未来の文明  これからも文明は生きんとする意志の肯定と否定の間で揺れ動く。文明も人間によってこそ支えられる。
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大企業の経営者の話は聞かない方が良い16の理由   
巷では経営者による人生話の本が多く出版されている。しかしこれらの話を鵜呑みにするのは危険だ。眉に唾をつけて聞く必要がある。
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未来の文明
 生きんとする意志の肯定と否定との間を揺れ動く。人間によって作られた文明も
それゆえに揺れ動く。これは未来も変わらない。

 
● 文明の大潮流@

 生きんとする意志の肯定と否定。
 人間はその間で揺れ動く。そうして当然、国家にも文明にも影響を受ける。
 文明は人間によってこそ支えられる。
 人間の価値観が大きく揺らげば、文明も影響せざるおえない。

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 文明の度合い    人々の日常         神々と宗教
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 大小の集落   
人間は神は共にいる    太古の神々=自然崇拝
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 都市の形成   人々から問題が発生    聖典の宗教に興味を示す
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 文明の発達   制度・法律の創設      聖典の宗教と太古の神々
           人間に対する理解と寛容  の共存
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 文明の衰退   人間の洞察力の低下    人々の不安
           様々な制度の崩壊      聖典の宗教に救いを求める
--------------------------------------------------------
 文明の消滅   人間の
片手には聖典    聖典の宗教の勝利
                             太古の神々は姿を消す

 人類が発生してきてから、常に人々に大きな影響を与えてきたのは
 生きんとする意志の肯定と否定である。
 生きんとする意志の肯定とは、太古の神々の教えを意味する。
 生きんとする意志の否定とは、聖典をもつ宗教、つまり仏の教えを意味する。

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 ● 文明の大潮流A

 多くの人々が集まり共に暮らすことは、現実的な大きなメリットがあった。
 なれどまた多くの問題を発生させた。
 都市で暮らす人々は、人間のもつ生きんとする意志を安易に肯定することは
 できなかった。多くの我慢が必要であった。
 
 生きんとする意志を安易に肯定することは、都市に生きる人々には
 できなかった。人間が集まると、人間は問題を起こすものである。
 確かに人間には救いがたい面があった。

 小さな都市や国家では、早くも聖典の宗教が支持を広げた。
 文明の発展と共に生きようとする人々は、太古の神々を捨て、聖典の宗教を
 選び始めた。

 もちろん大文明に至った所では、太古の神々はいまだ健在であった。
 というのも人間の様々な問題に対して大文明には、それを吸収するだけの
 様々な仕組みが容易されていたからだ。
 また大文明に至った所は、芸術の技が健在であり、聖典をもつ宗教は
 不要であった。人々は神々と共にいた。
 まだまだ人間自体に力があったのだ。

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● 文明の衰退と聖典の宗教@

 都市に住む人々の問題を、文明がもつ力に吸収できるうちは、人々が抱える
 問題によって社会が揺らぐことがなかった。
 なれど、文明に住む人々からそれらを支える力が失しなわれると、文明の
 きしむ音を出し始めた。
 人間の苦悩を昇華するほどの芸術を発揮できなくなった。

 文明は、人間の力により支えられている。
 優れた文明は、人間そのものを知り、人間の可能性が展開される事を
 力強く後押しする。
 人々が力を失っても、もちろん文明はすぐには力を失わない。
 
文明にはそれだけのものが積み上げられている
 なれど文明も徐々に力を失い始める。

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● 文明の衰退と聖典の宗教A

 文明を理解する人々を完全に失って文明は滅ぶ。
 文明が衰退し始め、消滅すれば、人々はその内面に起こる苦悩を自ら
 解消する以外に術はなくなる。
 この時、いかに空気のごとくあった文明の偉大さを知る。
 そうして人々の不安と悩みは増大して、救世主を求めるようになる。

 この時に人々を癒し、救う教えこそが聖典をもつ宗教である。
 生きんとする意志の否定にこそ救いがあることを知る。
 文明論を語る上で、生きんとする意志の肯定と否定は、最重要項目である。
 文明の流れに決定的な影響を与えてもいる。

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● 神なるものを守ろうとした者達

 人類の歴史を紐解けば、人々が生きんとする意志の肯定と否定の間を
 いったりきたりしている事に気付く。
 
 そうして人類は、文明の発展を望んた。
 それゆえ
文明と相性の良い聖典をもつ宗教とが結びついた。
 人々が集まり都市が形成され、国家が形成された地域において、
 聖典をもつ宗教がまったく入らなかったという国家は存在しないと言って良い。

 古代人のように人間に力があれば、聖典の宗教も不要ではあった。
 なれど古代の文明は、遥か昔のこととなった。
 21世紀の現代でも聖典をもつ宗教が圧倒的である。
 
 もちろん現代においても神なるものを守り、保持する者達がいる。
 紀元前の大文明が滅んだ後でも神なる者たちを守った者達がいえる。

 
日本人、ユダヤ人、ゾロアスター教徒だ。
 ユダヤは、神なるものを一神教化して、さらに絶対神の衣を被せることで守った。
 ゾロアスター教は、神なるものを太古のままに保存しながら文明と生きようと
 決心した。その道は実に険しく、世界全体でもゾロアスター教徒は数万〜
 数十万に限られる。

 日本は、神なるものと仏なるものが共存した。
 もちろん民衆においては神仏習合が起きたが、神道は本来の神道を保ち
 仏教は、仏教の真髄を残しながら存在し続けた。

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● これからの大潮流

 これから21、22世紀の未来の世界において起こる大潮流がある。
 それは以下である。 
 世界中のあらゆる地域で
神なる教えが復活することだ。

 紀元前12〜11世紀にかけて世界中から姿を消した太古の神々。
 それが22世紀において、世界中で復活しているということだ。

 2010年の現在ではとても信じがたいことである。
 世界中で人々が崇拝する神は、その実、仏である。
 イエスが掲げた神こそは、実は仏である。
 文明と聖典をもつ宗教は、時に為政者に遠ざけられはしたが、文明と歩んできた。
 世界中から姿を消した太古の神々が再び復活する時に何が起こるか。

