど滅多になかった。
彼らは他国の文化の良さを認めるだけの精神性を持っていた。
それは自国の文化を保有することの確実さであった。
古代人は自分達の国家を誇った。
自分達がどこから来て何を大切にする者達であるかを堂々と示した。
その表れが、様々な芸術作品の中にも見られるのだ。
古代エジプト人は、自分達が神と共にいることを表すために様々な神々を壁画
に残し、また体は獅子、顔が人間のスフィンクスなど様々なものが生まれた。
古代ギリシャ人は、まさに人間の美しさに気付いた。
彼らはこれでもかというぐらいに人間の美しさを表した。
古代ローマ人は、人間の住む都市をまるごと神と人間とが共存する場所へと
変貌させた。人類史上最高の都市であるローマがもたらされた。
彼らは自分達が何を大切にする者達であって、何に価値を重んじる者達で
あるかを、人間のもてる全精力を活用して表現した。
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● 神話の重要性を知っていた古代人
古代人はとりわけ神話の重要性に気付いてきた。
神話こそが、その民族がどこから生まれ、どういう神々と共にいて、この地上で
何を行うことにもっとも価値があるのかを教えるからだ。
古代ギリシャのオリンポス十二神の一柱であるアポロンは、ギリシャの青年達
の理想の姿を体現しており、あらゆる知的活動を象徴する神であった。
それゆえにこそ古代ギリシャ人の若者の目指すべき姿がそこにあった。
古代エジプトは、太陽神アメン・ラー、冥界の神オリシス、死者の国の入り口の
儀式を司るアヌビス神がいる。
太陽神アメン・ラーは毎日絶え間なく昇り続ける永遠性を示している。
冥界の神オリシスなどつまりは、生と死を越えても永遠に残るものがあること
を古代エジプト人は強く意識していたのがわかる。その表れがミイラでもある。
神話を大切にするということは、自分達がどこから来て、何で有り続けるかを
表している。神話を大切にするということは、その国家に住む人々の意識を
共有化して、共通意識を育む上で非常に重要なのである。
国民の意識を共有化する上でも神話はとても重要である。
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● 国家までに至らなかった勢力
歴史上を見れば、国家を生み出すことに至らなかった国が多く存在する。
勢力を拡大したがとうとう、国家を形成することができなかった者達は多い。
国家を抱けなかったという事は、その地域に住む人々が協力して同じ意識を
共有できなかったことを意味する。
意識を共有する必要もなかった場合もあれば、意識を共有させようと試みたが
まったくできなかった場合もある。
どちらにせよ、とにかくそこに住まう人々の意識を共通化できなかったのだ。
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● 文明とは
もちろん意識を共有させたからといって国家がもたらされるわけではない。
そうやって人々が一体となっても、他の国との争いに敗れて、国家になる前に
雲散霧消してしまったこともたくさん存在する。
国家の上にはさらには文明の存在がある。
国家と文明と呼ばれるまでの国家の大きな違いは何であろうか?
