神と文明  生きんとする意志の肯定と否定こそが文明に多大な影響を及ぼした。
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大企業の経営者の話は聞かない方が良い16の理由   
巷では経営者による人生話の本が多く出版されている。しかしこれらの話を鵜呑みにするのは危険だ。眉に唾をつけて聞く必要がある。
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神と文明
人間が作り出した文明。人々は、自然の生きんとする意志を肯定するか否定する
かの間で揺れ動いた。人間が揺れ動けば文明も揺れ動く。
文明は、まさに人間により生まれ、人間により支えられた。

 
● 文明の大潮流

 世には多くの文明論がある。
 だが文明論を語る上でもっとも大切な視点がある。
 それは、
生きんとする意志の観点である。

 具体的に言えば、
生きんとする意志の肯定と否定とにある。 

 世界中にある国家、文明はまさに、生きんとする意志に影響を受けてきた。
 なぜならば、生きんとする意志こそが、人間本来に関わるからである。

 文明は、人間によってこそ生まれ、人間にこそ支えられる。
 だからこそ人間が生きんとする意志を肯定するか、否定するかによって
 文明はとてつもない影響を受け続けてきた。

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● 神と仏と文明@

 生きんとする意志とは、自然の奥に存在する意志の事である。
 生きんとする意志は、太古から人々に神なるものとして敬われ畏れられ、
 崇拝の対象となってきた。
 生きんとする意志を肯定するとは、つまりは神なるものを肯定することである。
 
 それでは生きんとする意志の否定とは何のことであろうか?
 意志そのものを否定することではない。
 生きんとする意志の否定にこそ
救いがあり、救済の法があるという事だ。

 人間が、与えられた生きんとする意志を否定した時に、人間は多くの苦から
 逃れることができるという教えである。つまりは仏なるものの教えである。

 この神なるもの仏なるものの間で人間は揺れ動き、それは人間社会はもとより
 国家や文明にさえ影響を与えている。

     
なるもの   ← ?人間?   →   なるもの
        ||     (どちらをとるべきか?)     ||
 喜びもあるが
苦悩もある            救いはあるががない

 この関係のバランスをどうとるかにより国家は揺れ動き、文明の形も変化した。
 世界中のありとあらゆる文明を揺さぶってきたのは、この2つである。

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● 神と仏と文明A

 生きんとする意志の肯定とは、神なるものを意味する。
 太古の人々が崇拝していた対象である。

 生きんとする意志の否定とは、仏なるものを意味する。
 聖典をもつ宗教の事である。

  生きんとする意志の肯定 = なるもの = 太古の神々
  生きんとする意志の
否定 = なるもの = 聖典をもつ宗教

 文明に大きな影響を与えるのは、この2つである。
 敢えてもう1つ加えるというならばそれは
芸術である。
 芸術が人間にもたらす効果と、聖典の宗教が人々にもたらす効果は酷似する。

 この生きんとする意志の肯定と否定、プラスアルファの芸術の3つの意味を
 理解しなければ、人間の文明史をその根底から紐解くことはできない。 
 反対に言えば、この3つの関係に注視すれば、あらゆる文明の意味を理解
 する手出すとなる。
 そうして、文明の大潮流が何で有り続けるのかも理解できる。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
       『 稲穂黄金の神と仏と人間と


 
● 神々と共にいた太古の人々

 遠い昔、人類は、素直に自然の奥にある神なるものを見ていた。
 太古の人々は、自然の奥に存在する生きんとする意志を肯定した。
 自然の奥の神なるものを大切に祭っていた。

 太古の世界において、世界各地のあらゆる部族、民族は神々を祭っていた。
 神々は、大抵、自然の諸力と結びついて理解された。
 雷や、火の精霊、風などである。
 様々な現象の背後に神を見て、神の名があてがわれた。
 人々は、神々を奉り、神々の懐で暮らしていた。
 この時代の人々は、無邪気に自然の生きんとする意志を肯定していた。
 
神々と人間が共に暮らした時代である。

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● 都市の形成と人間の苦悩

 人々は集落をもち、それがさらに集まり街となった。
 多くの品物は交換され、さらには協力して農業を営むようになった。
 確かに人々が協力することで生産性は飛躍的に伸びた。
 
 それらの街が合わさり、
都市を形成した。
 都市には、さらに多くの人々が集まり大都市へと変貌し始めた。
 人々の協力によって、建物は建てられ、生活に必要なものが整えられた。
 すべてはうまくいくかに見えた。

 なれど現実は、そう簡単ではなかった。
 いままで無邪気に暮らしていた人々は、多くの人が集まる都市では無邪気な
 振る舞いことはできなくなった。

 素直に欲求や欲望を満たすことは人間社会では多くの問題をもたらした。
 あちこちで人々のエゴがぶつかり合い、人々が素直に欲望を表現する事は
 喜ばしいことと同時に様々な問題を引き起こした。

 都市に住む人々の内面から、徐々に多くの苦しみが生まれてきた。
 欲望を満たす
喜びと同時に苦悩が内面から立ち現れた。
 都市を形成しようとする人々にとっては、いつまでも生きんとする意志を肯定
 する無邪気な民では、いられなかった。

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● 文明の登場

 人々が集まり社会を形成した事には良い面もあったが、悪い面もあった。
 多くの人々が集まって、ある地域に暮らす事は、また人々に苦悩も与えた。
 人々は、力を合わせ多くを成し遂げたが、同時に欲求を抑える必要性があった。

 それゆえに、
人々の欲望を抑える仕組みが考え出された。
 それらがルールを作り、法律となった。
 それらが慣習となり、制度にもなった。
 それらが褒められ、美徳と呼ばれるようになった。

 多くの試行錯誤によって決められたルールもあれば、深い洞察によって
 導き出された制度もあった。
 人間の理に適った制度をもたらす事がつとに重要であった。
 もちろん、これらの制度によって反対に、混乱をきたし、都市の発展が阻害
 されることもあり、消滅した都市もあった。

 それらの都市は国となり、ますます大規模になっていった。
 都市に住む人々は、人間の中の悪い面(エゴ)のぶつかり合いを未然に防ぎつつ
 人間の良い面を伸ばしていく術を確立しつつもあった。
 人間の認識力が非常に優れていた国家は、後に文明と呼ばれることになった。

 人類は、文明を生み出すまでになった。 
 文明と呼ばれた国家は、
人間に対する並々ならぬ洞察がある。

 人間とは何者であり、どのような長所と短所を持っているかの深い理解がある。
 人間の長所を上手に引き出せ、短所を抑える術を知っていた。
 だからこそ文明において、
人間のあらゆる可能性が花開いた。

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● 外面と内面

 人々は都市を作り国を作った。
 それらの国おいては、人間から発生する多くの問題を抑える為に、様々な
 仕組みが提供された。
 
 さらにそれらの対処がことごとくうまくいき、国家は文明と呼ばれるところまで
 大発展した。すべてはうまくいっているかに見えた。

 なれど、すべての問題が解消されたわけではなかった。
 いまだに人間の内面には多くの問題を抱えていた。

 どれほど偉大な文明が様々な仕組みをもたらしても、それで全てが解決する程
 この世界は甘くはないし、また人間も事実、救いがたい面をもっていた。
 国家によって外的な環境が整えられていても、内面に起きる様々な苦悩に
 対応するのに、それで充分と言えることはなかった。
 人間の
外側と内側の両面の対応が必要であった。

 その国家が文明と呼ばれるまでに大発展していた所は、人間に対する優れた
 洞察によって、ある程度、内面の苦悩をも遠ざける力を有していたが
 それでも完全とまでは、到底いえなかった。
 文明にまで至らなかった、ほとんどの国家や都市の社会には、依然多くの
 問題があり、都市に住む人々の内面には、多くの苦悩が渦巻いていた。

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● 聖典をもつ宗教の登場

 人々は都市を形成し、国家を作った。
 それらの内の僅かな国家が、文明へと飛躍した。
 文明に至った社会においては、人間とは何かを実に良く理解していた。
 人間本来の性質に沿った様々な制度がもたらされた。
 文明においては、実に素晴らしい外的な対応がなされた。
 それらの制度は、人間を人間らしく保つのに有効であり適切であった。
 
 なれど、どんなに優れた文明であっても、人々の内面に生まれた苦しみを
 完全に癒すことはできなかった。
 人間は都市に暮らす上では、昔のように、生きんとする意志に素直に従う従順
 さだけでは、毎日を乗り切ることができなくなっていた。
 都市で暮らす為に、多くの我慢を覚えてもいた。
 また太古の神々では、人々の内面に起こる苦しみを癒す事はできなかった。

 そんな時であった。東方の地において、ついにあの教えが世に登場した。
 人類史上最高位の高みを有する
聖典ヴェーダである。
 
 
紀元前15世紀〜13世紀において古代インドにおいて登場した教えである。
 もちろんこの当時は、紙(パピルス)自体が希少であり、その教えは口伝に
 よって人づてに広がっていった。

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 * ヴェーダの教えは口伝によって受け継がれてきた。
   ヴェーダが聖典として紙(パピルス)に記載されまとめ上げられたのは
   ヴェーダが登場してから数百年後の紀元前1000年〜500年頃である。


 ● 大衝撃を与えた聖典

 聖典ヴェーダの登場は、世界に
とてつもない衝撃を与えた。
 これらの教えを聞いた人々は、度肝を抜かされた。

 ヴェーダの教えとは、生と死、後に輪廻転生につながる思想の萌芽が多々
 含まれており、これから数百年後に仏法を広める天才・釈尊がこのインドの地
 に生まれたというのも無関係ではない。
 インドにおいて聖典ヴェーダが生まれたからこそ、その土台の上に天才・釈尊
 が立ち、仏の教えを悉くこの地上に降ろし、大成させる事につながった。

 都市の中で、国家の中において、生きんとする意志を敬っていた人々は
 それらの神々では、解消することができない悩みの多くが、聖典ヴェーダの
 教えを知ることで
癒されていくことを素直に実感した。

 太古から伝わってきた神なるもの、自然の奥にある神々を敬い、感謝してきた
 がそれらの神々では、都市に住む自分達の苦悩を癒されることはなかった。
 またそれらの神々が人間の生と死について教えてくれることもなかった。