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● 神なる教えの復活宣言

 今から約120年前の日本において太古の神々の復活宣言がなされた。

 『 
三千世界一度に開くの花、艮の金神の世に成りたぞよ。
   梅で開いて松で治める、神国の世と成りたぞよ。』

 
 1892年に大本(教)の
出口なおに神がかかり、述べた言葉である。
 お筆先である。これが文書化されたものが大本神諭(おおもとしんゆ)である。

  
    出口なおに神がかかり言葉が発せられた言葉=お筆先
   
  出口なお


 この三千世界には以下の2つの意味がある。
 
世界各地という意味と三千年と言う意味である。

 紀元前12〜11世紀に世界各地で太古の神々が姿を消した。
 そこから数えて3000年、19世紀の後半に、1人の老女に神霊が神がかりして
 筆をとらせ文字を書かせた。

       |    ←   
3000年   → |
    紀元前12、11世紀  〜  19世紀後半(1892年)

 その神霊の名は艮の金神(うしとらのこんじん)。
 3000年前に消えた太古の神々が、いよいよ復活するという宣言がなされた。

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● 未来の文明

 21世紀〜23世紀の各世紀に起こる変化を簡単に表現すると以下となる。

   21世紀  聖典の宗教に生きる人々の揺らぎ
   
22世紀  太古の神々の復活(=神なるもの)
   
23世紀  太古の神々と文明との共存

 もちろんそれぞれの世紀には、上記以外の動きも多々含まれる。
 なれども上記に述べたことを見ても、これからの世紀に大波が訪れることは
 感じ取れるだろう。事実、大しけでありハリケーンが迫っている。

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● 21世紀の100年@

 これから100年間に起きることは大きく以下の3つである。
 ここで細かい説明をするとこのサイトでは収まりきらなくなるので大まかな
 流れについて順に述べていく。

   @ 
神なる教えの完成
   A 
聖典をもつ宗教の揺らぎ(キリスト教徒の揺らぎ=西欧諸国)
   B 
ユダヤ的世界観の揺らぎ(資本主義の衰退を含む)

 21世紀の出来事で特記すべきことは、神なる教えが降りることである。
 古代の人々が真に何を信じていたかの教えが降りるのである。
 そうしてひとまず概ね、完成することになる。
 仏の教えが釈尊によって全て降ろされたように、神なる教えも概ね、すべてが
 降ろされるようになる。
 古代文明に生きた人々が、なにゆえあれ程神々と共にいれたのかを含めて
 多くの教えが降りることとなる。

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 ● 21世紀の100年A

 もちろん神なるものが降りてくれば、事は簡単にすまない。
 神なる教えがこの大地に降り始めた時に、その中心であり多くの教えが
 降りた大本では国家権力による
2度の大弾圧を受けた。
 大本の建物は悉く破壊された。
 また出口王仁三郎をはじめ多くの大本信者が捕まり牢獄に捕らえられた。

       
        
       
   大本(教)の施設は、徹底的に破壊され、信者は警察に捕まった

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 ● 21世紀の100年B

 現在、世界で圧倒的な勢力を有するのは聖典をもつ宗教である。
 紀元前の世界、それも紀元前12世紀よりも前の世紀では、圧倒的に太古の
 神々が優勢であった。聖典ヴェーダ(この時代は口伝)は登場してはいたが
 それでも世界各地では太古の神々が健在であった。

 なれど文明の中で暮らす人類には聖典の宗教は必要不可欠になっていった。
 むろん聖典の宗教が、人々にあまりに深く入り込みすぎると、文明の停滞を
 招いたりもした。時の為政者はそれらのバランスを取りながら進んできた。
 人類は、聖典をもつ宗教を必要とし、かつそれと距離を取る方法も覚えた。
 その聖典をもつ宗教に変わって、再び神なる教えが入り込めば、人々に
 不安を与えることとなる。

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● 動揺するキリスト教

 神なる教えが、例えどれだけ優れていたとしても、それが神なる教えであれば
 あるほど、文明に生きる人々は、どこかに潜在的な恐れを感じる。
 聖典の教えを手放すことに恐怖を感じているのだ。

 神なる教えの復活は、聖典をもつ宗教に影響を与える。
 その中でもキリスト教圏である西欧諸国の国々に影響を与えることになる。
 というのはキリスト教の内部には、仏教的な要素とユダヤ的な要素が混在する
 為にである。
 キリスト教は確かに旧約聖書を受け継ぐことでユダヤ的な要素を持っている。
 なれどイエスはまさに仏教的な教えを広めたのである。

 キリスト教には、常に
相矛盾する衝動を内部に宿している。
 2つの要素の1つ、
ユダヤ的な要素が、神なる教えの登場に強く反応する

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● 21世紀の西洋社会の変化

 21世紀後半から西欧諸国の多くが、神なる教えが入ることで、キリスト教の
 中からユダヤ的な世界観が取り除く動きが起こる。
 そうしてだからこそキリスト教はもう1つの要素の仏教的な面が前面に
 出てくることになる。これは神なる教えが登場してきたからではあるが
 また科学の発展がそれを後押しする。

 科学が量子世界の探求に入れば入るほど、多くの科学者がインドの教えに
 注目せざるおえない。既に数千年前に、この世界の実相についてどこよりも
 深く語られているからだ。

 西洋社会では、まず科学者を中心とした知識人の多くが、インドの教えである
 ヒンデューや仏教の教えに傾き始める。特に仏教はイエス以後のキリスト教と
 共通な教えがある為に、西洋の科学者には特に好まれる事になる。
 これらの科学者の頭から、絶対者の教え中心にするユダヤ的世界観は
 消えていくことになる。