それは人間の能力が完全に花開き、人類にとって普遍的といえる価値を
もたらした場合にのみ、後世の人々に文明と呼ばれる。
そこに住まう人間の能力が花開いてこそ文明と呼ばれる。
それであればこそ、いつの時代の人類にとっても、普遍的な価値を有して
いると認められるのだ。
古代エジプト、古代インド、古代中国、古代ペルシャ、古代ギリシャ、古代ローマ
などが、人類にとって普遍的な価値を残し、文明と呼ばれる。
これらの文明は、神々と共にあり、そして芸術が花開いた。
学問、芸術の普遍的価値を築いたのが古代ギリシャである。
国家を形成する為には、人々の意識の共有化が欠かせない。
さらに人々の意識の強く団結すれば、偉大な国家をもたらすことになる。
しかし、それだけでは文明と呼ばれない。
人々の共通意識が高まり、普遍的な価値を生み出すまでに至らないと
文明とは呼ばれないのだ。
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● 文明に要求されるもの
それゆえに文明において要求されるのは以下の2つである。
@ 人々の意識の共有化
A 国民全体で民族の夢を見る
B 人間そのもの能力を開花させる仕組み
国民の意識を共有化して、自分達は何の民であり、何であり続けることが
価値があるという明確な強い意識と、同時にその人々の力の結集を
自分達が掲げる大きな夢の前進の為に活用することである。
大きな夢とは、時代を越えた民族の夢である。
その大きな夢の形成に神話の存在は欠かせない。
人間の能力が開花できるような仕組みが社会のあちこちで配置されている。
古代ローマ人は、人々の一体感を高める為にこそ巨大な浴場を都市の中心部
に据え置いて、身分の差に関係なくローマ人の結束を強めた。
古代ローマ人はまさに幸せであった。自分達がローマ人であるという疑いも
ない明確な意識が彼らには存在した。
人間の力を真に発揮できる国家。
人々の意識がくまなく国中に浸透している国家。
自由闊達な雰囲気があり、人間の力が素直に表現することが、国家の繁栄に
直結している国家。皆が自分達の国を愛し、その歩みを愛した。
それらの条件が積み重なって、人類史上忘れえぬ文明がもたらされる。
もちろん、何かの条件が欠ければ、文明にたどり着けぬことも往々にあるのだ。
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● 再度、文明とは
ひとえに文明というが、古代の文明に達した所は、それだけ古代人1人1人に
力を備えていたことを物語る。
人間1人1人が有する力が半端でなかったことを物語る。
もちろん古代文明の中においても迷妄で愚鈍なものも多くいただろう。
だが国民全体の相対的な力において、古代人は近代・現代の我々を圧倒する。
特に文明の中における為政者、知識人のレベルの高さときたら半端ではない。
文明のあらゆるところに、人間の能力を開花させる仕組みと
人々の一体感を演出する仕掛けが施されている。
古代の大文明に生きた人々は幸せである。
人間として生まれて、もっとも幸運な時代に生まれている。
もちろん、人間がこの大地で生きることは決して生易しいことではない。
なれども、その明瞭な意識をもった多数の人々が互いを思い、真に力を
あわせて協力する。
現代日本が抱えるような無連帯や無縁社会とは、まさに無縁の世界であり、
多くの人との繋がりの中で過ごせた。
人間の内面におこる多くの苦悩を和らげる仕組みが随所に備えられている。
古代の偉大な文明に生まれた人々は、そこで生まれたことを誇り、その国民で
あることを真に誇った。ローマに生きる人々がローマを愛した。
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● 文明まで至らなかった国家
国家を抱くことすら難しい。
ましてや文明に至るなど奇跡に近い。
文明に至ろうと近づいた国家は、いくつも存在する。
なれども、そのほとんどが文明と呼べるどころか、最初でつまづいた。
ヨーロッパのルネサンスも古代ギリシャ文明、古代ローマ文明の復興であるが
それでも古代ギリシャや古代ローマまでには、まるで至らなかった。
それでもそれを目指したことで、実に優れた作品も生まれた。
ミケランジェロやレオナルド・ダヴィンチなどの優れた芸術家が輩出されたし
この時代の人々の熱気が、そのまま流れこみ、次の時代に近代科学をもたらす
ことになった。
強大な国家が、文明まで至らなかったという事は、その地域に住む人々が
共通意識を育んではいたが、さらに大きな夢を見て、実践するところまでは
いかなかったことを表す。国民全体のすさまじい熱気が一つとなり大きな夢
の為に進む時に、文明の萌芽が生まれる。
その国に生きる人々が意識を共有させ、意志を表し、手を携えて大きな夢を
成そうと実行したことは、あらゆる時代の人々に何かしらの刺激を与える。
その実行がうまくいけば、国家は躍動感に溢れて空高く飛翔する。
そうしていよいよそれがいたり、他の国々、あらゆる時代の人々は心から感動し
それを文明と呼ぶ。こうなると全人類の宝とまで呼ばれる。