 人間がどこから来て、どこへ行くか?その意味を提供したヴェーダ聖典は、
 世界の人々に衝撃を与えずにはいられなかった。

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● 世界中に起きた大きな波

 紀元前15世紀から13世紀かけて誕生したインドの教え=聖典ヴェーダ。
 その教えが登場するやいなや、世界中に口伝えで伝わっていった。
 人々は、その教えの内容に驚嘆した。

 太古の神々、生きんとする意志を素直に肯定してきた人々には、計り知れない
 衝撃を与えた。特に目を引いたのが、生と死に関する情報であった。

 太古の神々は、都市に住む人々の苦悩を癒すことはできなかった。
 太古の神々は、生きんとする意志の肯定、つまり人間がその与えられたもの
 を尊び、喜びを見出すことであったが、それでは人間の内に現れた苦悩を
 解消することはできなかった。

 それゆえ紀元前15世紀〜13世紀において、人々の間に急速に聖典ヴェーダ
 の教えが入り始めた。
 これが後に世界中でおこる太古の神々と聖典をもつ宗教との対立を生み出す
 ことになった。さらに言えば、神なるものと仏なるものとの対立とも言える。

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● 2つの選択肢

 紀元前15世紀〜13世紀にかけて登場した聖典ヴェーダ。
 この教えにより、世界中の人々は衝撃を受けた。
 時に国家の屋台骨を揺るがし、大文明にまで影響を与えた。
 世界中の地域で以下の対応がなされた。
 大きく以下の2つの対応に分かれた。

  @ 太古の神々を捨てて聖典のをもつ宗教を選択する
  A 
太古の神々は捨てずに文明の発展を捨てる
 
 世界中のほとんどの地域では、太古の神々を捨てるか、聖典をもつ宗教を
 取るかの争いが頻発することになった。特に時の為政者を含めた政権の
 権力争いにもつながった。
 だがほとんどの地域で@のように聖典をもつ宗教を選択することになった。
 人々は、文明の発展を願った。文明が発展すればするほど、その文明の中で
 暮らす中で人々の内から多くの苦悩が生まれてきた。
 太古の神々では、もはやその苦悩を癒す術が見出せなかったのである。
 人々は、文明の発展を選択するかわりに、太古の神々を捨てた。
 そうして文明の発展と共に、聖典をもつ宗教を選択したのだ。

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● 太古の神々 VS 聖典をもつ宗教

 世界中のあらゆる地域において、太古の神々と聖典をもつ宗教のいずれかを
 選択することに迫られた。
 紀元前12世紀〜10世紀においてその戦いは激しさを増した。

 人々は、先祖から受け継いだ太古の神々を捨て去ることは、心苦しかったが
 それでも文明の発展を選択した。 
 その結果、
聖典をもつ宗教の圧勝であった。

 あらゆる地域で、
太古の神々は姿を消した
 紀元前12世紀〜10世紀頃に、世界各地で、太古の神々は姿を消した。

 古代において、世界中の多くの地域で人々が、太古の神々を捨てて聖典を
 もつ宗教を選んだことの意味は、とても重要である。
 なぜなら、この意味は、これからの21世紀、22世紀の未来にも大きく関わり
 様々な激動をもたらすことになるからである。

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● 文明の発展を敢えて捨てた者達

 聖典をもつ宗教を選ばずに太古の神々を選らんだ者達もいる。
 それらの者達は、文明の発展と共にある事を敢えて放棄した。

 都市に中で住み続けることは、利便性と同時に、苦しみを伴った。
 彼らはまた太古の神々を捨てようなどとは思わなかった。
 彼らの内のいくつかは、文明から遠ざかり
未開の森へと消えた。

 現代において、未開の地の部族において様々な神が祭られている。
 それらの神こそ、生きんとする意志である。
 太古の人々が敬ってきた神々と同様である。
 未開の部族は聖典をもつ必要もなく、実際に聖典を持たない。

 各部族が表現する神の姿は、これまたてんでバラバラである。
 これで正しいのだ。自然の奥に存在する生きんとする意志は、人間にとっては
 どこまでも
盲目である。その姿はわからない。
 それゆえ未開の地にいる各部族が崇める神の姿がバラバラで当然なのである。 

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● さらに3つの選択肢

 太古の神々と聖典をもつ宗教の2つの内のどちらかを選ぶ事を世界中の人々
 は迫られたが、それ以外の対応をしたところもいくらか存在した。

 神なるものを捨てず、それでいて文明の発展もあきらめない者達がいた。
 それらの者達は、以下の3つの対応のいずかを選んだ。

 @ 太古の神々を捨てずに芸術の技により人間の苦悩を昇華する
 A
太古の神々に化粧を施し、それを聖典の宗教へと変貌させる
 B
太古の神々と聖典をもつ宗教を混ぜずに並立させる


 @の対応を選択したのが、古代の偉大な文明である、大文明である。
 古代エジプトや古代ギリシャ、古代ペルシャや古代ローマなどである。
 文明までに発展させた人々においては、真に人間の力を有していた。
 聖典をもつ宗教の教えがなくても、大文明に生きる人々は、充分に満足して
 生きるだけの智恵と勇気と、そして人間の力を備えていた。
 また人々の内面から沸きあげる苦悩を、芸術の技が癒した。

 Aの対応をした代表的な例が、
ユダヤ民族である。
 その他には、ゾロアスター教徒である。
 この道を選択した民族、国家はその後、とてつもない辛酸を舐めることになった。
 ユダヤの民は、迫害の日々を数千年送ることになり、またゾロアスター教徒も
 迫害につぐ迫害で、現在、世界全体でも数万人から数十万にしかいない。

 Bの対応をした代表的な例が、
日本民族である。
 日本においては、地の利が有利に働いた面も無視できない。
 なれど、日本において真に優れたる者達がキラ星のごとくに出現したことが
 幸いした。特に政治家と仏僧おいて、真に優れたる者達が現れ、それらの者達
 は神なるものを決して捨てることはなかった。
 他の国々において、神仏は習合した。

 もちろん日本においても民衆の間では神仏習合がなされた。
 だがもっとも大切なことは、神道は神道の姿を保ち、仏教も仏教の真髄が残す
 形で残ったことである。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金のユダヤと日本


 
● 合計5つの選択肢

 ヴェーダ聖典において、世界中の地域、国家の人々は大きくわけて2つの対応
 のいずれかを選択した。

 太古なる神々を選ぶ道(文明の発展は捨てる)が1つ。
 聖典をもつ宗教を選ぶ道(文明の発展と共に)が1つ。

 もちろん、それだけではなかった。
 稀な対応を含めれば、さらに太古の神々を保持し、文明の発展を望むという
 非常に難しい対応したところも、ほんの少しだが存在した。
 
 聖典ヴェーダの登場によって 
2  3  5 のつの対応のいずれか
 を世界中の地域や国家の人々は、選ぶことに迫れた。

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● 大文明も揺さぶられた@

 ヴェーダ聖典の登場は、大文明の基礎さえ揺さぶった。
 英明なる古代エジプトの人々にも衝撃を与えずにはいられなかった。

 古代エジプトの人々は、太古の神々を信仰していた。
 多くの地域の都市や国家では、聖典をもつ宗教が勝利するもの、大文明に
 おいては、太古の神々が健在であった。
 
 文明と呼ばれるまでに至らなかった都市や国家においては、様々な問題と
 人間の内面の苦悩が発生していた。
 それゆえ、多くの地域で聖典をもつ宗教が喜んで受け入れられたが、偉大な
 エジプトにおいては、それらの様々な問題も、文明の力によってある程度
 解消することができた。特に多くの悩みに対処したのは、芸術の技であった。

 また古代エジプト人は、神々と共に生きていた。
 彼らは聖典の教えに頼らなくても独り立ちできる力を有していた。
 現代の我々とは比べ物にならない程の、圧倒的な力を人々は有していた。

 文明を発展させながら、それでいて聖典の教えを受け入れる必要がなかった
 ことは古代人が偉大である証拠である。
 古代人が神々と生きていた証拠でもある。

 文明に至らなかった多くの都市や国家は、聖典をもつ宗教に押されて、彼らの
 神々を捨てざる終えなかったのであるが、古代エジプトの人々は実に良く太古
 の神々を保持した。

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● 大文明も揺さぶられたA

 確かに大文明と呼ばれた地域では、いまだに太古の神々が健在ではあった。
 なれど紀元前15世紀〜13世紀のヴェーダ聖典の登場と普及は、文明に生きる
 人々にも強い影響を与えないわけにはいかなかった。
 とりわけ時の為政者にも強い影響を与えた。

 この時、世界中の大文明を襲ったある種の
異様な動きは、これに
 実に深く関連している
 古代エジプトは多くの神々を祭る多神教の国家であったが、突然のごとく
 紀元前14世紀においてファラオの
アメンホテプ4世が、
 アテン神(太陽神)を最高の神と掲げる
一神教を掲げたのだ。
 (これが有名なアマルナ革命)

                
               アメンホテプ4世(=イクナートン)

 何ゆえにアメンホテプ4世は一神教を掲げる必要があったのか?
 それこそ、聖典の教えが人々に、広く知れ渡っていたことを物語る。
 アメンホテプ4世は、ヴェーダ聖典の高みを知り驚嘆し、ヴェーダ聖典の教えが
 エジプトの民をはじめ、他の国家の民にも強く影響を与えているという事実に
 直面せざる終えなかった。
 だからこそアメンホテプ4世は、こう思った。
 いずれ聖典ヴェーダの教えによって、エジプトの太古の神々は姿を消されて
 しまうことを。

 だからこそ太古の神々の中から1つの神を唯一神と選びだし、その神に絶大
 なるの力を与えることで、聖典の教えに対抗しようと彼は考えた。
 ヴェーダ聖典の教えに対する防御として、太古の神々を
一神教化したのだ。

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 * アメンホテプ4世のアテンを唯一神にするというアマルナ革命は、
   多神教を愛するエジプトの民に嫌われ、アメンホテプ4世が死ぬと
   すぐにアルマナ革命は力を失い、アテン信仰は消え去った。


 
● 文明に突如巻き起こった一神教

 大文明のエジプトにおいて、突如としておきな唯一神を掲げる一神教。
 アテン信仰を推進したアメンホテプ4世は、何かを感じ取っていた。
 彼は、聖典ヴェーダの教えによって、いずれエジプトの神々が、エジプトから
 退場させられることを畏れた。
 だからこそ、一神教を掲げるという極端な方法を彼は選択した。