 西欧諸国では知識人の間にインドの教えが続々と入り始めそれが、いずれ
 民衆の間にも広く広がることになる。キリスト教もイエス以後の仏教的な
 面を強く出し始めることになる。

 もちろん、ユダヤ的世界観に愛着を持っている人々は、その動きを牽制し
 対抗する為に、ユダヤ的世界観を主張する者達も増えよう。

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 ● ユダヤはまったく変わらない

 21世紀後半、神なる教えが入り込んだヨーロッパでは、キリスト教から
 ユダヤ的な要素を取り除く動きが起こる。
 その結果、キリスト教に含まれる仏教的な面が前面にでて、そこに一時的に
 インド的な教えが流れ込み、人々は影響されることになる。

 21世紀後半の西欧諸国は、いったんはインドの教えの影響が強くでるが
 ユダヤはまったく変わらない。
 ユダヤは頑なに自分達の教えを守ることになる。

 ユダヤ人が、ユダヤ的世界観から離れるという事はどれほどの衝撃をユダヤ人
 に与えることだろうか。数千年、ユダヤ人はユダヤ的世界観と共にある。
 ユダヤ人が、ユダヤ的世界観と離れ始めるのは22世紀に入ってからである。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金のユダヤと日本
        『 稲穂黄金の未来のユダヤ


 
● ユダヤの不安=21世紀

 ユダヤの民は、自分達の信じる神々が聖典の宗教に、飲み込まれるやも
 知れぬのを恐れていた。
 特に紀元前6世紀に起きたバビロン捕囚による精神的ショックは甚大であった。

 ユダヤの宗教的指導者は、ユダヤの神話物語を、聖典をもつ宗教のごとく
 に作り変える必要に迫れられた。
 彼らの神話物語は、旧約聖書とし作り変えられた。
 聖典の宗教に負けないように一神教化して、さらに絶対神の衣をまとわせた。

 それゆえユダヤがその絶対者の衣を脱ぐこと容易ではない。 
 多くのユダヤの民から強烈な反発があるだろう。
 西欧諸国が脱ユダヤ的世界観で進む姿は、ユダヤに不安を与える。

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● 22世紀の100年

 22世紀に起こる代表的な動きは以下の3つである。

   @ 
神なるものの復活(=太古の神々の復活)
   A 
ユダヤ人とユダヤ的世界観の別離(=絶対者の衣を脱ぐ)
   B 
地球全体を襲うユダヤ的世界観の猛威

 世界中において3000年前に姿を消した太古の神々が人々から再び、大切に
 される時代となる。
 21世紀後半の科学の発展が自然の奥深さ、深遠さを人類に示し、多くの人々
 は自然崇拝的にもなる。
 自然の奥にある生きんとする意志の肯定にも価値をおく時代となる。
 もちろん聖典をもつ宗教もなくなったりはしない。聖典をもつ宗教も健在である。

 この時代になりユダヤの中からも神なる教えに反応する者達が多くでる。
 それを世界情勢が後押しし、なおかつユダヤ的世界観から生まれた資本主義
 が見る見る内に衰退していくからである。
 22世紀になると資本主義の衰退は、目に見えるようになる。

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● 資本主義の衰退と消滅 = 22世紀

 資本主義の衰退は、実は21世紀中盤から始まるのであるが21世紀中は
 資本主義が衰退していることは目に見えなかった。
 反対に資本主義は、その本性をあらわにするように21世紀はその激しさを
 どこまでも見せていた。なれどその裏側では衰退が始まっていた。

 資本主義の衰退が目に見えるのは22世紀になってからである。
 資本主義の衰退が始まる21世紀中盤、超システム化、ロボット化、
 国家のGoogle化によって、人間の仕事の多くがロボットによってシステム管理
 され、人間の無意識の情報がロボットによって吸い上げられる時代がくる。
 
 もちろんそれだけでは資本主義は衰退しない。
 その条件にあと1つ加わると資本主義は衰退を始めるのだ。

 
全人類が消費するエネルギーを全て、自然エネルギーで充分な程
 まかなえる時を持って資本主義の衰退が始まる。


 もちろん、先ほどもいったように21世紀中は、資本主義の衰退は目には
 見えない。またその衰退を感じ取ったように資本主義はその本性をあらわに
 して、その競争は激化する。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の社会学者へ
        『 稲穂黄金の未来の資本主義
        『 稲穂黄金の未来の経済学者へ



 
● 絶対者の衣を脱ぐとき = 22世紀
 
 22世紀になるとユダヤ人々は、神なる教えに反応する。
 ユダヤの人々の多くは、紀元前の昔に自分達のご先祖が、ユダヤの神々に
 
絶対者の衣を被せたことを意識する。
 そうしてその衣を脱ぐ時が近いことを予感する。

 思えばユダヤ人とユダヤ的世界観は数千年の長きに共にいた。
 お互いに離れることなど考えられなかった。
 ユダヤ的世界観を共有することで、ユダヤは祖国を失ってもユダヤとして
 1つとなれた。だが既にユダヤ人はユダヤ人の国家を得た。

 22世紀のこの日の為に、20世紀にユダヤにユダヤ人の国家を取り戻させたと
 思わせるごとくに、ユダヤは22世紀に大きく変化する。
 絶対者の衣を脱ぎ、一神教から太古の神々を祭る多神教へと変化する。
 時は至り、神なる教えが世界に広まったのである。
 彼らには安住できる国家もあった。
 もはや
絶対者の化粧は不要となった。

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● 来たるべく大波

 古代において、自然崇拝を掲げていたユダヤは、神を絶対化させることで
 生きんとする意志を肯定することを守ろうとした。
 それにより確かにユダヤの教えは、聖典の宗教に飲み込まれなずにすんだ。