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● 動物と人間と国家@
動物は生き残る為に群れを形成し、天敵からは仲間の数で身を守る。
また餌を取る効率性を上がる為に、群れで協力して生き残る。
現世的な利益の為に動物は協力する。
もちろん、動物がであっても群れで暮らせば、ルールが必要になる。
ルールがなければ、動物同士の欲求がぶつかり、群れで暮らすどころではない。
これらの状態と人間が商売で協力し、軍隊をもって自衛するのは程度の差こそ
あれ同じ事である。
なれどここからが動物と人間とでは違う。
これらの現世的な利益を越えて、人間は学問を行い、芸術を行い、信仰をもつ。
利益があるから行う場合もあれば、現世的な利益を越えて行う場合もある。
普遍的な価値の為に人間が生きて、そこに社会全体が価値を見出すときに
それは国家と見なされ始める。
だから人間もそれと同様に、人々は集まり、集団で暮らし始める。
なれど、人間は、この地上でただ食べる為に生きているのでは決してない。
その証拠に、この地上には芸術作品があり、文学があり、学問がある。
国家が誕生したということは、それらの芸術や学問、信仰などに価値があるの
だという人々の共通意識が形成されていることである。
国家において国民の共通意識はとても重要である。
この共通意識を形成できない国家は、結果的に様々な要因が引き金となって
消滅することになった。
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● 動物と人間と国家A
もちろん国家という存在で終わりではない。
この先には文明がある。人々の共通意識だけではない。
その意識をもって、国民が大きな夢を見て、それに向かって進んで行く時に
文明の萌芽が出現する。
大抵、大きな夢とは現世的な利益に関わることではない。
動物 人間
---------------------------------------------
↓ ↓
現世的利益の確保・防御 食料の確保、経済活動
食料の確保、天敵からの防御 敵からの防御
(群れ) (部族、商人、海賊、盗賊)
↓
普遍的価値の創造とその価値に対する人々の認知。
多くの人々の共通意識の形成。
(国家)
↓
人々の共通意識から現世的利益を越えた大きな夢
大きな夢の共有と行動。
(文明)
現世的な利益を越えて成し遂げたい夢が国民全体で共有された時に、人々の
力が一つになってまさに偉大なものがもたらされる。
古代エジプトのルクソール神殿、ピラミッド、古代ペルシャのペルセポリス、
古代ローマの永遠の都ローマ、まさに人類にとっての宝である。
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● 世界と人間、そして国家@
この大地は欠乏で満ちている。
自然界は、そのような一面を持つ。
肉食動物は、草食動物の命を奪うことで、己の命を明日に繋げる。
草食動物は、肉食動物から逃げること、己の命を明日に繋げる。
仮に肉食動物が、草食動物を捕まえられなくなれば、餓死することになる。
この欠乏は、我々の世界にも同様に襲ってくる。
人類は食料を手に入れれば、さらに充分な食料を欲した。
今度は、財宝を手にしたくなり、その財宝を手に入れればさらなる財宝を欲した。
また強大な領土を得るために多くの戦もした。
おいしい食事、豊かな生活に満たされれば、それもすぐに飽きて、あらたなもの
が欲しくなる。
あらゆる物を手にすれば、人の心を支配しようともする。
多くの商品を手にいれば、人間の心の中から飢餓の心が生まれてきた。
その為に確かに国家は必要になった。
確かに国家は、必要悪である。
人間にそういう欠点があるからこそ、国家は求められた。
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● 世界と人間、そして国家A
未開の部族であっても、他部族と争ってきた歴史がある。
既に、動物において群れが必要なように、人間も当然、協力する必要がある。
だからこそ、世界のあらゆる場所で国家が生まれ、いつの時代でも人々は
国家を必要とした。
人間の内にこそ問題がある。
だからこそ人々が集まって暮らすための仕掛けが必要である。
それを一つ一つ解消していけば、国家を形作った。
国家がなくなれば、直ぐにも人間は大きな問題を起こす。
黙っていても起きる。人間は、天国や楽園で暮らせない。
平和で何不自由ない場所であっても、人間が多く集まり暮らしていれば
人間の内から様々な問題が噴出する。
楽園であればあるほど、その問題は止め処もなく溢れる。
国家は確かにそれらの問題に歯止めをかける力をもつ。
ただし国家はそれ以上の意味をもつ。
人間が国家に意義を与えた。
外的を防ぐ為の手段だけではなく、人々の意識を共有させ、一致団結して
普遍的価値を見出すことを試みた。
国家を味気ないものにするかも、意義あるものにするかも人間次第である。
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