 このような事例は、古代エジプト文明だけではない。
 聖典ヴェーダの影響は、大文明のペルシャにも押し寄せていた。
 それも古代ペルシャは、古代インドと密接な関連がある。エジプトよりも早く
 聖典ヴェーダの教えが伝わっていた可能性もある。

 とにかく古代ペルシャも多くの神々を祭っていた。
 そこに聖典ヴェーダの教えが入ってきたのだ。
 人々は聖典ヴェーダの教えに魅了されたに違いない。
 古代ペルシャの神々も、聖典をもつ教えによって追い出される心配が出てきた。
 だからこそ古代ペルシャに、
ザラスシュトラが登場した。
 紀元前14〜10世紀の時代の人と言われているが正確にはわかっていない。

 
ゾロアスターとも呼ばれ、世界最古の一神教と言われるゾロアスター教
 開祖としてつとに有名である。

   
  
ゾロアスター教の開祖 ザラスシュトラ(=ゾロアスター)

 ザラスシュトラは、ペルシャの神々の中から善の神を一神アフラ・マズダーを
 選びだし、それを唯一の崇拝すべき神として掲げた。
 古代エジプトで起きたことと、まったく同じ事が古代ペルシャでも起きていた。

         動画           テキスト

       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金のユダヤと日本


 
● ゾロアスター教について

 ザラスシュトラに関する資料は乏しく、彼に関する情報は限られている。
 彼が生きた時代も学者により様々に異なっている。
 だがおおよそ14世紀〜10世紀の間に生存したといわれる。

 たぶんザラシュストラが生きた時代は、エジプトのファラオ・アメンホテプ4世が
 生きた時代とそれ程大きく変わらない紀元前
14〜13世紀頃と推測される。

 アメンホテプ4世もザラスシュトラもあの時代、多神教を信じていた人々の中に
 あって一神教を唱え始めたのも、ヴェーダ聖典によって、彼らの太古の神々が
 消滅してしまうのを恐れた為である。
 もちろん古代エジプト人も古代ペルシャ人も多神教を愛し、人間としての力も
 存分に有していた時代だから、エジプトの唯一神アテンに対する信仰も
 広がらなかったし、ペルシャのゾロアスター教も広まらなかった。

 ゾロアスター教が世に広まるのは、もっと時代が下った紀元前3世紀頃の
 ササン朝ペルシャの時代である。この時にペルシャの国教として多いに栄えた。

 さらに言えば、ザラシュストラの特記すべきことは、彼がもたらした
 ゾロアスターを母体にする宗教こそが、あの
ユダヤ教である。
 この点は特記すべき重要事項である。


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● 聖典を寄せ付けぬ天才民族

 世界各地で、聖典をもつ宗教が太古の神々に圧勝した。
 太古の神々を脇に追いやられた。
 大文明をのぞく地域では、聖典ヴェーダの教えが広範囲に広まった。

 特に紀元前10世紀〜5世紀にかけて大文明においても太古の神々と聖典の
 教えとが混在、または融合して様々な新しい宗教も続々生まれてきた。

 しかし、聖典の教えをまったく寄せ付けずに、太古の神々を愛し、それでいて
 高度な文明を築く者達が現れた。
 それこそが、天才民族である
古代のギリシャ民族である。
 
 古代ギリシャ人の耳には、まるで聖典の教えは入らない。
 彼らには
聖典の教えは不要であった。
 彼らは、聖典などに頼ることもしない。
 彼らは、どの民族よりも学問を愛し、芸術を愛した。
 また彼らは自然に近いことを何よりも好んだ。彼らの性格は、カラッとした青空の
 ように明るく、輝いていた。

 彼らは何よりも人間の美しさを表現した。
 それゆえに、人間の肉体を服によって隠してしまわないように、一枚の布を
 体前身に巻いて、体の曲線美が隠れてしまわないように気をつけた。

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● 苦悩を昇華する芸術@

 芸術の人々に与える効果と、聖典をもつ宗教が人々に与える効果は類似する。
 それは共に、苦から救済なのである。
 聖典をもつ宗教の教えは、生きんとする意志の否定にこそ救いがあり救済が
 あることを教える。
 聖典をもつ宗教はヴェーダに始まり仏教により完成する。
 天才・釈尊がその法の存在を知らしめた。
 釈尊から仏の教えを知ったイエスは、故郷にて、釈尊のように生きようと
 決心して布教活動を続けた。そしてまさに釈尊のごとく愛に生きた。
 
イエスは、間違いなく釈尊の真の弟子である。
 
 生きんとする意志の否定にこそ救済があると説く聖典の宗教。
 芸術作品が人々に及ぼす影響は、それと同様である。
 真に美しい作品は、我々人間の生きんとする意志を忘れさせる。
 
 我々は我を忘れ、ただひたすらその作品に没頭する。
 我を忘れ、単なる認識装置のごとくに、その作品と向かい合う。
 真に美しい作品にはそれだけの力がある。
 我々が常に生きんとする意志と共にある状態を、その刹那、遮断し生きんと
 する意志から離れられる瞬間である。その時間は、一瞬であり永遠である。

         動画           テキスト

       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の芸術家へ
        『 稲穂黄金の釈尊
        『 稲穂黄金のイエス・キリスト


 ● 苦悩を昇華する芸術A

 美しい作品が、我々をイデアの世界へと連れていく。
 イデアは、時間と空間、因果律の影響を受けない。

 我々は、真に美しい作品を見るときに、この世から一時離れる。
 この世とは、生きんとする意志に密接に結びついている。
 我々は、単なる認識装置として、生きんとする意志を離れ、この世界を眺める。
 この世界と同化するごとくなって単なる観賞する者として存在する。
 
 あらゆる時代、あらゆる地域において芸術が求められたのは、人間にそれに
 より救済を与えられたからだ。
 
  古代ギリシャ人が、聖典の教えを受け入れずに、太古の神々を愛し、文明を
 発展させる事ができたのも、古代ギリシャ人は、圧倒的な芸術の技によって
 苦悩を昇華できるだけの力を有していたからだ。
 もちろん、この力を古代エジプト文明も、古代ペルシャ文明も有していた。
 なれどその中にあっても古代ギリシャ人は特記すべきである。

 古代人の力量があるからこそ聖典の教えを受け入れず、太古の神々と文明を
 共に発展させることが可能であったのだ。
 近代、現代の低みにある我々には、到底真似ができない。

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 ● 実に強く美しい古代人@

 大文明に生きる人々であっても聖典ヴェーダの登場には衝撃を受けた。
 聖典ヴェーダの教えに魅了される者達は多くいた。

 なれど、大文明に生きる人々の多くは、彼らの太古の神々を愛し、敬った。
 古代人は実に強く美しかった。
 古代人は確かに力を有していた。
 現代の我々の力とは、雲泥の差がある。それほど偉大であった。

 古代の人々は、文明の発展の中にあっても、聖典の教えを特に必要と
 しなかった。それは彼らの文明がいかに高度で、かつ彼ら自身が優れた力を
 有している事を物語る。

 古代人と近代・現代人の一番の差異がある。
 現代において片手に聖典を抱えて持ち歩く者は多いが、偉大な文明に生きた
 古代人は、常に
片手に聖書を抱えて持ち歩くことなどしなかった
 そもそも古代人には、聖典さえ不要であった。

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● 実に強く美しい古代人A

 現代でも宗教の信徒には、常に日頃から聖書やコーラン、経典を肌身離さずに
 側に置いておくものが多い。ここではその事自体を否定しているのではない。

 事実として多いということを指摘しているに過ぎない。
 なれど古代人は、それらの本などは持たなかった。
 本を常に持ち歩かなくもてまったく平気であった。

 彼らは町を歩くときは、手ぶらであり、聖典の本など不要であった。
 彼らはいつも神々と共にいた。

 片手に聖典を抱えて持ち歩かなけば不安を感じるという近代、現代の人々とは
 まったく異なった者達であった。
 近代、現代の人々の方が、神から遠く離れているのである。

 動物が生まれた姿をありのまま示すように、人間も生まれたままの美しさを
 表現することに、どの民族よりもこだわった古代のギリシャ人が、常に片手に
 本を持ち抱えて、歩くはずなどないのだ。

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  * もちろん古代人は良く学び、たくさんの本を読んだ。
    だが本を聖典のごとくして、移動の時も常に持ち歩く事などはしなかった。


 
● 釈尊もイエスも

 釈尊もイエスも、その言葉と行いは、聖典の中で詳しく記載されている。
 釈尊などは万巻の言葉が伝わっている。

 なれど釈尊もイエスも片手に本を常に常備して、布教の旅をしたなどという事
 は聞いたことがない。
 つまり釈尊もイエスも、聖典を片手に持ち抱えて過ごしたのではないという事だ。
 
 古代人は実に美しかった。
 彼らは、人間が生まれながらに与えられた姿を保持した。
 人間本来の美しさを見せた。
 古代人の服装、古代人の美徳、古代人の作った彫刻、古代人が残した文学、
 古代人が描いた絵、古代人が建設した建物。
 あらゆるものが本当に美しい。

 そうして古代人の姿そのものがまさに人間本来の美しい姿である。
 現代の人々が、片手に聖典を持ち抱えて歩いている姿を、古代人が見れば、
 古代人は、現代の人々の行く末をさぞかし心配することだろう。

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● バビロン捕囚とユダヤ民族

 ユダヤ人は紀元前589〜586の間に捕らえられ、新バビロニアの都市
 バビロンに強制的に連れていかれた。
 世に知られる
バビロン捕囚である。

 ユダヤ人はバビロンで長きに渡り捕囚された。
 その間に、エルサレムの神殿は破壊され、ユダヤ人の祖国ユダ王国は滅びた。

  
    
ユダヤ人が捕囚された都市=バビロン

 ユダヤ人は長きに渡り捕囚され、その捕囚が解かれるは、バビロン捕囚から
 50年以上の月日がたった紀元前
537であった。

 アケメネス朝ペルシャを起こしたペルシャの
キュロス大王によって、ユダヤ人
 は捕囚から解放された。多くのユダヤ人は、キュロス大王に心から感謝した。
 この時に、それまで多神教であったユダヤ教徒は、キュロス大王が信仰して
 いた
ゾロアスター教に鞍替えをしたのである。