 しかし、絶対者の衣をまとった事は、大きな問題を発生させた。
 絶対者の教えが一人歩きし始めた。
 ユダヤ的世界観は、すぐさま迷妄と愚鈍な者達のお気に入りとなった。
 ユダヤ的世界観に触れた者の中からは無慈悲で残酷な者達が生まれた。
 様々な悲惨な出来事がこの地上に発生した。

 ユダヤ的世界観が世界中を駆け回る。
 世界の多くの人々から、ユダヤ的世界観が離れれば離れるほど、ユダヤ的
 世界観は居場所を求めて世界を駆け回るのだ。
 居場所を失えば失うほど、ユダヤ的世界観はもとあった場所へ返る。
 つまり
ユダヤのもとに戻る事になる。

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● 事はそう簡単ではない

 神なるものが降ろされれば降ろされるほど、人々も神なるものを無意識に
 思い出すが、同時に聖典をもつ宗教から離れる事への不安が増大する。
 
 人類は文明の発達を選んだからこそ、太古の神々を捨て、聖典の宗教を
 選んできた。それが本意でないと理解していても人類は聖典の宗教を選んだ。
 紀元前10世紀頃になると世界中の太古の神々は次々と消滅していった。
 確かに文明は発達した。科学は発達した。学問も発達した。
 社会制度は様々な仕組みにより整えられるようになった。

 3000年を経て、世界各地から消滅したと思われた神々が、再び人類の前に
 現われる。この事は言うは簡単であるが、その影響たるやすさまじい。
 特にこの変化に一番影響を受けるのは、聖典をもつ宗教ではあるが
 聖典を持ちながら神なるものをその内部に包括してきた一神教である。

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● ユダヤ的世界観の襲撃 = 22世紀

 21世紀後半から西欧諸国から離れるユダヤ的世界観。
 22世紀になると、ユダヤ自身からユダヤ的世界観が離れる始める。
 これが世界に激動をもたらす。

 ユダヤ的世界観は、ユダヤのもとからも去らねばならない。
 ユダヤ的世界観は、居場所を求めて世界を彷徨う。
 ユダヤ的世界観は、別に神や仏が生んだものではない。
 人類が生み出したものである。
 人類が生み出したものの代償は、人類が支払わされる事になる。

 ユダヤ的世界観は、悪鬼のごとくになり22世紀の人類に襲い掛かる。
 既にユダヤ的世界観は、世界を一周したので、多くの地域ではある程度
 ユダヤ的世界観に対する免疫は養われてはいる。
 なれどユダヤ的世界観の攻撃を防ぎきる事は容易ではない。
 人間は迷妄と愚鈍にすぐに近づくからだ。そうなると簡単に頭の中にユダヤ的
 世界観が入り込む。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来のユダヤへ
        『 稲穂黄金のユダヤと日本


 
● 神々と生きている者達の出番

 とてつもない大きな波が22世紀の人類に押し寄せる事になる。
 因縁因果、善因善果、悪因悪果である。
 人類が生み出したものは、また人類によって解決する必要に迫られる。

 文明に生きる人々にとって必須の教え(=聖典の宗教)が神なるもの登場で
 脇に控えることになる。
 
 21世紀において人々は神なる教えを降ろす超人を希求するが、22世紀に
 なると神なるものを希求する。22世紀において”神は復活する”。

 ”神の復活”は、人類にさらなる高い要求を求めることになる。
 古代の英明な人々は、神なるものを守りながら、文明を発達できたのは、
 人間自身にそれだけ力を保有していたからだ。
 22世紀の人々が、古代の文明人の位置まで辿りつけえる保証はない。

 だからこそ、現代まで太古の神々と共に生きてきた日本の出番であり、
 日本の有り様が世界の人々の模範となりうる。

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● 今のままでは飲み込まれる

 22世紀において、世界中の人々のユダヤ的世界観からの離別は、
 すさまじい大波をもたらし、人間社会を揺さぶる。
 留め金でなんとか止められていた人間の悪なるものが噴出する可能性すら
 大いにある。さまざまな因果が交じり合い、何の原因でそれが発生したのかさえ
 わからない問題が頻発し、人類は苦しむやも知れぬ。

 なれど、これら出来事は、神々の仕打ちではない。
 人間から生まれた問題である。
 人間の内に隠れていた問題が、目に見える形で現れたに過ぎない。

 現代の日本が、このまま22世紀に突入すれば、大波に簡単に飲み込まれる。
 現代の日本では多くの学問は死に絶えた。
 特に戦後の日本においては、文学は地に落ち、芸術は貧弱である。
 こんな状況でユダヤ的世界観の大波をくらえば、ひとたまりもない。
 もちろん22世紀まで100年はあるが、それでも時間はいくらあってもたりない。

 日本に真の学問を起こさせ、それを定着させることが必要でなる。
 哲学、数学、科学、社会学、経済学、心理学、あらゆる学問の復興が21世紀
 には求められる。ユダヤ的世界観は、決して甘く見てはいけない。
 これから100年、日本に生まれた探究者は、備えることが必要である。

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● ユダヤと共にある日本

 世界中を駆け巡るユダヤ的世界観は、居場所を探して世界を駆け巡る。
 それらのユダヤ的世界観は、ユダヤを求めて一目散に流れ込むだろう。
 そうなるとユダヤも唯ではすまない。

 なれどユダヤはこれに恐れることはない。
 ユダヤに降りかかる炎は、日本が振り払う。
 ユダヤを全力で守るのは、日本の役割である。

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● 21世紀に全てを味わう日本@

 22世紀になって、ユダヤの人々の気持ちをわかり、さらに押し寄せる
 ユダヤ的世界観を振り払うのは日本の役目となる。

 その為にこそ
20〜21世紀日本の苦しみがある。
 日本は敗戦により、神国日本を失った。
 日本人としての誇りも同時に失った。
 古来より数千年、神々と仏と共にあった日本はことごとく壊された。