 ゾロアスター教は、世界最古の一神教と呼ばれるが、実際には多神教である。
 確かにある1つの神を強く崇拝はしていたが、一神教ではなく多神教である。
 この時より、
ユダヤ人はゾロアスター教の神を崇拝するようになった。

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● ユダヤ教とゾロアスター教

 
ユダヤ教は、ゾロアスター教を母体にして生まれた
 ゾロアスター教は世界最古の一神教と呼ばれているが、実際には他の神々も
 多数、存在した。
 ザラスシュトラは、ペルシャの神々から1つ神を選び、それが善なる最高の
 神として崇拝に値するとは述べたが、他の神々の存在自体を否定したわけ
 ではなかった。それゆえゾロアスター教は
多神教で有り続けた。

 特にザラスシュトラの死後、再び多神教の要素が強くなり、ザラスシュトラが
 指定した神だけではなく、他の神々も崇拝の対象となった。
 古代ペルシャ人が以前から崇拝していた多くの神々を祭った。

 ザラスシュトラがたくさんの神々の中から、最高の善の神として選んだのが
 
アフラ・マズダー(=オフルマズド)である。
 ザラスシュトラは、この神こそが崇拝するに値する神と主張した。

 ザラスシュトラは、このアフラ・マズダーの邪魔する悪神を登場させた。
 最悪の悪魔として選ばれたのが
アンラ・マンユ(=アーリマン)。

 ゾロアスター教では、この世界は、最大の善の神アフラ・マズダーと最悪の
 悪魔アンラ・マンユとの争いであるという
二元論を展開した。

 後にユダヤ教において、アフラ・マズダーが
ヤハウェと呼ばれ、
 アンラ・マンユが
サタンと呼ばれるようになった。

      アフラ・マズダー  ⇒   
ヤハウェ
      アンラ・マンユ    ⇒   
サタン

 さらに言えば、ゾロアスター教の善の最高神アフラ・マズダーとは
 インドの神の
帝釈天である。

       インド       ペルシャ        ユダヤ
     ----------------------------------------
      帝釈天  ⇒  アフラ・マズダー  ⇒ ヤハウェ


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● フーテンの寅さんとユダヤ民族

 以下の内容は、軽く受け流してきいてもらいたい。

 東京都葛飾区、柴又帝釈天を舞台にする『
男はつらいよ』を見ると
 いつもそこにユダヤ人の生涯を重ねて見てしまう。

 主人公フーテンの寅さんは定住せずに日本全国、あちこち放浪する。
 時たま、
帝釈天がある柴又にふらりと帰ってくる。

 寅さんのその姿が、ユダヤ民族の歩んだ歴史に重なって見える。
 
帝釈天を絶対神ヤハウェとしたユダヤ人

 そのユダヤ人は、ヤハウェを思いながら世界を放浪する。
 寅さんが、柴又を忘れずに日本各地を放浪するように・・・・。
 
 ユダヤ人は祖国を取り戻すことを何度も望んだが、それは適わない。
 寅さんは、何度もマドンナ達と良い仲になるが、恋は成就しない。
 さらにユダヤ人が大切にした聖典が
トーラ(トラの巻き)である。
 放浪する寅さんはユダヤを表し、家を守る腹違いの妹のさくらは日本を表す。

          

 『
男はつらいよ』ではなく『ユダヤはつらいよ』とさえ思えてしまう。
 映画を見るたびに、寅さんとは何を表すのか?と密かに思っていた。

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● 再度、ユダヤ教とゾロアスター教

 ユダヤ教が、ゾロアスター教を母体にしている痕跡は、旧約聖書に多くの
 痕跡が残されている。

 旧約聖書には、古代ユダヤ人が、神への捧げ物に、火で焼いた動物の肉を
 捧げた記載が多くある。さらには、ユダヤの神殿には、絶やさぬ火が存在した。
 ことが記載されている。

 『 
キュロスは、エルサレムに主の家を建造せしめた。
   そこでは
不断の火によって主に犠牲がささげられた。』 エズラ書

 炎を敬い、炎に神聖さを見る者達こそが、ゾロアスター教なのである。
 ゾロアスター教は、別名、
拝火教と呼ばれる。
 現代においても、ゾロアスター教徒は、火を神聖なものとして、火を絶やさない。

  
 
ゾロアスター教徒            を神聖な対象とする

 また、ユダヤの神がペルシャの神と関係であるのも以下の記述からも明らかだ。
 『 ヤハウェは、
ケルビム(=ケルブ)の上に座したもう 』 詩篇、列王記

 ケルビムとは、半ば雄牛で、半ば人間、半ば獅子である有翼人面獣身であり
 
ペルシャの永遠の都ペルセポリスにある大宮殿には、これらの彫刻が
 色々と施されている。

            
            
古代ペルシャの都市遺跡 『古代文明ビジュアルファイル』より

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
        『 稲穂黄金のユダヤと日本


 
● アケメネス朝ペルシャとザラスシュトラ

 アケメネス朝(紀元前550〜330年)の保護を得たユダヤ人。
 この時期のユダヤの民は、もっとも幸福な時期を過ごした。

 ユダヤ人にとって、大恩あるペルシャのキュロス大王。
 そのキュロス大王が信仰したゾロアスター教を、ユダヤの民も信仰した。

 ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(紀元前14〜10世紀)が生きた時代は
 詳しくはわかっていない。

        
ザラスシュトラ=ゾロアスター)
        
     ザラスシュトラの生誕の時期が、いくつも言われているのは、その時期に
    ザラスシュトラの思想が
注目されたからである。

 
生存した時代は、様々に言われているが、その1つに紀元前6世紀頃もある。
 この時代に、ザラスシュトラが生存した言われる説があるのも、この時代に
 ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラに再び
注目を浴びたからである。
 ザラスシュトラについて多くが調べられ、その教えが良く読まれた事を物語る。

 それでは、誰によって読まれたかといえば、それが
ユダヤ人である。

 多神教から、一神教的要素が強いゾロアスター教への鞍替えする為には
 多くの
やっておかなければいけない事があった。

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● アケメネス朝ペルシャとユダヤ

 アケメネス朝時代に、ユダヤ人は続々と
ゾロアスター教に改宗した
 正確にいえば、ユダヤの教えを、ゾロアスター教に取って変えた。
 これに伴いユダヤ人が、やっておかなければならなかった作業があった。

 
ユダヤの神話物語を一神教に変えて聖典化する。

 彼らの神話にたくさん出てきた神を背後に押し込め、1つの神を崇拝する物語
 に大幅な修正、加筆して聖典を作成したのである。
 これは、聖典をもつ宗教(=ヴェーダ)に対抗する為に登場したゾロアスター教
 が聖典を作り上げた行為を真似ていたのだ。

 ユダヤの神話物語を聖典化する作業こそ、
 
旧約聖書の誕生を意味する。

     
      世界一のベストセラー本である聖書。
      キリスト教の宗派によって、その内容も抽出する場所も異なりがある。


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● 旧約聖書と新約聖書

 もともと旧約聖書の物語は、民族の神話物語程度なのである。
 それを強引に聖典として位置づけたところに、大きな無茶もあった。

 旧約聖書と新約聖書を眺めれば、新約聖書の素晴らしさに誰もが気付く。
 なれど旧約聖書には、新約聖書に見られる叡智がほとんど見られない事だ。
 
 それは旧約聖書がユダヤ的であり、新約聖書が仏教的であるからだ。
 旧約聖書は、ユダヤ人の神話物語に一神教の教えを付加して完成した。

 それに対して、新約聖書は、エジプトで仏教の教えを僧侶から教えられ、
 その仏の教えに触れて目覚めたイエスが語った仏の教えだからである。
 イエスの弟子達によって記載されたイエスの姿はまさに仏僧のそれであり、
 イエスが語る言葉の真意は名僧のそれである。

    
旧約聖書 = ユダヤの神話物語 + 一神教
    
新約聖書 = イエスの教え(=仏教の教え)

 聖書に親しむ当のキリスト教徒が、旧約聖書と新約聖書の大きな違いを
 たびたび感じたからこそ、新約聖書に重きを置くキリスト教の団体がいくつも
 登場することになった。(その代表的なものがプロテスタントである)

 カトリックもプロテスタントも旧約聖書、新約聖書の両方を学ぶが
 プロテスタントは、新約聖書に重きを置いている。
 だからといって、カトリックがユダヤ的で、プロテスタントが仏教的などという事は
 決してない。反対にプロテスタントの方が偶像崇拝を避けて、崇拝のみに
 生きるぶん、ユダヤ的とさえ言える。

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● ユダヤの決断

 アケメネス朝ペルシャの庇護において、発展を得たユダヤ。
 ユダヤ古来の神々を、ゾロアスターの一神教に乗せ変えて彼らのユダヤの
 神話物語を、旧約聖書に書き記したユダヤ人。

 なれど
ユダヤ人の不安は消えなかった

 大文明の地域では、以前、太古の神々が優勢ではあったが、それ以外の都市
 や国家では、聖典ヴェーダの思想は深く入り込んでいた。
 教えが混ざり合い、最終的には太古の神々が追い出される形になっていた。
 それに、この大帝国アケメネス朝ペルシャがいつまでも続く保証はなかった。

 またいつかバビロン捕囚のような事態が起きて、自分達が安心できる場所を
 失うやも知れぬ。そうなれば、今度こそ、自分達のユダヤの神々は滅びて
 しまうに違いないという切実なる思いがあった。

 だからこそ、ユダヤの宗教的指導者は決断した。
 彼らが掲げる神を絶対化することを。

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● 絶対神の衣をかぶせたユダヤ

 聖典ヴェーダが登場した時に、太古の神々を守る為に、ペルシャ人の中から
 一神教を掲げるザラスシュトラが登場して、ゾロアスター教を起こしたように、
 ゾロアスター教を取り入れ、一神教化したユダヤ教を、さらに強固なものに
 する為に、この当時のユダヤの宗教的指導者層は、決断した。
 
 ユダヤの信じる神に、全知全能の力を付与することを。
 ゾロアスター教では、アフラ・マズダーだけが崇拝に値すると述べたが、他の
 神々そのものを全否定したわけではなかった。
 だからゾロアスター教では、様々な神々が出てくる。

 だがユダヤにおいては、この神のみが唯一の神であり、全知全能の力を
 持つとまで
絶対化したのだ。
 ユダヤの宗教指導者は、そうしなければ、いずれ聖典をもつ宗教に
 飲み込まれてしまうことを予感したのだ。