 日本の先人を尊ぶこともアメリカのGHQにより禁止された。
 GHQに媚を売るマスコミの者達が、戦前の日本が真っ暗闇だといい始めた。
 日本解体を狙った共産主義者や社会主義者が、表にしゃしゃり出てきて
 無教養ぶりを見せ付けた。
 人間的洞察がまるでない共産主義者、社会主義に共鳴する、自称知識人が
 論壇を飾り、大学の教師になるものもいた。
 戦後日本の大学のレベルは見る見る落ちて、特に文科系の学問は失墜した。

 日本人は、日本人である
誇りを失い連帯感を失った
 人々は、何か連帯感を持てるものにすがった。
 それを戦後の多くの会社が連帯感を提供し、そこに吸収した。
 だからこそ、戦後日本人は会社人間となった。

 会社は連帯感を醸し出し、人々は夜の遅くまで会社に残り続けた。
 会社で様々な催しがなされた。運動会や旅行、勉強会など様々なものが催し
 が会社の主催で開催されrた。
 今は貧しくともまじめに働いていれば給料が増えて洗濯機やテレビを買う事を
 心待ちにした時代であった。

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 ● 21世紀に全てを味わう日本A

 経済的成長の裏で失われるものに、目をつむりひたすら会社勤めに励んだ。
 会社の経営者も、その連帯感を利用して、様々に言い放った。
 ”君達の将来は保証する!”
 ”会社勤めはあなたを人間的に成長させる!”

 なんの根拠でそう言っているのかわからないが、そんな事が多々言われた。
 明日は今日よりも豊か!を合言葉に日本国民は邁進した。
 価値観の喪失の現実から目を背けるように、日本人は経済的発展に邁進した。

 なれどその経済の成長が止まった。
 21世紀に入り、徐々に停滞し始めた。
 明日の給料は、今日よりも下がる時代に突入した。
 会社自体が来年には消えてしまう時代となった。
 正社員は、契約社員と派遣社員となり、中間管理職はリストラの対象となった。

 仕事ばかりで家庭を顧みなかったツケが回ってきた。
 定年退職すると同時に、妻から離婚を言い渡された。
 会社から離れた時に、自分は何ものでもなくなった。
 自分がいないと会社はうまくいかないと考えていた社長は、引退しても
 会社は動いていた。

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 ● 21世紀に全てを味わう日本B

 経済的成長に浮かれて気付かないだけで、あらゆる所に人々の連帯感の無さ
 が露呈した。お年寄りは、誰にも知られることなく息を引き取った。
 半年もしてようやくその死が人々に知れる時代となった。
 多くのお年寄りが孤独死を迎え、またその孤独は若年層にも入り込んだ。
 戦後以来、この国はずっと
無縁社会であった。
 それが単に事が表面化してきたに過ぎない。

 連帯意識を育む場所さえなく、その良さを味わった経験もない若者は、
 ユラユラ揺らめく浮き草のようにただ黙って漂い、ネットカフェを転々とする
 日々が続いた。連帯感をもたらす会社から負われた多くの人々が行くあても
 なく社会を彷徨う時代が到来した。

 それでも日本人は、自分達が何を失ったかを直視することはなかった。
 心から奮い立たせるものがないのだ。勇気を失ったのである。

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● 徹底的に追い詰められる日本

 日本人の
苦しみはこれからである。
 21世紀のこれから訪れるのだ。

 日本人1人1人がわかるまで、この国は
徹底的に追い詰められる
 そう徹底的にだ。
 日本人が何を失い、何から目を背けているのかを国民の1人1人が理解する
 まで徹底的にこの国は追い詰められる。

 21世紀のこの100年、日本は本当の苦しさを知る。
 その経験を経て、それを
乗り越えてこそ日本は蘇ることが出来る。
 戦前の日本が持っていたものを取り戻す事ができる。
 もちろん容易ではない。日本国が空中分解して崩壊するやも知れぬ。

 なれどそれを成し遂げねば、22世紀のユダヤの苦しみを癒す事はできない。
 日本が乗り越えた経験こそが、22世紀のユダヤの苦境を救うのだ。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の日本へ
        『 稲穂黄金の未来の国家
        『 稲穂黄金の未来の社会学者


 
● ユダヤと共にある日本@

 21世紀に神なるものが復活し、西欧諸国の人々は神なる教えの登場に
 強い衝撃を受け、変化する。
 22世紀になると、当のユダヤ自身も影響から無縁ではいられなくなる。

 そうして22世紀のある時期に、ユダヤは絶対者の衣を脱ぎ捨て、太古のユダヤ
 の民が信じたように、多神教へと変化する。
 本当の神なる教えに戻るのだ。

 なれどこの変化は、ユダヤの民に絶大な影響を及ぼす。
 数千年も一緒であったユダヤの教えを手放す必要に迫られた彼らユダヤの
 人々の不安と苦しみは尋常ではない。
 ユダヤとしての連帯意識も一時は、ズタズタに切り離されよう。

 彼らの衝撃を和らげ、それを癒し、ユダヤとして連帯感を取り戻せるように
 守り導く役目が日本にはある。
 その役目ができるのは、それを味わった者だけである。

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 ● ユダヤと共にある日本A

 20世紀の大東亜戦争の敗戦は、この国の人々の連帯意識をズタズタにした。
 日本人と何であるか、日本とは何かが理解できなくなった。
 擬似的に連帯感を創出した会社組織も急激に変化し、日本人の連帯意識を
 育む場所ではなくなっていった。

 21世紀に訪れる日本人の不安はMAXへと高まる。
 多くを失い、自分達が何者であるかさえ失った日本人。
 神々と共にいた日本人は確かに消え去った。

 しかし、だからこそ22世紀のユダヤを救えるのだ。
 その痛みが誰よりもわかるからこそ、22世紀にユダヤ的世界観と分離
 することになる、ユダヤ人の魂の叫びに気付き、その不安を解消する力を
 提供し、その痛みを分かち合うこが可能となるのだ。