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● ユダヤ教の変革

 ユダヤの宗教的指導者層が取った方法は、主に以下の3つである。

   @ 
彼らの神話物語を聖典化して、聖典をもつ宗教のごとく見せる
   A 
唯一神に全知全能の力を付与し絶対化する
   B 
他の民族との精神的な繋がりを断ち切る

 @のユダヤの神話物語を旧約聖書の聖典化することは述べた。
 本来、太古の神々を祭る宗教は、聖典化をしない。
 生きんとする意志は、つまりは自然の奥にある力である。
 それゆえにその姿、形は、人間には盲目である。
 だから本来、それらのを聖典化できるような何ものかではない。
 だが、それではいずれ太古の神々は、聖典をもつ宗教に飲み込まれてしまうと
 直感したゾロアスター教の人々は、彼らの聖典アヴェスターを作り上げた。
 ユダヤの民もこれと同様の行動に出たのだ。
 それが旧約聖書を生んだ。

 もちろんこれだけではない。用心に用心を重ねた方が良い。
 ユダヤは、一神教の神を祭り、聖典を作っただけではなく、その神に
 絶対者の衣をかぶせた。全知全能の力を与えた。

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● ヤハウェとの約束

 ユダヤは彼らの氏神ヤハウェをゾロアスター教のアフラ・マズダーと同一化
 して唯一の崇拝の対象にした。
 そうしてヤハウェに全知全能の力を付与し、絶対化した。

 ユダヤの神話物語をベースにした作られた旧約聖書も、絶対化の衣を
 かぶせる為に、幾度も修正がなされ加筆された。

 それらを実行したユダヤの指導者。
 だが、彼らはその時にヤハウェと
ある約束を交わした。
 ヤハウェの神は、ユダヤの民と以下の約束を交わした。

 ” 私(ヤハウェ)は、
全知全能でも、絶対神などでもない
   それでもお前達(ユダヤの民)が、私を絶対化してそのように
   見たいと言うならば、敢えてそれに反対はすまい。
   それについては黙っている事としよう。
   だから1つ
約束して欲しい。
   絶対神を信じるお前達は、
他の民族と親しく交わってはならない。”

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● 他民族と距離を取るユダヤ

 ユダヤの氏神ヤハウェは、未来をはっきりと捉えていた。
 もし全知全能の神、絶対の神、を掲げる民族が現れ、その教えを誰彼構わず
 多くの他民族に、行き渡るならば、いずれ地上に地獄がもたらされる事を。

 絶対化の教えが人々に普及すればするほど、この地上に悲惨な出来事が
 増えるだろうことは、氏神ヤハウェは誰よりも認識していた。

 だからこそヤハウェは、自分を絶対化して信じるユダヤの民に、自分の存在
 を勝手に絶対化する代わりに、ユダヤの民の交流範囲を制限した。
 もし仮に、神を絶対化するユダヤ的世界観が世の中に広まれば、多くの人々
 を悪鬼に走らせ、地上に地獄がもたらされる事を理解していた。

 ユダヤはこれ以降、他民族と真に交流することはなくなった。
 もちろんユダヤも生きる為に、経済的な協力はいくらでも惜しまなかったが、
 彼らユダヤの民は、決して正面から心を開くことはなかった。
 ユダヤは他民族に胸襟を開かない。

 ユダヤには、国籍などまったく関係ない。
 彼らにあるのは、ユダヤ人であるか、そうではないか、なのである。

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● ユダヤ人でも馴染めなかった

 絶対化された唯一神の存在に、当のユダヤ人も馴染めなかった。
 聖典化され絶対者が登場する旧約聖書の考えに馴染めないユダヤ人も
 多かった。それらのユダヤの教えを遠ざけようとして、他の神を崇める者達
 もでてきた。

 だからこそ、それらの食い止める為に旧約聖書には、話がいくつも追加された。
 その1つが有名なモーゼと金の子牛の話である。

 シナイ山に登ったモーゼは、数十日間、山に留まり十戒を受け取った。
 その後、山を降りたモーゼは驚いた。
 モーゼの帰りを待っているはずのユダヤの民が、金の子牛の像を崇めて
 いたのだ。これを知ったモーゼは、怒りで我を忘れて十戒の石版を割り、
 金の子牛の像を粉々に砕いた。
 さらにその時、金の子牛を崇拝した数千人の人々を皆殺しにしたのだ。

 これはつまりは人々に、絶対化したユダヤ以外の教えを信じるとこういう目に
 合いますよという事を主張している。
 ここでいう子牛の像とは、インドの教え、つまり聖典をもつ教えを意味するか
 はたまた、牛に神聖さを見出すゾロアスター教の教えを意味する。
 
 聖典をもつ宗教はもちろん、唯一神を崇拝しても絶対化された神が存在
 しないゾロアスター教も、崇拝しないという強い姿勢であった。

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● 修正されていく旧約聖書

 旧約聖書を一神教化して、さらには絶対化する試みはこの時期に続々と
 なされていった。
 多くのユダヤ人は、その教えに中々馴染めなったが、それでも彼らには
 
恐怖の記憶があった。バビロン捕囚である。

 もう1度、同じ目に会えば、今度こそ自分達ユダヤ神々は消されてしまう事を
 彼らは、本能的に悟った。確かにユダヤは神を愛する人々であった。

 それゆえに、全知全能の神が人間の為に、この地上を楽園としてプレゼント
 したという無茶苦茶でナンセンスな物語を、とにかく信じ込もうとした。
 それ程までに、ユダヤには鬼気迫る、強迫観念があった。

 特にバビロン捕囚以後にダビデ王(紀元前10世紀頃のユダヤの王)の物語が
 人気を博したのも訳があった。 紀元前10世紀頃のユダヤは、ゾロアスターにも
 改宗されず、それゆえ
一神教ではなく多神教であった。

 これらのダビデ王の物語は、ユダヤに伝わる史実の中で、一神教を崇拝する王
 と見なされてもあまり違和感のない人物を選択して、その生涯を脚色して、
 筆を加えたのである。それらの話を作る上でダビデ王はぴったりだったのだ。

 またたくまにダビデ王は、ユダヤの目指すべき姿を体現していると英雄とさえ
 見られるようになり、これ以降、ユダヤを真に救うメシア(救世主)は、ダビデ王
 の末裔だと人々には信じれるようになった。

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● 絶対者の衣と結束

 本来は太古の神々、多神教・自然崇拝をもっとも重んじてきたユダヤが
 ゾロアスター教へと転換し、一神教的な面を取り入れ、さらに絶対者の衣を
 まとったのも聖典の教えから身を守ろうとした為である。

 生きんとする意志を否定する聖典の教えはまたたくまに世界中を席巻した。
 ユダヤはバビロン捕囚によって国家を失う恐怖を知った。
 だからこそ、絶対者の衣が必要であった。

 そうして確かにそれは有効な対抗策になりえた。
 国を失ったユダヤの民を、結束させ1つにしたのも絶対者の衣を被ったからだ。
 もしこの絶対者の衣がなければ、ゾロアスター教徒のように全世界にほんの
 少数の人々が残るに過ぎなかったに違いない。

 ユダヤは、絶対者の衣をきたからこそ結束を固め、勢力を保持して最終的に
 ユダヤ人の国家を取り戻す事が可能となった。
 もちろん、古代のユダヤ人は何度も何度も、絶対神の教えに疑問を呈した。
 たびたび、多神教へと戻る動きが加速したが、ユダヤの指導者はそれを
 決して許さなかった。またそうさせない為に聖書を修正・加筆した。

 ユダヤは、旧約聖書を思惑を持って作りあげた。
 それゆえ、そこに違和感を感じるキリスト教徒が多いからこそ
 新約聖書を特に重んじるキリスト教徒も出てきたのである。

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● ユダヤがヨーロッパで嫌われ続けた理由@

 ユダヤ人はこう盲信する。
 ”全知全能と絶対神が人間の為に、この地上を楽園としてプレゼントとした。
  それゆえこの世界は楽園であり、我々は生きている時生こそが全てである。
  それゆえ死の世界などは考えられない。
  全知全能の絶対者から、我がユダヤに聖書を授けたのであり、それゆえ
  ユダヤは選民であり、かつこの聖書で説明できないことは、この地上に
  一切ないのだ。我々こそが神が選びたもうた民である。”

 ユダヤ人が、ヨーロッパで嫌われ続けた理由はまさに、この無茶苦茶な教え
 を信奉したことによる。こういう者達が、自分達の領土に入ってくれば、大抵、
 キチガイな者達が来たと思うのが通常の反応であろう。

 当然、ヨーロッパ諸国の人々も、中東の人々も、ユダヤ人を嫌い遠ざた。
 もちろん国を失ったユダヤ人に同情した多くの人々も存在した。

 なれど、この世界は、生だけが全てで、死んだら終わりだ!などというユダヤ人
 に共感する者達など、ほとんどいなかった。

 世界のいかなる宗教が、人間死んだら終わりなどと言うだろうか!?
 世界には様々な宗教があり、教えもそれぞれ異なるが、そこで共通するのは
 我々人間の一生は、生きている時に限られるのではなく、死してもなお続き
 それゆえに、死んでも失われないものがあるという事に尽きる。
 死んだら終わりなどという宗教は、ユダヤ以外ないのである。

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● ユダヤがヨーロッパで嫌われ続けた理由A

 だがユダヤは、そういわざるおえなかった。そう主張する運命にあった。
 神を絶対化した時にその運命は決まっていた。
 全知全能の絶対神ならば、当然、完全無欠の良き世界を提供するだろうことは
 誰もが想像するからである。
 世界は全て良し。悪いのがあればそれは悪魔の仕業であり、不完全な人間の
 が神ではなく悪を選択したからだという、これまた単調な二元論が起こって
 くるのは当然の流れであった。

 これらのユダヤ的世界観に捕らわれると恐ろしいことが起こる。
 ユダヤ的世界観以外の世界観を許せなくなり、絶対者が人類に提供した聖書
 で説明不可能な事はないと信じるからだ。
 さらには、ユダヤ的世界観の普及を邪魔するものは、悪魔に通じるとさえ
 考えるようになる。