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● 21世紀の日本の真の復活@

 22世紀に世界中を襲う大波に対して世界中の国家は大打撃を受けるだろう。
 あの偉大な古代エジプトであっても、聖典をもつ宗教の流入に危機を感じ
 アメンホテプ4世を登場させた。彼は一神教化することで太古の神々を守った。

 今度は反対に、聖典をもつ宗教の場所から太古の神々が復活する。
 世界中の人々の不安を増大し、さらに解き放たれたユダヤ的世界観と相まって
 世界中は混乱と陥るやも知れぬ。

 それを真に理解し、見通し、対処できるのは、神なる教えと仏の教えを共存
 させ、また自国の誇りを失い、神を失った辛さを理解する者達だけである。
 だからこそ日本はこの21世紀に、日本がまず復活しなければならない。

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 ● 21世紀の日本の真の復活A

 ここで意味する復活というのは、経済大国として復活するというのではない。
 文化大国として復活するのでもない。軍事大国の復活でもない。

 日本人が本来そうであったように、その姿に復活するのである。
 あらゆる奥に神につながるものを見ていたように。
 仏の教えがこの大地のあらゆる所に降りているのを信じたように。

 21世紀の現在、この日本からは、多くの神々が姿を消した。
 神がいないところ、仏も現れることができない。

 日本の人々が神々を信じない、神々は存在しないのだ。
 日本の人々が仏を見ようとしないから、仏が存在しないのだ。 

 その国の民が、そこに神々がいると真剣に思うからこそ神々は現れるのだ。
 古代ギリシャ人はまさに神と共にいた。
 だからこそあれ程、美しい彫刻や建物、文学を作ることが可能であった。
 人間の力だけではない。

 同様に古代ローマの都市があれ程美しいのも古代ローマ人が神々と共にいて
 それを彼らが信じたからである。
 アポロンの神が、ゼウスの神が、たくさんの神々が彼らと共にあった。

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● 未来を暗示するカゴメ歌@

 未来におけるユダヤと日本の歩みは既に200年近く前の日本の人々に
 予感されていた。江戸時代末期から日本全国にはやったカゴメ歌。

 『 カゴメ〜、カゴメ〜。籠の中の鳥は、いついつ出やる。
   夜明けの晩に鶴と亀がすべった。後ろの正面、だ〜れ
 』

 これは日本とユダヤの歩みを述べている。
 世界が闇に包まれたときに、神なる民(ユダヤの系列)が出会い、世界の国々
 の模範となって世界を統べるという意味である。
 出会うのはユダヤと日本である。

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● 未来を暗示するカゴメ歌A

 カゴメとは、カゴメ紋をあらわしユダヤのマークを象徴する。
 夜明けの晩は、辺りがもっとも暗くなっている時であり暗い時代を象徴する。
 世界が暗くなった時に、ユダヤと日本が出会い世界の模範となる。という意味
 がこめられている。

 なれど鶴と亀がすべったは、2通りの意味がある。
 統べるであり滑るである。
 ユダヤと日本が共に滑り落ちることも十分に有りうる。
 まったく予断を許さない。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来のユダヤへ
        『 稲穂黄金のユダヤと日本


 
● 神なる教えと体現者@

 神なる教えが登場の対する予兆は、日本各地にあった。
 江戸時代末期、後に新宗教と呼ばれるものが続々と創設され始めた。

 その中で特に代表的なもので天理教、黒住教、如来教、金光教などがある。
 
如来教きの    (1756〜1826年)
 
黒住教黒住宗忠 (1780〜1850年)
 
天理教中山みき (1798〜1887年)
 
金光教赤沢文治 (1814〜1883年)

 そうしてそ後に大本(教)の出口なおが登場した。
 お筆先によって神なる世に始まりが告げられた。

 大本(教)に、世界第一等の神霊家が現われた。
 出口王仁三郎の登場である。
 彼によって多くの神の教えが降りることとなった。

       
        出口王仁三郎が述べた内容を書き写すお弟子
        これが、あの
霊界物語となる。

 同時にその神なる教えを妨害しようと、ひたひたとユダヤ的世界観が
 入り込んできた。この時代は世界中の人々が不安定となり不安を感じた。
 日本人の多くもまた素晴らしい物がうまれると同時に、不安を感じていた。

 神なる教えの登場を防ぐ為に、ユダヤ的世界観は日本に入り込んだ。
 そうして迷妄と愚鈍の者達の頭に取り付いた。
 そうして悪鬼ごとくに暴れ周り、日本なるものを体現する出口王仁三郎と
 大本(教)に徹底的な弾圧を加えた。
 日本なるものがまさに潰されようとしていた。
 大本(教)は2度にわたる弾圧により、建物は徹底的に破壊された。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来のユダヤへ
        『 稲穂黄金の出口王仁三郎


 
● 神なる教えと体現者A

 出口王仁三郎によって多くの神なる教えが降ろされた。
 それと同時にあらゆる悪鬼が大本を襲った。
 国家警察に目の敵にされ、大本(教)は弾圧を受け施設は徹底的に破壊された。
 多くの無実の大本信者が捕まり獄につながれた。

 出口王仁三郎の後継者であり、大本の精神的支柱であった出口日出麿が
 目をつけられて、徹底的な拷問が日夜続けられた。
 日出麿の叫び声が鳴り響いた。

 大本を襲う悪鬼が何であるかを出口王仁三郎は全てをを理解していた。
 これがユダヤ的世界観からもたらされた悪鬼であることを。

 この悪鬼に大して
出口日出麿は、攻撃をせずに受け容れた。
 
己の中にこの悪神を封じ込めたのだ。

 
                 
出口日出麿(でぐちひでまる

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来のユダヤへ
        『 稲穂黄金の出口王仁三郎