 事実、ユダヤ的世界観に捕らわれた中世、近世のキリスト教指導者層は
 聖書で説明できないことを許せなかったし、絶対に許さなかった。
 優れた探究者、科学者がこの世界の真理を素直に語ろうとしたが、それらの者
 は宗教裁判、異端尋問、出版差し止め、果ては牢につながれ処刑された。
 16世紀の知性、ジョルダーノ・ブルーノは火刑により殺された。
 真摯な探究者バニーニは、舌を抜かれた上で、火刑により殺された。
 ガリレオガリレイも、宗教裁判にかけられ、自説を撤回することで難を逃れたが
 終生、キリスト教の監視下に置かれ軟禁状態にされ、自由に外出もままなら
 なかった。

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● ユダヤがヨーロッパで嫌われ続けた理由B

 ユダヤ的世界観に取り付かれる者達は、えてして迷妄で愚鈍な者達であった。
 迷妄で愚鈍な者達ほど取り付かれ、狂気とかし多くの血の雨を降らせた。

 ヨーロッパ人の良識が、ユダヤ的世界観を遠ざけたのであり、それに気付いた
 のがルネサンスでもあった。
 なれどもユダヤ的世界観は留まるところを知らなかった。
 中世から近世においても多数の科学者が殺されたのし、さらには産業革命
 を起こした白人が今度は、自分達こそが選民だと思い込んだ。
 白人の多くが、自分達が優秀であるという人種差別の思想に取り付かれた。

 ユダヤ的世界観はそれだけではなかった。
 19世紀、20世紀の人々の頭に入り込み、その多くが楽園を夢見る社会主義者
 や共産主義者となり、自分達の革命に従わない者達を次々に殺していった。
 ソ連しかり、中国しかり、カンボジアしかり、北朝鮮しかりである。
 まさに地上に地獄が出現した。

 ユダヤの氏神ヤハウェは、このことを誰よりも理解していた。
 だからこそヤハウェは、古代ユダヤの宗教的指導者に、ユダヤの民が異民族と
 接してはいけない!距離を保つ重要性を何度も指摘したのだ。

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● アレクサンダー大王とペルセポリスの破壊

 話を紀元前に戻そう。
 ササン朝ペルシャの庇護のもと、幸せを享受したユダヤ教徒。
 なれどその幸せも終わりが訪れた。

 地中海に世界の歴史を塗り替える人物が現れた。
 マケドニア王国の
アレクサンダー大王である。
 (紀元前356〜323)

 アレクサンダー大王の登場によって大帝国ペルシャは絶体絶命となった。
 そして紀元前331年、アレクサンダー大王の進入を許したペルシャでは
 永遠の都
ペルセポリスが徹底的に破壊され廃墟となった。

  


      
これ程の都市が破壊されたのは人類にとっても損失であった

 もし残っていたならば、あのローマにさえ匹敵しただろう都である。
 ペルセポリスの崩壊は、ペルシャ人及びそれに関わる者達に絶望を与えた。

 アレクサンダー大王は、ギリシャおよびヨーロッパでは英雄であるが
 ペルシャ人から見れば、極悪非道な破壊者にしか見えないのだ。
 ササン朝ペルシャの庇護を充分に受けて発展したユダヤもアレクサンダー大王
 の登場は、悪魔の再来に見えたに違いないのだ。

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  * ちなみにアレクサンダー大王の家庭教師が
      哲学者アリストテレスである。



 
● 不安の的中とさらなる絶対化

 ユダヤの不安は現実のものとなった。
 ユダヤを庇護したアケメネス朝ペルシャが滅亡した。
 なれどユダヤは、バビロン捕囚以後、これらの危機に対応する為にユダヤ内部
 の自己改革に成功していた。
 一神教のみを神と祭り、その神は全知全能の神であり、この世界はその
 絶対者から人間に贈られた楽園であるという考えがユダヤ内部で固まった。
 もちろん、それらの教えについていけないユダヤ人は、その社会からは
 はじき出された。

 アケメネス朝ペルシャ以後、ユダヤを取り囲む環境は不安と安定を繰り返した。
 もちろん、それ以後もユダヤ人の国家が出来たりもした。
 ユダヤ人の国家が動揺したことも度々あったが、それでもまたユダヤ民族は
 幸せでもあった。
 ユダヤが国を追われ本格的にチリジリになるのはローマの時代以降である。

  
アケメネ朝スペルシャ滅亡 ⇒ アレクサンダー大王 ⇒プトレマイオス朝
    ⇒ セレウコス朝 ⇒ ハスモン朝 ⇒ 
ヘロデ朝 ⇒ ローマ帝国
    ⇒ イスラムの支配(7世紀以降)


 これらの中で、もまれる度にユダヤ人のユダヤの教えは絶対化した。
 バビロン捕囚を得てササン朝ペルシャ、さらにはササン朝ペルシャ崩壊から
 様々な王朝の登場の中で、ユダヤはその教えを強固なものとしていった。

 この時代のユダヤ教徒と、現代のユダヤ教徒とはほどんど差はないだろう。
 迷妄頑固にユダヤ教を信奉することとなった。

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● ユダヤ的世界観の特徴

 ユダヤ的世界観の特徴とは何であるか?
 それは慈悲よりも知性を重んじるということである。

         
知性 > 慈悲

 ユダヤ的世界観に捕らわれた者達は、知性を何よりも重んじた。
 知性で劣った民族は滅びしても構わないとまで至った。
 ヤハウェの心配は、まさに適中した。
 ユダヤ的世界観に洗脳された者達は、次々と残酷な行為に及んだ。

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● ユダヤ的世界観がもたらした悪害@

  @ 知性万能主義   ⇒ 異教徒虐殺、白人優位、捕鯨反対
  A 探究作業の妨害 ⇒ 科学者の弾圧、宗教による学問への妨害
  B ユートピア論    ⇒  共産主義、社会主義、それらの伝統の破壊

 歴史的に、異教徒だという理由で、人々を殺しまくったのは、ユダヤ教、
 そしてそのユダヤを母体にするキリスト教とイスラム教である。

 一神教徒の残酷極まりない行為は世界中で行われた。
 大規模な虐殺、目を覆いたくなるほどの残虐振りであった。
 彼らは、異教徒は、同じ人間ではないとさえ思っていたのだ。

 さらにユダヤ的世界観が人々に植えつけたのは、慈悲よりも知性が大事
 であるという誤りであった。
 絶対者は全知全能であり、その絶対者から、この世界について述べられた本、
 つまり聖書を受け取ったとユダヤ人は認識している。
 知性が優れているということは、それだけ神に近いと考えるようになる。

 ユダヤ人は多くの優れた学者を輩出し、教育熱心であることが知られるが
 それは、彼らが国を失い放浪する中で、生き残る有効な手段の1つと理解
 されているが、本質はまったく異なる。
 ユダヤ人にとっての知性の意味は、そんな生易しい意味ではない。
 優れた知性を有することが、絶対者に近づく意味を含んでいるのだ。
 ユダヤは、慈悲よりも知性を重んじる。 

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● ユダヤ的世界観がもたらした悪害A

 このユダヤ的世界観に捉われたキリスト教が一体何をやったか?
 それこそ異教徒の大虐殺である。聖書が理解できない頭の者は殺して良い
 という考えが根底にある。あれほどキリスト教徒が異教徒に残酷で
 あったのは、ユダヤ的世界観に洗脳されたが為である。

 さらには近代における白人である。
 産業革命を起こした自分達白人が一番優れているという驕りが生まれ、
 それが徹底的な人種差別を生んだ。

 白色人種が一番で、次に有色人種、最後に黒人、その後が動物であると
 いう人種差別を頑なに信じた。
 
   白色人種 ⇒ 有色人種 ⇒ 黒色人種 ⇒ 猿

 ユダヤ教、それを母体にするキリスト教、イスラム教の残虐な行為は世界中で
 大規模に、頻繁に行われた。
 これに対して仏教やヒンデュー教においてこのような報告などほとんどない。
 というのも仏教やヒンデュー教は、慈悲を重んじるからだ。
 本来のキリスト教も慈悲=愛を重んじる。それをイエスが命懸けで示した。
 ユダヤ的世界観に取り付かれたキリスト教は暴走する。

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● 神の巻き返し

 人類の長い歴史の中で、聖典ヴェーダが登場したのは、世界にとてつもない
 影響を与えずにはいられなかった。
 多くの地域では、聖典のもつ宗教の教えが入り、太古の神々は姿を消した。

 地域ごとに対応は、様々であった。
 聖典をもつ教えを新たな教えにしたところもあれば、神の教えを守り文明の
 発展を捨てた者達もいた。
 概ね、人々は聖典の教えを受け入れた。文明と生きる道を選択した為である。
 
 いったんは聖典の宗教の流入を許したが、神の教えの巻き返しも起こった。
 古代エジプトのアメンホテプ4世も、古代ペルシャのザラスシュトラも
 聖典の教えが入った時に、大きな危機感が生まれたからこそ登場した。
 もちろんまだまだ太古の神々が健在な時代ではあった。
 
 聖典の宗教が優勢を占めた中にあって、神の巻き返しが見られる象徴できる
 出来事が存在する。
 それが日本における
大化の改心である。

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● 大化の改心の真意

 仏教を支持した蘇我氏は、神道を支持した物部氏を倒し、日本での権力を独占
 することになった。これ以後、日本では仏教が神道を凌ぐ一大勢力となった。

 なれど天下を我がものにした蘇我氏にも終わりがくる。
 中大兄皇子と中臣鎌足によって、蘇我入鹿は討ち取られ、それを聞き及んだ
 入鹿の父蘇我蝦夷は自害して果てた。
 これにて蘇我氏はその権力を大きく失った。
 世にいう大化の改心である。(645年)

 大化の改心の意味を多くの歴史家は、権力を独占した蘇我氏に対する朝廷側
 の権力を奪取、天皇側の政治の復権とみる。

 もちろんそれはそれで、正しいのではあるが、それが真意ではない。
 大化の改心の真意は以下にある。

 世に広まった聖典の教え=仏教に対して、太古の神々=日本の神々の
 巻き返しの出来事であるということだ。

 多くの学者はこの点にまったくピンとこなかったが、この点を誰よりも詳細に
 認識し、指摘した人物がいる。
 日本人ではない。ユダヤ人である。

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● ユダヤ人の予感@

 大化の改心が、神なる教えの巻き返しであることを指摘したのは
 
ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグである。

 アイデルバーグはこの中でこう述べている。
 『大化の改心の
主要な目的は、まず神道を、日本の国家的宗教の座
  回復させることにあったと言って良いだろう。そして私達がこれから見て
  いくように、実は大化の改心で制定された新しい法律の多くは、
  