 
● 愛すべき日出麿

 ドイツでは、ユダヤ的世界観の流入に気付いたからこそ、ドイツ国民は
 ヒトラーを支持し、反ユダヤへと傾いたのである。
 そうして、ヒトラーによって多くのユダヤ人は虐殺された。
 真に悲しむべき出来事であった。
 世界中の人々がユダヤ人に真に同情する。

 またそれほどまでに反ユダヤに傾きざるえなかったドイツにも真に同情する。
 ドイツもまたユダヤ的世界観に追い詰められていたのである。

 ユダヤ的世界観が日本に流入した時に、日本もユダヤ的世界観に対抗する為
 にドイツと同様に反ユダヤに傾く可能性も十分にあった。

 なれどそのような悲劇は起きなかった。
 出口日出麿がそのユダヤ的悪を、その体内に押し留めたからである。
 出口日出麿がいなければ、ユダヤ的悪に対抗する為に、日本は狂気となり
 ユダヤを攻撃したことだろう。 もし仮に日本とユダヤが殺しあう事になれば
 天の神々は、その事について絶対に許さないだろう。

 出口日出麿がいたからこそ、それが防げた。
 日出麿こそが
ユダヤにとっての真のイエスなのだ。
 まさに愛にあふれた愛すべき者が出口日出麿である。

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● 神なる教えを体現する者達@

 
神の教えを降ろした出口王仁三郎

 王仁三郎の後を引き継ぎ神仙の世界に生きた
出口日出麿
 ユダヤ的悪を封じ込め、日本とユダヤが憎しみあい争うことを防いだ日出麿は
 神仙の世界に生きた。まさに愛すべき日出麿である。

   
出口王仁三郎の登場により日本に神なる教えが立て続けに降りてきた
    
      
出口王仁三郎

 もちろんその他にもそれぞれ、それぞれ神なる教えを降ろした者はいるが
 それらの教えはまだまだ未熟ではあった。
 出口王仁三郎こそが圧倒的であり、神なる教えのほとんどはっ彼からでていた。

 王仁三郎の神なる教えに触れた弟子の多くも宗教団体を創設した。
 ある程度の教えを降ろせるものもいれば、ほとんど降ろせないものまで
 多種多様である。
 王仁三郎の弟子の中で、優れている者といえば
岡本天明であり
 
岡田茂吉などがいた。
 岡本天命は日月神事を残してその名を知られ、また岡田茂吉は世界救世教
 の創始者として知られる。
 その岡田茂吉から学んだ者で、真光の
岡田光玉が出た。

 岡本天明も岡田茂吉も岡田光玉も優れた者たちではあったが
 出口王仁三郎と比べれば、まだまだであった。

 出口王仁三郎なき後、神なる教えはこれらの者達にいくらかずつ分かれて
 降ろされはしたが、神なる教えを大成するものの登場を待った。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の出口王仁三郎


 
● 神なる教えを体現する者達A

 そうして
神なる教えを大成する者が現われた。

 ワールドメイトの
深見東州さんである。
 東州さんの教えが21世紀後半にヨーロッパに広がり、太古の神々の登場に
 合わせて人々の教えの土台となって入っていく。

 
稲穂黄金は、自分に甘く、他人に厳しいが、深見東州さんだけは別格中の別格と言える。
 
東州さんは、21世紀の世紀を代表して他の世紀の偉人と切磋琢磨、研鑽しているのだ。

   
                                     
深見東州さん

 21世紀中に、ユダヤの民の中にも東州さんの教えが入っていくが、ユダヤの
 多くの人々の態度は、いまだに頑なである。
 なれど22世紀のある時期になると状況は一変する。

 太古の神々が現われた事を感じ取った多くのユダヤ人が絶対者の衣を
 脱いでいく。同時に東州さんの教えが
すっと入っていく事になる。

 深見東州さんに降ろされる神の教えが深ければ深いほど、広ければ広いほど
 22世紀以後の神々の教えは長く続き、文明の発展と共に残り続ける。

 深見東州さんは、その深く広い教えを降ろす為に、日々に研鑽する。
 人類がいまだ足を踏み入れたことのない前人未到の領域へと入っている。
 近代に出口王仁三郎、現代に深見東州という偉大な者達がこの日本に
 生まれた事は奇跡と言えるのだ。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金のユダヤと日本
        『 稲穂黄金の深見東州


 
● 予感をもっていた者@
 
 このような神なる教えが今後、続々と降りていくことを無意識にでも感じた者達
 が世界各地に世界にも少数ながらいる。
 その1人こそが
ニーチェである。

 青年期のニーチェは、資本主義下が西欧諸国を様相をすっかり変えていく事
 に強烈な印象を持った。そして資本主義がユダヤ的世界観から発しているのも
 明確に意識はしなかったが何かを感じ取っていた。
 
       この時代、もっとも鋭敏なニーチェは感じ取っていた。
       
明確な意識はなかったが、神なる教えがもたらされる事を。
           
            
フリードリヒ・ニーチェ

 この資本主義がいずれ世界を飲み込み、多くの人々が資本主義の上での
 価値観で生きる時代になった時にこそ、人々は人間の本来の生き方を求める
 だろう、そうして未来に人々の意識を変革するほどの超人が現われることを
 予感した。それこそがニーチェのいう
超人である。


 ● 予感をもっていた者A

 そしてその超人はなんと、
現在の日本にこそ存在している!