古代イスラエルの伝統に極めてよく則ったものだったのである。』

 大化の改心の詔(みことのり)が、古代イスラエルの伝統に非常に似通っている
 と言うのだ。
           
ユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグ
  
    アイデル・バーグは日本の神道に並々ならぬ関心があった。
    神社で見習神主の写真 『ユダヤ起源』より

 さらに大化の改心によって新たな年号大化がスタートした期日がなんと7月1日
 であり、この日は、ユダヤの新年に当たる集会の日と同じであるというのだ。
 大化の改心の詔は、神なる教えの復興の宣言だとアイデルバーグは述べる。
 このようにユダヤ人の洞察力、物を見る視点は注目に値する。
 
 アイデルバークはこの本の中で、ヘブル文字と日本のカタカナがあまりに
 似ていることを述べている。さらに日本の神話に出てきた言葉はヘブル語に
 よってこそ理解できると述べている。

 
日本語のカタカナヘブル文字はそっくりであるアイデルバークはいう。
 日本神話にでてくるアナニヤシ。これはヘブル語私は結婚するの意味であるという。
          
 さらに、ひーふーみーよ、いつ、む、なな、や、ここの、とーの数歌が、天の岩戸の前で
 歌われたが、日本人には数歌でしかないが、
ヘブル語で、だれが美しい方(天照大神)をだす
 のでしょう、彼女に出ていただくために、いかなる言葉をかけたらよいでしょう
になるという。
 実に驚くべきことがたくさん書かれた
興味深い本である。


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● ユダヤ人の予感A

 ユダヤ人のもつ直観力は、中々に侮れない。
 例えば、精神分析学を立ち上げた
フロイトは、古代エジプトにおいて
 突如としてアメンホテプ4世が一神教を掲げたことに対して、こう述べている。

 『これは人類史上における最初にしてもっとも純粋な一神教の例である。
  この宗教が成立した歴史学的ならびに心理学的な諸条件をさらに
  ふかく洞察することは、
計り知れない価値を持つだろうと思われる。』

 もちろんフロイトはこの重要性に気付いてはいたが、その真意については
 まったく理解していなかった。それでもこの出来事の重要性には反応した。
 アメンホテプ4世の多神教から一神教の試みがエジプト人に受け容れられず
 失敗したことについてフロイトは、さらにこう述べている。

 『 (イクナアトンの時代のエジプトの民衆は)、
   かくも
高度精神化された宗教に耐えることができず、このような
   宗教の中におのれの欲求の満足を見いだす力を持っていなかった。』

 この展開は、いかにも
ユダヤ人らしい発想である。
 しかし事実はこの反対である。
 古代エジプト人は、多神教のままでも、聖典をもつ宗教に対抗する力を、
 まだまだ有していたからこそ一神教に変化する必要がなかった。
 聖典の教えに脅威を感じたアメンホテプ4世の直感力は、抜群に優れていたの
 ではあるが、時期尚早の試みであた。

 
フロイトはアメンホテプ4世が一神教を掲げた背景に興味をもった。
 
まさにその背景こそがユダヤを生んだ共通のものなのだから
興味を持つのは当然である。
 もちろんフロイトにはその背景が明確に意識できていなかったが。

                
                   
ユダヤ人フロイト

 ユダヤ人のフロイトは、ユダヤ的世界観に愛着があったからこそ、
 アメンホテプ4世の一神教の試みを理解しないエジプトの民は非力なのだと
 言いたかったのだ。もちろん事実はこの反対である。

 ユダヤ人のフロイトは、アメンホテプ4世の取った行動が、ユダヤの母体となる
 ゾロアスター教の背景と重なっている事を無意識にでも感じ取ったに違いない。
 もちろんフロイトは、その真意については、まるで気付いていなかったが・・・・・。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金のユダヤと日本


 
● 大帝国、古代ローマの登場

 紀元前3世紀頃になると、世界中では聖典をもつ宗教が圧倒して、生きんと
 する意志を肯定する教えは、世界中から消えていった。
 自然崇拝を行う宗教が確実に減っていったのだ。

 特に大文明の衰退が著しかった。
 大文明のエジプトもペルシャも衰退し、様々な国家が乱立した。
 アレクサンダー大王によって、ヘレニズム文化は広がったのではあるが、
 それに伴い、聖典をもつ宗教の教えも広まっていった。
 
 優れた芸術と学問の力で、聖典の教えが不要であった天才民族によって
 形成された古代ギリシャも、その力を失いつつあった。 

 世界中において聖典の教えが力を有した。
 その時に誕生したのが、人類史上最高の文明に達した古代ローマ帝国である。
 
 古代ローマ帝国があれ程、栄えたのは古代ローマ人に力があったのは当然で
 あるが、それ以上に、ローマが世界中の神々を許容したことにある。

 世界中の神々は、聖典をもつ宗教にその場を追われた。
 その神々の行き場はなかった。座して消滅する以外なかったが、ローマの登場
 によって、世界中の神々がローマに集まった。

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● 神々が一極集中した古代ローマ

 世界中の神々が、その居場所を求めてローマに結集した。
 ローマがあれ程、神々に愛されたのも、それだけ世界中の神々は
 その
居場所を失っていたからである。

 
世界中の神々は、ローマに集結した

 それゆえ、古代ローマには大輪の花が咲いたのだ。
 世界中の神々は、このローマが滅びれば、自分達も消えてなくなることを
 予感していたのに違いない。
 
 だからこそ最後に、もっとも美しい花を、この地、ローマに咲かせようと決意した。
 世界中の神々が古代ローマに力を与えた。
 古代ローマは、人類史上最高の、もっとも偉大でもっとも美しい都となった。

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● 栄光は永遠ではなかった

 なれどその古代のローマ人の栄光も永遠ではなかった。
 ローマにも陰りが差してきた。

 古代ローマ滅亡の要因を探せといえば、
たくさんの要因があがるだろう。

 異民族がローマ市民になる為には、数十年に及ぶ懲役が必要であったが
 その懲役を免除したという事も、その重要な要因の1つであろう。
 広大なローマを東と西に分割して統治しようとした事もその要因の1つであろう。
 要因を探せばいくらでも見つかる。
 確かにそれらの要因は、古代ローマを滅亡させた1要因ではあろう。
 
 なれど
問題の本質はそこではない。
 重要な事は以下である。
 なにゆえ古代ローマは、
そのような政策を取らざる得なかったか?と
 いう事である。

 それこそが本質なんである。
 
古代ローマ人が本来の力を失ったからだ。

 だからこそ、それらを補う形で様々な政策が取られた。
 これらの政策は、もはや必要不可欠であった。
 回避が出来ない所まで追い詰められていた。
 広大な領地を治めるだけの人間の知性と洞察力を失いつつあった。

 古代ローマが滅んだ要因を探せば色々な要因が見つかるだろう。
 ローマ末期にとった様々な政策もその1つだと言えよう。
 だが本質は、
そのような政策を取らざるえない事情があった事だ。

 ローマ人をローマ人たらしめた力(深い洞察、美への愛着、学問への情熱)が
 目に見えて減退してきた。ローマ末期、彼らの眼前に存在する美しい彫刻や
 建物について、その価値を当のローマ人が理解できなくなっていた。
 ご先祖がもたらした芸術や学問、あらゆる社会制度についての理解を子孫で
 ある彼らは、もはや正確に理解できなくなっていた。

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 ※ ローマが滅びた事よりも、ローマが生まれ、長い間保持されてきた事
  の方が重要である。それこそが奇跡である。
  人類の歴史の中には、突然眠りから覚めたごとくの時代が存在する。
  西洋であれば古代ギリシャ、ローマであり日本では平安時代である。

       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の歴史家へ


 
● ローマの滅亡と神の喪失

 古代人はまさに神々と共にいた人々である。
 聖典ヴェーダの登場により、世界各地では神々が姿を消した。

 もちろん大文明では、神々は健在であった。
 だが時代も徐々に下り、紀元後に近づくと、大帝国ローマを抜かして他の地域
 では太古の神々は姿を消していた。

 聖典の宗教に居場所をとられた太古の神々は、世界中からローマに結集した。
 神と人が共にいた時代の最後をローマが演じた。
 実に古代人は美しく、偉大であった。
 なれどその大帝国ローマも衰退し、滅びるときがきた。
 人々から芸術の技は失われ、学問の力も失われ、その人間の力によって
 支えられたあらゆる仕組みが、ギシギシときしむ音を立て始めた。
 もはや人々は、神と共に入れることができなかった。

 紀元後476年ローマ(西ローマ帝国)は滅亡した。
 東ローマは残り続けたが、それでも神々と共に生きる人々はもはや
 いなくなっていた。

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● 古代ローマ後と聖典の宗教

 古代ローマ帝国が衰退する時には、人々は既に神と共には、入れなかった。
 人間社会から生まれる多くの苦悩を芸術の力で癒す術をローマ人は失っていた。

 ローマ滅亡後(西ローマ)、ヨーロッパの人々の内面の苦悩を救ったのは
 聖典をもつ宗教の
キリスト教であった。
 もはや聖典に頼らざるおえない時代が到来したのだ。
 人々を保護したローマを失った人々の不安は増大した。

 古代人には聖典自体が不要という人々が多く存在した。
 紀元前の人々の多くは神々と共にいた。
 それだけ人間の力があった時代である。

 なれど紀元後になると人間の力は衰え、人々は神とはいれなくなった。
 さらに大帝国ローマ(西ローマ)が消滅すると、人々はもはや神々と共に
 いれる人などは、まったくと言ってよいほど見当たらなくなった。

 帝国を失った人々は救いを求めた。片手には聖典をもって、本を抱えて
 生きねば不安を感じてしかたがなかった。人間はかくも力を失ったのだ。
 これから徐々にヨーロッパは1000年の中世へと入っていく。