 その超人の名は
深見東州
 深見東州さんこそがニーチェが予感した超人である。

 ニーチェがこの超人を登場させた物語が『
ツァラトゥストラはかく語りき』。
 そしてこの
ツァラトゥストラこそが、あのザラスシュトラの事である。
 
ユダヤ教の母体となったゾロアスター教の開祖である。

 ニーチェはこれらの事を無意識にでも感じとっていたからこそ、
 神の教えを守り続けるユダヤに密接に関連したザラスシュトラを物語に登場
 させ、神の教えを展開する超人像と重ねて表現したのだ。

 22世紀において世界各地で復活する太古の神々。
 それらの神々の教えの根本の教えを続々と降ろす深見東州さん。
 22世紀のその時になれば、多くの人々は、深見東州さんの存在の意味に
 気付くだろう。

  
21世紀の現代に圧倒的レベルにある東州さん
            
        
 深見東州さん                ザラスシュトラ
                            
『古代文明ビジュアルファイル』より

 もちろんニーチェにはそのような明確な意識はなかった。
 なれどニーチェの並々ならぬ洞察力がそれらを感知して、この小説を書かせた。
 もちろんニーチェの他にも、神の教えが世に広がることを感じ取った者はいる。
 それをここで語ると長くなるので以下のサイトでまとめておく。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金のユダヤと日本
        『 稲穂黄金の深見東州
        『 稲穂黄金の出口王仁三郎


 
● 雛形論と日本@

 この世界には、太古の神々を信じ生きる者達がいて、また聖典の宗教と共に
 生きる者達もいる。地域ごとに信じるものがそれぞれ異なる。
 自分達の神が正しいと、太古の昔から人々は争ってきた。

 しかし、この日本の中に、その両方が存在してる。
 つまり神と仏が習合せずに存在している。
 もちろん民衆の間では神仏が集合した。
 なれども神道にはおいては神なる教えが残った。
 また仏教においては釈尊の真髄がそのまま残っている。

 神道そのものが仏教に影響を受けていることもなく、また仏教も教えの真髄を
 失うことなく現代まで受け継がれてきた。
 神道も仏教もその形は変化はしているが、その根本のところが生きている。
 だからこそ他国では仏教が滅びたが、この日本では滅ぶことはない。
 日本において神道は神道らしく、仏教は仏教らしく存在できている。

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● 雛形論と日本A

 このことは22世紀の世界において、世界各地で太古の神々が復活した時に
 とても良い参考となる。
 人類の文明に影響を与え続けたのは生きんとする意志の肯定と否定である。
 世界の歴史はまさにそれに影響され続けてきた。
 そして生きんとする意志の肯定と否定は、この日本で両立している。
 日本は、世界の縮図とさえ言える。

 大本(教)が述べてきた雛形論はまさにそれゆえなのだ。
 『 大本(教)で起こる事は日本で起き、日本で起こる事は世界で起こる 』

 これは日本の中に神と仏がいるように、大本の中にも神と仏の教えが
 降りているということを表す。
 世界の文明の歴史こそは、人間の生きんとする意志の肯定と否定との
 2つのバランスである。神と仏とのバランスとも言える。
 これに影響されて国家は揺さぶられてきて文明も揺さぶられた。
 
 その2つが日本にあるのだから、日本が歩んだ道が世界に現われるよりも
 単純化された形で起きるだろうという意味である。
 さらに言えば、神と仏の教えが大本に大本に下りているから、大本が歩む道
 が日本に現われるよりも先に単純化した形で起きるだろうということだ。

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● 雛形論が成り立つ最低条件

 ただし敢えていえば、雛形論が成り立つのは大本(教)に出口王仁三郎が
 いた時に、その時に限って最大であった。

 なぜならば、王仁三郎が神と仏の教えに深く精通し、その教えを降ろせて
 その2つが両立したからこそ雛形論が存在できるのである。
 王仁三郎なき後は、それを出口日出麿が引き継いだのであるが、王仁三郎
 ほどの教えを降ろすのは容易では事は確かである。
 もちろん出口日出麿は、真に優れた神霊家ではある。
 
 神と仏の教えを幾万も降ろせる人がいなければ、その力量がなければ
 神と仏が両立するどころから、神も仏もいないことになる。
 
神や仏の教えが降ろせなければ、神と仏の
 両立なども考えられずに雛形とはなり得ない。
 
神と仏の教えを降ろすことは、雛形論の必須の前提条件である。

 ここでは、どこの宗教団体に神や仏の教えが降りているとか、それゆえに
 雛形論が成り立つとか、そんなことを言いたいのではない。
 それらについては、稲穂黄金は特別、語ることはない。

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● 23世紀の100年@

 もし仮に21世紀に日本が本来の日本に蘇り、その経験から得た智恵を
 ユダヤの民と分かち合い共に協力し、22世紀の世界各地で巻き起こる人々
 の不安と、ユダヤ的世界観の猛威を防ぐことができたならば、23世紀は
 人類にとって、かけがえのない時代と呼ばれるだろう。
 黄金時代を築くことが可能となる。それが成し遂げればの話ではあるが。
 
 21世紀、22世紀の日本とユダヤと世界がそれらを成し遂げるならば
 23世紀の世界に起こる重要な出来事は以下の2つである。

   @ 
太古の神々と最先端の文明の融合
   A 
人間に対する最大限の理解

 文明とは相性が良くなかった太古の神々と文明とが共存する時代となる。
 人々は自然の奥に神なるものを感じ、世界中の人々が神々に感謝を捧げる
 時代となる。もちろん各自が自由に、聖典をもつ宗教を信仰しているだろう。
 
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● 23世紀の100年A

 さらに23世紀の驚くべきことは、人間その者に対する理解が半端ではない事
 である。もちろん21世紀後半から始まる科学の大発展と、進歩した脳科学に
 よって人間の能力と性質を理解して、人間はその秘めたる能力を全開にする。
 もちろん芸術が人間にどのような意味を与えるのかさえ、脳科学はある一定
 の解釈を与える時代である。

 紀元前12世紀以前は、世界各地の地域で人々は神々を祭った。
 文明の発展と共に神々を捨てざるえない地域もあった。

 だがその中で神々を守りながら偉大な国家を築いた地域もあった。
 彼らは美を、ことのほか愛した。芸術の技によって苦悩を昇華した。
 これらの国家は、後の人々にもっとも偉大な文明と呼ばれた。
 これらの古代文明に負けないものを、23世紀の人類はもたらせるだろうか?
 再び、美しい花々をこの大地に咲かせることはできるのだろうか?

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