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● 聖典の教えと文化の衰退

 ヨーロッパにおいて、中世では多くの文化が衰退したと言われるが、
 そもそもこれは人々が聖典をもつ宗教に真剣に取り組んだ為である。

 聖典をもつ宗教の根本は、生きんとする意志の否定である。
 あらゆる人間の欲望を抑え、意志の否定する方にこそ救いがあり救済が
 あるという考えをベースにしている。

 この教えが、人々に真剣に受け容れられば受け容れられるほど、
 文化は衰退するのは必定でさえある。
 実際に中世ヨーロッパにおいてはあらゆる制度が崩れ、秩序の崩壊も
 おきていた。さらに言えば人間は、まったく立派ではない事は、中世ヨーロッパ
 を見れば一目瞭然である。
 
 一部の熱心な信者は、その生涯を信仰の中に生きられても大多数の人々は
 その信仰もみせかけとならざるおえない。
 信仰に生きれない人々だってたくさんいた。
 文明の留め金を外れた地域においては、盗みやだましが横行した。
 暴力や残酷な行為も頻繁に起こった。

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● 聖典の教えを嫌った為政者@

 偉大な国家を目指す為政者にとって、聖典をもつ宗教は目障りなものであった。
 大抵の為政者は、聖典の宗教が内心は嫌いである。

 いかなる時代においてさえ聖典をもつ宗教は、為政者から嫌われる面をもつ。
 なぜなら、聖典をもつ宗教が、人々に強く浸透すればするほど、国家は繁栄
 しないからである。
 聖典をもつ宗教の真剣さの広まりと、国家の繁栄は
反比例する。

      聖典をもつ宗教 
  国家の繁栄  
      ---------------------------------
      聖典をもつ宗教 
  国家の繁栄  

 それはそうだろう。
 知性も優れ、良き兵士や学者や技師になれる者達が、内面の救いの道を
 探す仏僧や神父さんの道になる者が多ければ、国家的な損失である。
 また目の前の経済的な富や、名誉や、名声に価値を見出さなければ、
 国家の為政者たるや、何をもって人々に恩賞を与えるべきかとなるのは
 当然である。
 
 だから時の為政者は、聖典をもつ宗教の必要性は理解していたが、あまり
 近づけたいものではなかった。

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● 聖典の教えを嫌った為政者A

 仏教が人々に浸透し、優れた若者を虜にして多くの若者が出家したならば、
 その者達にとって現世は仮の世となり、これでは国家の繁栄どころではない。
 衰退が訪れるだろう。
 各人の人生の上では良い事であっても、国家単位で見てみれば、大きな力
 の損失、国力の減退を意味する。

 中世ヨーロッパにおいて文明が停滞したのも、つまりはそれだけ多くの人々が
 キリストの教えを忠実であったということである。
 中世ヨーロッパの人々の重大ごとは、経済的利益の獲得でももなく、
 権力の拡大でもなく、文化の発展ですらなかった。
 人と神の対話こそが重んじられる事であった。

 中世ヨーロッパでは、あらゆるものが衰退していった。
 そうして文明の力を失った為に、あらゆる悪に対して予防する手立てを
 失っていた。さながら無法者が蔓延ったのも中世ヨーロッパである。

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● 聖典をもつ宗教 VS 時の為政者

 時の為政者は、聖典をもつ宗教の必要性は認めている。
 聖典の宗教が、民衆の内面の苦悩を取り除く事を重々理解しているからだ。

 だが聖典をもつ宗教が人々に強く入りすぎると、時の為政者は文化の衰退を
 嫌って、聖典をもつ宗教を遠ざける。それでも人々の中に聖典をもつ宗教が
 強く入りすぎていると、為政者は、聖典をもつ宗教を弾圧した。

 中国においては、これが度々、見られた。
 国家の躍進と文化の隆起を目指す意欲的な皇帝が登場すると、文化の発展を
 阻害する聖典の宗教は遠ざけられた。

 中国では、満開の花を開いた仏教ではあるが、たびたび皇帝によって
 仏教は排斥される事件が起こった。

 中国の長い歴史の上では廃仏毀釈は何度も起こっており、その中で特に有名
 なのが、もっとも強烈な廃仏毀釈を行った北魏の
太武帝、北周の武帝
 唐の
武宗、後周の世宗の4人の皇帝による仏教に対する大弾圧である。

 世に知られる”
三武一宗の法難”である。

 特に戦乱期において、体も頑強で、知性も優れた青年の多くが、軍に属さずに、
 世を捨て、はかなみ、仏教に帰依するなどという事は、国家の軍事面からすれば
 多大なる損失以外の何ものでもなかった。

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● 配慮を示した為政者

 世界各地の王は、聖典をもつ宗教が国民に与える意味について良く理解した。
 それゆえに多くの国家では、王が宗教の後見人のごとくになっていた。
 王も聖典をもつ宗教の力を利用し、王自らが熱心な信者のごとくに振舞う時も
 たびたびあった。

 王も教会もその所では共に協力関係であった。
 時の為政者は、聖典をもつ宗教に
一定の配慮を示した。

 というのも人間には
救いがたい面が確かに存在するからだ。
 人々は救いがたく、またそれゆえにこそ救いが必要であることを、
 教会の指導者層も、国の為政者も共に共通の認識があった。

 国家の為政者は、聖典をもつ宗教とうまい付き合い方を考えた。
 またキリスト教の指導者層も、国家の衰退にならない程度にうまく布教した。

 国家ではまかなえない事は、聖典をもつ宗教が変わりに引き受け、国家を
 良く支えるようにもなった。

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● 悪夢からの目覚め=ルネサンス

 ヨーロッパは長い間、神との対話の中に埋没していた。
 その間に人間社会には数多くの問題が噴出した。
 盗み、騙し、詐欺、暴力などが蔓延した。
 さらには14世紀になるとペストが蔓延してヨーロッパの人口を三分の一に
 したとも言われた。

 多くの人々は、信仰によって救いを求めた。
 求めども求めども一向に解決する兆しがなかった。
 とうとう人々は耐えられなくなって、ハッと目覚めた。

 この時から人々は学問を求め、科学を求め、芸術を求め始めた。
 もちろんまだまだ人々は少し目覚めたばかりで、半分は寝ていた。
 それでも人々の関心が芸術や科学に移行することで、ヨーロッパの人々は
 信仰の世界から一定の距離を取ることを体験した。

 人々は、今までの分を取り返すでもあるかのように文化の発展を望んだ。
 ルネサンスの始まりである。
 ルネサンス以後、物を考えるときに科学的なアプローチが好まれる事になった。
 これから数百年してヨーロッパでは近代科学が芽生え、産業革命へと
 つながっていくのである。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
      『 稲穂黄金の未来の歴史家へ


 
● 太古の神々と聖典の宗教との共存

 聖典の宗教が入ってきた時に、聖典の宗教を受け入れながら、神なるものを
 消滅させずに共存させた国が世界で1つだけ存在する。
 それは日本である。
 これを成し遂げたのは、世界で日本のみであった。

 世界の国々でも、聖典をもつ宗教と太古の神々が入り混じる神仏習合の時期
 は確かに存在したのであるが、結局は聖典をもつ宗教が勝利をおさめた。
 というのも、聖典をもつ宗教と太古の神々の教えでは教え正反対であるからだ。

 太古の神々を祭るとは、生きんとする意志の肯定である。
 聖典をもつ宗教に従うとは、生きんとする意志の否定する。
 まったく異なるのだ。180度異なるのだ。
 それが両立できることの方が奇跡なのである。

 なれど日本においては神と仏が両立した。
 それも神なる神道はどこまでも神なるものとして、仏なるものはどこまでも
 仏なるものとして残ったのである。
 それでいて衆生は、神仏を共に愛する神仏習合を好んだ。

 もちろん日本が海に囲まれた国家であるということもその要因とはなった。
 だが真の要因は、それを両立させるべく、真に優れた者達が続々と日本に
 生まれ、両方が成り立つように支え、基盤を作ったからである。
 この点について述べるとこのサイトでは収まらなくなるので以下を参照。

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       (*) 詳細は以下のサイトを参照。
  
       『 稲穂黄金のユダヤと日本
         『 稲穂黄金の未来のユダヤ
         『 稲穂黄金の最澄


 
● 現代にもつながる影響

 今まで、生きんとする意志の肯定と否定がどれほど人々を揺さぶり、文明にさえ
 影響を与えてきたことを述べてきた。
 
 生きんとする意志の肯定と否定とは、まさに人間の生そのものに強く関わる。
 我々人間は、喜びと同時に苦悩を手にした。

 生きるとは喜びと同時に苦悩を享受することである。
 人間が社会を作り、都市を形成し、国家を形成すると、なるほど人間同士が
 その欲望で争い、多くの悩みが顕在化した。
 
 文明に生きる人々は、それゆえに苦悩を救済する聖典の宗教を求めた。
 現在、世界を見渡せば、聖典をもつ宗教が圧倒的である。
 仏教、キリスト教、イスラム教をはじめ、ヒンデュー教、ユダヤ教
 皆、聖典を持っている。

 確かに、この世界の上から、太古の神々は姿を消した。
 なれど、完全に姿を消してはいない。
 なぜならば、人間の内に上なる(神なる)部分が残っているからだ。
 
 これからも神と仏を求める人間のありようは変わらない。
 人間は生きんとする意志の肯定と否定の間で揺れ動く。
 それゆえに文明も影響を受けて揺さぶられる。
 これは人間がこの大地に生きる限り未来永劫に続くのである。

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● 神は死なない

 人間が聖典の宗教によって救われる何がしかだとしても人間が生まれる場所
 はこの自然であり、生きんとする意志の上においてである。
 そうしてまた人間が死んだ時に戻るのも、またこの自然の上である。

 自然はこの世界の仕打ちをなんとも思わない。
 仮に自然の上に生きるあらゆる生き物が滅びても、再び、チャンスがあれば
 自然は、過去に何もなかったように再び、わが子を地上に送るだろう。
 その時の生き物は、以前生前したあらゆる動物と異なるやも知れぬ。
 
自然は死なない!
 それゆえにまた神なるものも死なぬのだ!

 我々はまた自然が生みし子供である。
 我々が生きんとする意志を否定して、涅槃の境地を得たとしよう。
 そこには救いがあり浄土がある。天才・釈尊が人類全体に対して命をかけて
 示してくれた。この世界に法のあることを知らせてくれた。
 我々はヴェーダから仏教によって完成した聖典に感謝を捧げる。

 しかしまたいかなる教えがこの世にもたらされようと、我々が生きんとする意志
 を持っているという事実は否定されるものではない。
 再度言う、それゆえにこそ、また神は死なない。


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